平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~第21回「豊臣の妻」

2011年06月07日 | 洋画
 茶々(宮沢りえ)を許すことが出来ない江(上野樹里)。
 そんな江に様々な人が語りかける。

 京極龍子(鈴木砂羽)は「いた仕方ありません」
 秀勝(AKIRA)は「心安らかに」
 初(水川あさみ)は「男と女は解せぬもの」

 彼らは、どうにもならないことなら、それを現実として受けとめて心穏やかに生きろと暗に諭している。
 怒りや憎しみに囚われて大事なもの、つまり姉の茶々を失うなと語っている。
 そして、これらの発言のベースにあるのは、<現実の肯定>である。
 現実を否定すればするほど、人は怒りや憎しみを募らせ、どんどん袋小路に追いやられていく。

 北政所(大竹しのぶ)はこう語る。
 今回のことで嫉妬する自分に「おのれの小ささ、醜さを感じた。しかし、それも女心、それも私、大事にせねばな」。
 これも<現実の肯定>。
 北政所は、嫉妬する自分、小さくて醜い自分、それらをすべて肯定した。
 この結果、彼女は「役目の異なる豊臣の妻」という結論を見出した。
 怒りや嫉妬に囚われていては、この結論にたどり着かなかったであろう。

 そして江。
 北政所たちとの話を通して、こんな結論を見出した。

 「うらみや憎しみをひとりの赤子がぬぐい去ってくれた」

 江は理解したのだ。
 姉がひとつの命を宿したことは素晴らしいことだ、と。
 憎しみをぶつけるより、いっしょに喜ぶことの方が幸せなのだ、と。

 怒りや憎しみに囚われてしまうと大事なものが見えなくなる。
 現実を肯定することによって見えてくるものがある。

 今回はそんなお話。
 ドラマとしては相変わらず薄味ですけどね。
 江が「うらみや憎しみをひとりの赤子がぬぐい去ってくれた」という結論に至る過程の描写も今ひとつ説得力がない。
 あるいは、このドラマ、何かが足りない。
 何かひとつ調味料が加わることで、変わってくる気もするのだが。
 それは秀忠(向井理さん)の登場なのかもしれない。


コメント (2)
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