平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

鎌倉殿の13人 第26回「悲しむ前に」~権力闘争が繰り広げられる中、頼朝は一個の物体となった

2022年07月04日 | 大河ドラマ・時代劇
「悲しむ前に」、鎌倉では権力争いで大わらわ。

 北条VS比企。
「頼家が次の鎌倉殿になれば比企にすべてを持っていかれるぞ」
「鎌倉が北条が作ったのです! 他人にとられてはなりません!」
「全成殿を鎌倉殿に!」
「いや、全成殿には人望がない……」笑

 そんな中、義時(小栗旬)は奔走する。
 北条と比企の間を取り持つ役として三浦義村(山本耕史)を入れる。
 政子(小池栄子)に大きな権限を持たせる。
 →これで頼家(金子大地)が暴走した場合、政子が歯止めになる。
 義時が目指すのは、あくまで争いを回避する方向だ。
 争いが起きれば鎌倉は弱体化する。
 弱体化すれば頼朝(大泉洋)が築いて来たものが無になってしまう。
「鎌倉あっての北条」鎌倉存続が北条家のためでもある。

 だが、義時の思いどおりにはなかなか行かない。
 それはまず身内から。
 全成(新納慎也)を次の鎌倉殿にしたい時政(坂東彌十郎)、りく(宮沢りえ)、実衣(宮澤エマ)は反発。
 義時にとって、この家族の反発は想定外で、つらいものだっただろう。
 板東武者たちは「これで板東を板東武者に取り戻せる!」を息巻く。
 梶原景時(中村獅童)は頼家に接近。
 三浦義村も油断がならない。

 頼朝が亡くなって鎌倉は今までの矛盾が噴き出して大混乱の様相。
 今は「北条VS比企」「北条家内での反発」がオモテに出て来ているが、それはまだ氷山の一角のようだ。
 義時はこれをどう収めるか?
 政子、三浦を配置することで、自分の仕事は終わったと考えているようだが、現実はそんなに甘くない。
 ………………………………

 そんな中、ひとり取り残されているのが頼朝。

「臨終出家」で勝手にまげを切られたり、完全に『物』扱い。
 頼朝に心を寄せているのは政子、安達盛長(野添義弘)のみ。
 義時は政事まわりで忙しい。

 この作劇、面白い。
 権力争いの鎌倉と一個の物体として眠っている頼朝の対比で、『源頼朝』という存在の哀しさ、孤独を表している。

 そんな中、頼朝を『人間』に戻したのが、次の二つのエピソード。

 髷の中に隠していた小さな菩薩像。
 頼朝にとって、この菩薩像は弱い自分を奮い立たせる拠り所だった。
 頼朝は弱い自分と戦っていた。

 そして政子に語った最期の言葉。
 政子が初めて頼朝に会った時に持って来た食物を指して、
「これは何ですか?」
 ネット記事に拠ると、このせりふ、往生の時によくあるせりふにしたくないと考えていた三谷幸喜さんの頭の中に急きょ浮かんできたせりふのようだ。
 普通なら「頼家を頼む」とか「政子と過ごして楽しい人生だった」になるのだが、いろいろな解釈が出来そうなせりふだ。
「頼朝と政子は出会った頃の原点に戻った」「どんな権力者も行き着く所は食べ物への興味」とか。
 もやもやとしてはっきりと答えが出ない所が面白い。


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2 コメント

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「一個の物体」となった頼朝と北条家分裂 (TEPO)
2022-07-04 19:20:26
>権力争いの鎌倉と一個の物体として眠っている頼朝の対比で、『源頼朝』という存在の哀しさ、孤独を表している。

先週で前半終了かと思いきや、折り返しは今週までだったようです。
「一個の物体として眠っている頼朝」という点からの今回の作劇構造についてのコウジさんの分析、さすがだと思いました。
一点だけ、たしか番宣番組で紹介されていたトリビア的知識を補足しますと、後世、たとえば戦国時代や江戸時代の武士たちとは異なり、この時代の男たちは髷を露出することは無かったそうです。
それは武士に留まらず公家や庶民も同じで、彼らはけっして烏帽子を外すことは無かった―寝るときさえも―とのこと。だからこそ、

①「髷の中に隠していた小さな菩薩像」が出てきたことは、「一個の物体」となって「臨終出家」させられたからこそ露わになった頼朝の真実ということになります。

②以前、「後妻打ち(うわなりうち)」事件の巻き添えで髻を切られた牧宗親にとって、それはいかばかりの屈辱であったか、ということにもなります。

宗親は時政の後妻りく(「牧の方」)の兄であり、この事件がきっかけで、りくにぞっこんの時政と頼朝との間にしばらく亀裂が入っていた時期がありました。
今回の「北条家分裂」について、ネット上では「先週までは仲良しファミリーだったのに」との声もあったそうですが、すでにその前兆はあったわけです。
そもそも政治的な公家娘りくが後妻として入ってきた時点で、前妻の子たちとの間に構造的な緊張関係があったはずなのですが、頼朝が強力だったために抑えられていたのでしょう。
先のことを考えると、時政・りく夫妻に担がれた阿野全成・実衣夫妻は少々気の毒に思えてきます。
「少々怪しげな祈祷師」全成は、これまで喜劇ネタ担当だったのですが。

他方、やはり義時はヤン・ウェンリーなのでしょうね。
今回、義時はコウジさんお薦めの「世捨て人」になるつもりだったようです。
イゼルローン要塞攻略(初回)を成功させたヤンが、シトレ元帥に退役を願い出る場面を連想しました。
シトレがヤンを慰留したように、当然政子も義時を慰留し、ここに改めて政子・義時の姉弟の絆が確認されました。
この政子・義時の同盟は最後まで志を同じくし、また最終勝者となるわけです。
おそらく義時は、シェーンコップがヤンに期待したように、またレベロがヤンに危惧したように、「身に降り掛かる火の粉を払っているうちに最高権力者となって」いったところがヤンとの違いなのでしょう。
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俗世に生きること (コウジ)
2022-07-05 09:08:44
TEPOさん

いつもありがとうございます。

髷にはそんな重要な意味があったんですね。
牧宗親があんなに嘆き悲んだ行為を頼朝はやすやすとされてしまう。
意思や権力を失った者の姿として象徴的でした。

りくと政子の断絶は、おっしゃるとおり後妻と娘の対立と捉えた方がしっくり来ますよね。
りくにとって頼家はそんなに可愛い孫ではない。
あとは前回、ふたりきりになった時の頼朝とりくの会話も意味が出て来たような気がして来ました。

実衣や全成も、目の前に権力がちらつくと変わってしまうんですね。
欲望と愚行──これが俗世に生きるということだと思いますが、義時はそんな世界が嫌だったのかもしれませんね。
そして「火の粉を払っているうちに最高権力者になってしまう」
おそらく、それは修羅の道になると思いますが、生きることって厄介ですよね。
比奈が「わたしは北条のおなごです」と言ってくれたことが救いになりました。

ヤンは僕の生き方のお手本ですね。
ヤンは結局ああなってしまいましたが、「歴史を学び歴史を記録する」という姿勢に共感します。
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