平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「走れメロス」太宰治~短文を積み重ねによる、リズム、疾走、躍動の心地よさ!

2020年09月13日 | 小説
 メロスは激怒した。
 で始まる太宰治の『走れメロス』。

 その文体構成は、短文の積み重ねだ。
 たとえば、『メロス』の冒頭──

 メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれたシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばるシラクスの市(いち)にやって来たのだ。

 僕はこういう短文を重ねる文章が好きなんですよね。
・小気味いい。
・リズムがある。
・ムダな修飾がない。
・情報がスッと入ってくる。
・硬質。

『メロス』は走る小説なので、短文の積み重ねが合っている。
 短文の方が疾走感が出るのだ。
 たとえば、ラストの刑場にたどり着くシーン。

 まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。

 おおっ、何と心地いい文章だろう。
 これ、朗読したら楽しいよね。

 もっとも長文でも疾走感を出せる。

 メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪(なみ)を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻き分け掻き分け、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐憫を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。

 路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴飛ばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。

 何という躍動!
「犬を蹴飛ばし、小川を飛び越え、」とかすごくないですか?

 これを朗読する時は、息継ぎをせず、一息で読み切るとカッコいい。

 比喩や修飾も文章に躍動感を与えている。
・ざんぶと
・百匹の大蛇のように
・のた打ち荒れ狂う
・押し寄せ渦巻き引きずる
・なんのこれしきと
・めくらめっぽう獅子奮迅の
・黒い風のように

 ううっ、たまらんなあ。
『走れメロス』はストーリーではなく、文体を味わう作品ですね。
 神は細部に宿る。

 この作品は朗読がおススメです!
 朗読しているうちに、自分もメロスと疾走している感じを味わえるはず!

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ドコモ口座不正出金事件で「暗号」のことを考える~エニグマ、王妃メアリー、量子暗号、進化する暗号の世界!

2020年09月11日 | 事件・出来事
「ドコモ口座」の不正出金事件。

 お金を引き出すまでの流れはこうだ。

①フィッシングサイトやamazonや楽天のなりすましメールで、銀行口座情報を得る。

②この情報をもとに「ドコモ口座」を開設。
 ドコモ口座はフリーメールでも開設可能。

③銀行口座からドコモ口座に出金。
 引き出されたお金が犯人の手もとに。

 なるほどな~。
 かつては、銀行口座からお金を引き出すためには「通帳と印鑑」「預貯金カード」が必要だったが、それが「ドコモ口座」になったわけか。
 そして「ドコモ口座」は銀行の口座情報を知っていれば誰でもつくれる。
「クレジットカード」ならカード発行の審査がおこなわれるが、それがない。

 docomoは積極的に自分の非を認めていないようだけど、フリーメールで口座をつくれるdocomoのシステムが問題なんじゃないの?
 やっぱり銀行口座とのひも付けは危ないな。
 suicaやpasmoで十分!
 やっぱり買い物は現金決済に限る!
 僕などはこう考えてしまうから日本のキャッシュレス化が進まない(笑)
 まあ、今回の事件は、ひも付けしていない人が勝手に口座をつくられて被害に遭っているわけだけど。
 ………………

 さて、ここからは「暗号解読」の話。

 銀行口座からお金を引き出すためには、暗証番号の突破が必要なんだけど、突破のやり方にはこんな方法があるらしい。

①ブルートフォース攻撃

 銀行の暗証番号は4桁の1~9の数字で構成されているから、
 1111
 1112
 1113
 1114
 1115
  ↓
 9999
 まで順次入力していけばいい。
 それをおこなう専用の器械もある。
 ドラマ「半沢直樹」では、金融庁の黒崎(片岡愛之助)がこの器械を使って暗証番号突破をしてましたよね。
 まあ、銀行口座の場合、確か3回の暗証番号の入力ミスでアクセス出来なくなるので、この方法は使えない。

②リバース・ブルートフォース攻撃

 これはまさにブルート・フォース攻撃の逆(リバース)。
 今回の事件では、この手口が使われたと言われている。
 すなわち
 犯人はとんでもない数の銀行口座情報を取得しているので、仮に暗証番号1234を入力すれば、ひとつかふたつはヒットするというやり方だ。
 例えれば、道で鍵を拾った時、付近の家の鍵穴に手当たり次第にその鍵を差し込んでみるという感じ。
 生年月日などの情報を入手してれば、この精度はさらに高まる。

