平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

どうする家康 第15回「姉川でどうする!」~皆の者、敵は…敵は……浅井朝倉っ! かかれいっ!

2023年04月24日 | 大河ドラマ・時代劇
「乱世を終わらせられるのは誰じゃ?」
「信長に義はない。信長の目的は天下を簒奪して日の本を我がものにすること」

 信長(岡田准一)と浅井長政(大貫勇輔)の言葉だ。
 この両者の間で家康(松本潤)は迷う。
 信長は足利義昭(古田新太)の権威を利用しているだけだし、長政の言っていることは正しい。
 信長は自分を道具として見ているようだし、内政にも干渉してくるし、
 人として理解し合い、信頼できるのは長政だ。
 だから、
「わしは浅井殿につきたい! 理由は好きだからじゃ!」
 しかし、今、信長を討てば、ふたたび「ぐちゃぐちゃな世」に戻ってしまう。
 将軍の権威と信長の武力で治める方が、世の安寧に繋がる。
 酒井忠次(大森南朋)は言う。
「義なんてものはきれいごとじゃ!」
 どうする家康!
 家康が出した結論は──
「皆の者、敵は…敵は……浅井朝倉っ! かかれいっ!」
 ……………………………………………………………………

 義に生きることは美しい。
 民からも支持される。
 しかし、義だけでは治められないのが世の中だ。
 手段を選ばず、汚名を被ってでも世の中の安寧を築く。
 この方が最終的には民のためになる。
 道徳、規範は無力。
 理想主義は乱世では絵に描いた餅。
 こんなテーマを描いたエピソードだった。

 現実というのは厄介ですね。
 義や理想主義が現実で通用しないのは、これらを価値としない輩が多数派だから。
 だから空理空論よりも力こそが正義。
 人間はこうして歴史を作ってきた。

 姉川の戦いでは、なかなか動かない徳川軍に織田軍が催促の鉄砲を撃ちかけて来た。
 徳川軍はこのいくさの勝敗を左右する存在なのだ。
 って、これは!
 関ヶ原の戦いの家康と小早川秀秋ではないか!

 今回のエピソードは後の関ヶ原の伏線なのだろう。
 家康は姉川の戦いの信長と同じ立場に立ち、同じことをする。
 関ヶ原の家康は豊臣から天下を奪おうとする「義」とは正反対の存在。
 だから石田三成は挙兵した。
 だが、家康はこう考えている。
 天下を平定し、安寧の世をつくるためには仕方のないこと。
 自分は敢えて泥を被る。
 義にそぐわないと言われても、やらねばならぬことがある。
 この時、家康は信長とリンクした。

 見事な伏線、作劇ですね。
 三河の一向一揆の時もそうだったが、
 今後も家康は世の安寧と義との間で迷い続けるのだろう。
 信長、秀吉(ムロツヨシ)、明智光秀(酒向芳)が聡明な天下人であれば、彼らに天下を委ねたのだろうが、彼らはそうではなかった。
 となると、自分がやるしかない。
 家康は迷いながらも天下を取る。
 今作の流れが見えて来た。

 最後に。
 姉川の戦いのCG、よかった。
 1万、2万の軍勢が激突するいくさのスケール感が出ていた。
 今後が楽しみだ。


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2 コメント

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浅く広く (コウジ)
2023-04-25 08:44:21
TEPOさん

いつもありがとうございます。

そうなんですよね。
今作の弱点は人物の出入りが多くて、人物をじっくり描けないことなんですよね。
故に深く読み込むと、おっしゃるようなツッコミ所が出て来てしまう。
この点は『麒麟がくる』の脚本の池端俊策さんはさすがベテラン。
義昭、信長、光秀をじっくり描きましたよね。

今作はさまざまな人物を浅く広く描く作品。
今川義元、氏真、田鶴、葉、阿月、千代。
今回は直虎が出て来ましたし、人物の出入りを楽しむ作品なんでしょうね。
そして阿月や葉を共感して見ていられるのは歴史の流れを左右する人物ではないからなんでしょうね。

歴史の解釈も良く言えば独創的で、無理矢理な所はあるけど、定番の歴史解釈を見せられるよりはいいかな、と最近思い始めています。
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「義」の内実は? (TEPO)
2023-04-24 15:53:01
今回は久しぶりに「どうする家康」のタイトル通り、家康自身が主人公として悩む展開でしたが、私には「信長につくか長政につくか」という今回の設定はやや「無理筋」に見えました。

本作では、長政が信長を裏切った理由は朝倉家との絆にあったとする通説を離れ、ひたすら長政を「義の人」に仕立てようとする形をとっています。
しかしながら、長政の「義」の積極的内実が今ひとつよく分かりません。
「天下を簒奪する信長は不義なるがゆえに討つ」とのことですが、そのような消極的な理由ならあらゆる戦は双方共「大小様々なレベルで相手の不義を討つ」ことになります。
先週も書きましたが、今作では『麒麟』の光秀を長政に重ねているように思われます。
『麒麟』の光秀も結局信長を討っただけでしたが、それでも光秀と信長との心の通じ合いとすれ違いとを長い時間かけて描き、さらには天皇との接触まで描き込むことで、それなりに「本能寺」に向けての必然性が描かれていました。
しかし、本作では長政自身なぜ「信長の世にしてはならない」ことを「義」と信じるに至ったのか、充分説得的な描写は無かったように思います。
敢えて長政の「義」の材料と言えば、忠勝・康正コンビと自分の家臣との間の悶着について公平に判断して紳士的に振る舞ったことくらい。
このエピソードで家康は長政について「義の人」という第一印象・好感を持っただけで、視聴者もほぼ同じかと思います。

忠次の台詞はただの感情論ですが、数正の台詞は決定的。
「今なら信長を倒せます。しかし倒した後どうするのか」

今、家康は信長の要求で西部戦線に出張してきていますが、徳川軍本来の前線は東側。
強力な同盟者である信長の存在があってさえ武田信玄には苦戦したというのに、その信長を倒してしまったらどうなることか。
長政が「義の人」なら、なおさら美濃・尾張を切り取って信長に代わる強力な同盟者となることなど期待できないでしょう。
他方、北近江の大名である長政自身にとっては、強力な近隣勢力である信長を脅威と見るならば、これを討つ合理性はあります。

数正に指摘されるまでもなく、このようなことは戦国大名・武将なら当然わきまえていなければならない筈。
「好きだから」という理由で血迷う家康はちょっといただけません。
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