平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

菅総理の自己愛

2011年06月05日 | 事件・出来事
 菅総理は<自己愛>のすごく強い人なのだと思う。
 「リーダーシップがない」「あなたのせいで震災復興が進まない」、あげくの果てに「最低人間」と人格に関わることまで言われて、菅さんは葛藤したに違いない。
 「そんなことはない。多少のミスはあるが、それは未曾有の災害だからで、もう少しすればきっちりやれるはずだ。自分が非難されるのは、自民党や小沢一郎が政局絡みでいろいろなことを言っているからだ。自分はこの難局を必ず打開できる。打開して、自分を批判したやつらを見返してやる。それをバネにして、自分は消費税も財政赤字も福祉問題も解決してみせる」
 こんなことを考えたのではないか?
 まさに<自己愛人間>の展開である。
 自分を客観的に見ることが出来ない。自分はすべてにおいて万能なのだと思っている。
 <自己愛>は多かれ少なかれ人間の中にあるものだが、普通は「自分は人を引っ張っていくことは苦手だな」とか「自分の言葉は誤解されやすいな。心がないな」とか自分の欠点に気づく。
 その上で、身の処し方や行動を決めて生きていく。
 人を引っ張っていくリーダーシップがないのなら、リーダーの仕事をやらない。あるいは誰かにその部分を任せたり、ナンバー2の参謀の地位に留まってリーダーを補佐していく。
 菅さんには<自己愛>が強いため、こうした発想がない。
 だから自分を批判する人間には批判で返す。反論する。言い訳する。「おっしゃるとおり」と言いながら心の奥では「そんなことない」と考えている。そして排除する。
 自分で何でもやりたがる。自分の考えに固執する。

 大きな器のリーダーとは、批判する人間をも取り込める人間だと思う。
 自分の行動に対して批判を受けたら、「なるほど。そういうやり方もあるな」と修正できる能力、あるいはその批判した人を見極め、本物だと思ったら全面的に任せられるような度量。
 そして、これは自分が大したことのない人間だとわかっているから出来ること。

 まあ、総理の仕事は孤独だとは思いますが、菅さんは総理の器ではない。すごく子供だ。
 心理学者のどなたか、こうした菅さんの心象を分析していただけないだろうか?


コメント
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