 このように現代は暗号社会なんですね。
 暗号はミステリーや軍事だけで使われるものではない。
 僕たちの日常生活の至る所で暗号が使われている。

『暗号解読』(サイモン・シン著)という本が新潮文庫から出ている。
 エキサイティングで面白い本ですよ。
 古代の暗号から始まって、
 スコットランド王妃メアリーの暗号、
 ルイ14世の大暗号と鉄仮面、
 ジュール・ヴェルヌの「地底探検」の暗号、
 財宝の在処を書いたビール暗号、
 ナチスドイツのエニグマ暗号など古今東西の暗号が紹介されている。
 最近の「量子暗号」とかになると、僕の頭では理解不能。
 ナチスのエニグマ暗号解読をめぐるドラマはさまざまな映画で描かれているが、この本では詳細に説明されている。

 デジタル化が席巻する中、現在の暗号の世界は複雑怪奇。
 古代の暗号では、頭に極秘情報の入れ墨をして髪の毛を伸ばして隠したみたいなのがあるんだけど、昔はアナログで実に素朴だった。

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菅義偉ってフリートーク下手だよね……文春砲では「苦労人はフェイク」が炸裂!

2020年09月10日 | 事件・出来事
 安倍晋三が辞めたから政治ネタはほどほどにしようと思ってたんだけど、
 しょうがないなあ、菅義偉でも遊んでやることにしよう!

 文春砲!
「集団就職はフェイク」
「実家はカリスマ農家 」
「父親は町議・戦争中に大儲け」
「自宅は1.4億タワマン」

 文春砲だからすべてを鵜呑みにすることは出来ないが、おそらく上記の事実は変えられない。
 菅を散々「苦労人」「たたき上げ」と持ち上げて来たテレビはどう言い訳するんだ?
 菅義偉はどう取り繕って「苦労人」のストーリーを再構築するんだ?
 菅の言ってたストーリーって、「政治家になるべく家出して苦学した」って話だったっけ?
 このストーリーづくり、電通とかが噛んでるのかね?
 …………

 演説・フリートークは下手だよね。

 石破茂 →思考が血肉化してるから自分の言葉でしゃべれる。
 岸田文雄→自分の考えはある様子。
      二階や麻生や安倍などに気を遣っているから迫力がない。
 菅義偉 →カンペチラチラ、文書を朗読、ときどき噛む。
      雄弁ではなく言葉は少なめ。

 ゆえにネットではこんな秀逸なコメント。

『安倍総理は無駄に喋ったから答弁の一部を切り抜きで格好良く編集できたが
 菅は必要最低限しか発言しないからうまく編集できないのが痛いな』

 上手い!
 …………

 菅が総理大臣になったらやりたいことって、
「省庁改革」
「デジタル庁創設」だったっけ?

 スケールが小さいよなあ。
「国」や「国民」のためでなく、「霞ヶ関」内部のこと。
「国際社会で日本が果たすべき役割や理想」でなく、「霞ヶ関」内部のこと。
 官房長官として、霞ヶ関の官僚を押さえ込んできた菅らしい発想だ。

 デジタル庁ってのも何やるのかね?
 省庁のデータを一括管理するとか言ってたけど、それをやるためだけの庁なのか?
 日本の遅れているIT技術を推進する庁なら賛成だが、まさかUSBも知らない人物が大臣をやることはないよね?

 菅義偉はどう見ても「総理大臣の器」じゃないよな。
 二番手で権謀術数、裏で糸を引くのが合っている。

 そんな菅が出来るかぎりメッキが剥がれないようにする方法は、
 自分があまりオモテに出ないことだろうな。

 実際、菅は「国会にあまり出ない宣言」をしている。
 あとは、河野太郎官房長官、橋下徹地方創生大臣というウワサが出ているけど、
 自分は隠れて、彼らに大いに語らせるという戦法か?


 就任前から経歴などでウソとゴマかしをおこなっている菅義偉。
 安倍の時と同様、ウソとゴマかしの政治が続きそうだ。
 ウソとゴマかしで現実を見ないうちに、この国はどんどん停滞・衰退していくんだけどなあ。

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「吾輩は猫である」を読む⑦~吾輩は死ぬ。死んで太平を得る。ありがたいありがたい

2020年09月09日 | 小説
「吾輩は猫である」のラストは次のような形で終わる。

 主人の残したビールを飲んで酔っ払ってしまい、水の入った甕(かめ)の中に落ちるのだ。

 ──やられた。どうやられたのか考える間がない。
 我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈(やたら)に掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。水から縁(ふち)までは四寸余もある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。
 その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらも掻いても、あせっても、百年の間身を粉(こ)にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹(かか)っているのは馬鹿気ている。
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙(こうむ)るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。
 次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差し支えはない。ただ楽である。否(いな)楽そのものすらも感じ得ない。日月(じちげつ)を切り落し、天地をして粉虀(ふんせい)して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。


 これが漱石の「死」に対する考え方なんだろうな。

 ひとつは、「死」は突然、不条理にやって来る。
 劇的でも何でもない。
 何とドライでクールな考え方だろう。

 ふたつめは仏教的な人生観。
「出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ」
 仏教ではこれを「諦め」「諦念」という。
 やってもどうにもならないことは諦める。
 老いも死も避けられないんだから、そのまま受け入れる。
 大きな時代の流れを個人が押し戻すことなど出来ないのだから、受け入れる。
 無理に抗おうとするから苦しくなる。

 たとえば、漱石は明治の世の中に違和感を抱いていたが、それを告発することも、社会運動で改革をめざすことも、偽悪で逆に社会を挑発することもしなかった。
 どうにもならないことは抗ってもしょうがないと「諦め」ていたからである。
 やはり漱石は「高踏派」なんですね。

 みっつめは「死」は安らかなものであること。
「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい」

 生きることは厄介で、腹の立つことばかりで、ままならず、不安で、苦しいもの。
 どんなに平凡な人生でも、死や病気の恐怖はあるし、生活やお金の不安はあるし、思いどおりにいかないし、人間関係は厄介だし、何かが欠けてる気がするし、心はいつも落ち着かない。
 そんな中、死は太平をもたらしてくれる。
 南無阿弥陀仏。
 ありがたい。ありがたい。

 こういう心境で死にたいものですね。

「吾輩は猫である」のラストの死の描写は淡々としているが、深くて、ある意味、劇的ですらある。
 猫は見事な市井の哲学者だった。

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「私の家政婦ナギサさん」「親バカ青春白書」~おっさんがモテる時代がついに到来!?

2020年09月08日 | ホームドラマ
 普通のおじさん”が若い女性にモテるドラマが話題となっている。

『私の家政夫ナギサさん』
 相原メイ(多部未華子)は家政夫・鴫野ナギサ(大森南朋)と結婚。
『私の家政夫ナギサさん』の〝家政〟が取れて『私の夫ナギサさん』に!
 このふたり、まさか結婚まで行くとは思わなかったよ。
 本日(9/8)はふたりの結婚生活を描いた2時間SPが放送!
 
『親バカ青春白書』
 小比賀太郎(ムロツヨシ)は衛藤美咲(小野花梨)にアプローチされている。
「あたし、ガタローのカノジョに立候補しちゃおうかな?」
 第6話ラストでは酔った勢いだけど、ガタロー、美咲にキスされちゃった!

 さて、この2作品を見ての僕の感想だが──
 つ、ついに、おっさんの時代が来たか!
 今まで忌み嫌われてきたおっさんがついに輝く時が!
 つまり僕もモテる!

 んなわけあるかーーっ!
 勘違いしてはいけない。
 現実とフィクションを混同してはいけない。
 シビアに現実を見つめよう。

 しかしな。
 平凡で毎日が同じように流れていく日々の中、
 勘違いして、すこしくらい夢を見たっていい気もする。

 フィクションは生きていく上でのビタミン剤なんですよね。
 ナギサさんやガタローがモテてるのを見て、
 もしかしたら……と勘違いし、明日はもう少しがんばって生きてみようと思う。

 まあ、僕の美学は『男はつらいよ』なんですけどね。
 こんなヤクザな男を好きになっちゃいけねえ。
 愛する女性の幸せを願って身を引く。
 このやせ我慢。
 人生は涙と哀しみ。

 でも、『親バカ青春白書』のガタローのように、ときどき青春したくなる。


※関連記事
 大森南朋、ムロツヨシ「おじさんドラマ」ブームで勘違いする普通のおじさんたち(日刊SPA!)

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映画「ビブリア古書堂の事件手帖」~びっしり本が詰め込まれた薄暗い店内の奥に美少女がいる

2020年09月06日 | 邦画
 映画「ビブリア古書堂の事件手帖」
 テレビドラマの剛力彩芽版じゃなくて、栞子役を黒木華さんが務める黒木華版だ。
 やはり地味な役は黒木さんがよく似合う……(笑)

 物語は、原作の「それから」(夏目漱石)、「晩年」(太宰治)を組み合わせたもの。

「それから」パートでは、大輔(野村周平)の祖母・五浦絹子(夏帆)のせつない恋愛話をふくらましている。
 50年前の絹子と田中嘉雄(東出昌大)を具体的に描いている。

「晩年」パートでは、栞子が持つ稀少本「晩年」を狙う謎の男・大庭葉蔵との戦い。
 サスペンスな展開になっている。

 いわば、恋愛ドラマとサスペンスドラマを両方、愉しめるというわけだ。
 ……………………

 本作の魅力と言えば、やはり「ビブリア古書堂」の雰囲気・匂いだろう。
 天井までいっぱいで、木製棚にぎっしり詰め込まれた本。
 店内は薄暗く奥行きがあり、御堂のようで、まさに「古書堂」という言葉がふさわしい。
 これが「古書店」だと明るくなってしまう。
 そんな薄暗い店内の奥──机に積み上げられた本の山の中に美少女・栞子さんがいる。

 何と幻想的な光景だろう。
 ビブリア古書堂に足を踏み入れることで、観客は異世界にトリップする。

 しかも、薄暗い古書堂の奥にいる美少女は名探偵。
 本の査定をしただけで、その本に関わった人たちのドラマを読み取る。

 本は読者をここではない異世界に誘うものだが、この作品はさらに面白い仕掛けを施している。
 古書「それから」が大輔の祖母の恋愛話に展開していったように、本が異世界への扉を開くのだ。
「それから」を読んで、漱石の書いた物語世界に浸るのは通常の読書行為。
 だが、この作品はそれだけでは満足しない。
 古書「それから」を通して、大輔の祖母の恋愛話の世界に誘っていく。
 この点で、映画版が大輔の祖母の恋愛話をていねいに描いたのは正解だ。

 ビブリア古書堂。
 これが街にあったら素敵だろうな。
「幻想スポット」が街中にある感じ。
「異世界への扉」がある感じ。

 でも現在はスクラップ&ビルドで街からこういうスポットが失われてしまった。

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枝野幸男、バカになれ!~インテリをやめて大衆の心をつかめ!

2020年09月05日 | 事件・出来事
 昨日おこなわれた立憲民主党・枝野幸男代表の新党党首出馬会見。

 いやあ、話題にならないなあ。
 自民党の総裁選にかき消されている。
 ケンカが下手なんだよな、発信力がイマイチなんだよな、枝野さんは。

 良いことはたくさん言ってる。

 コロナで冷え込んだ消費を刺激し、経済再生をおこなうために、
①年収1000万円程度までの中間層を中心とした所得税の時限的な免除
②消費税の時限減税
③困窮している皆さんを直接かつ速やかに支援していく1人あたり月1万円程度
 世帯単位ではない個人単位の定額給付金制度化
④金融資産課税を始めとする富裕層の所得税
 多額の内部留保を抱えた法人に関する法人税を強化


 何だ、時限的とはいえ、
「消費税減税」
 を言ってるじゃないか。

 これを全面に打ち出して下さいよ。
 これだったら山本太郎と組めない?
 山本さんは「消費税廃止」だから抵抗すると思うけど、
 山本太郎ひとりを説得できないで、どうして国民に「よし、枝野に任せてみるか」と言ってもらえる?
 それは新党に参加しなかった玉木雄一郎への説得にも言える。

 枝野さん、どうもこういう所がお上品なんだよな。
 インテリの悪い所。
 敵(自民党)はなりふり構わず、下劣なこともやって来るんだから、お上品な正論では負けてしまう。

 枝野さんは「草の根運動」=下からの党勢拡大にこだわっているみたいだけど、
 メディアを使った上からの戦略・劇場型の戦略も重要じゃない?
 何しろ
「安倍さん、可哀想」で支持率が上がり、
「菅さん、パンケーキが大好き」で支持率が上がる国民だよ。

 枝野さんはこんなことも言っている。

「政治に私たちは見えていますか?」という問いかけに対して、
「政治は、ちゃんとあなたを見ている。政治は、あなたのぶつかっている現実の壁を知ろうとし、ともにその現実を変えるために存在している」。
 自信をもって、まっすぐに国民の皆さんに伝えられるよう、私自身が大きく踏み出さなければならない。


 良いことを言っていると思う。
 でも、「私自身が大きく踏み出さなければならない」と言っているとおり、今はあまり国民の生活を見てないですよね?
 山本太郎の方が全国を遊説して、さまざまな声を聞いている。
 遊説で罵声をあびても「ありがとうございます。そんなあなたも幸せにしたいんだ」と話をしている。
 枝野さんは真面目で愚直な方だと思うけど、バカにはなり切っていない。

 枝野さん、インテリでは大衆はついて来ません。
 このままだと、連合票+熱烈な野党支持者票だけで終わってしまいます。

 だから敢えて言います。

 枝野幸男、バカになれ!

 小池百合子から排除されて、立憲民主党をつくった時、枝野さんや立憲民主党にはインパクトがあった。
 それは、あの時、枝野さんが捨て身で必死だったからです。


※関連サイト
 【全文】新党代表選出選挙への出馬会見 #枝野出馬会見 2020年9月4日

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「吾輩は猫である」を読む⑥~生産性のない、ぐうたら過ごす人間の方が上等なのだ!

2020年09月04日 | 小説
「吾輩は猫である」には、漱石が明治の人間をどう見ていたか、という描写がある。

 まずは銀行家と役人。

 銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金のように見えてくるそうだ。
 役人は人民の召使である。用事を弁じさせるために、ある権限を委托した代理人のようなものだ。
 ところが委任された権力を笠に着て毎日事務を処理していると、これは自分が所有している権力で、人民などはこれについて何らのくちばしを容るる理由がないものだなどと狂ってくる。(新潮文庫版P406)


 役人の件などは現在にもあてはまるな。
 役人は権力を委任されただけなのに自分の力だと勘違いしている。
「ある権限を委托した代理人」なのに偉そうにしているし、人民の代表の国会では平気でウソをつく。
 これは政治家も同じで、彼らには「公僕」であること、漱石流に言えば「人民の召使」であることを忘れないでほしい。

 金儲けを第一とする人間に対しても、漱石は不快感を表明している。

 しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。
 中学などの少年輩までが見様見真似に、こうしなくては幅が利きかないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々と履行して未来の紳士だと思っている。
 これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。
 吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。
 こんな働き手を見るたびになぐってやりたくなる。
 こんなものが一人でも殖えれば国家はそれだけ衰える訳である。
 こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。
 恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。
 日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。情なさけない事だ。(新潮文庫版P410)


 金儲けをするために、騙し、生き馬の目を抜き、脅し、陥れる者たち。
 漱石は彼らを恥を知らない「ごろつき」と呼ぶ。
 現代社会でも、政治家にヨイショして、中抜きした利益をキックバックして、税金を貪る輩がいるからな。
 まあ、こんな「ごろつき」になることが資本主義社会で幅を利かせることなのだが、漱石はこういう輩が殴ってやりたくなるほど大嫌いなのだ。

 そして、働きもなく、駄弁を弄して、日々ぐうたら過ごす主人・苦沙弥先生に言及する。

 こんなごろつき手に比べると主人などは遥かに上等な人間と云わなくてはならん。
 意気地のないところが上等なのである。
 無能なところが上等なのである。
 猪口才でないところが上等なのである。(新潮文庫版P411)


 ここ、すごいな。
 意気地がなくて無能で生産性がないことが上等で素晴らしい、と価値観を転換させた!
 ぐうたら過ごす人間の方が、他人を騙したり、陥れたりしないから、人間として上等なのだ!

 僕はこのくだり好きなんですよね。

 資本主義社会に組み込まれて、ずるいこと、他人を陥れることをするよりは、
 それから外れてのんびり生きた方がいい。

 僕が漠然と思っていたことに漱石からお墨付きをいただいた。
 
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愛の不時着 第3・4話~ジョンヒョクって王子様だよな。ヒロインが困った時に助けに来る

2020年09月03日 | その他ドラマ
「愛の不時着」
 今回は男性主人公 リ・ジョンヒョク(ヒョンビン)の話をしましょう。

 リ・ジョンヒョク
・北朝鮮将校~前哨地帯中隊長・大尉
・北朝鮮の有力者の息子
 しかし、それを公にして権力を振りかざすことはない。
・将来を嘱望されたピアニスト~スイス留学の経験あり。
・生真面目、自己表現が下手
・イケメン

「イケメン」「権力者の息子」「天才ピアニスト」
 という点で、「王子様」要素十分だなあ。

 実際、王子様として北朝鮮に不時着したヒロイン ユン・セリ(ソン・イェジン)を助ける。

・保衛部や村の人間にセリが潜伏していることがバレた時は、
「僕の婚約者です」とウソを言ってかばう。
・セリが山で不用意に無線を使って保衛部がやって来た時は、
 セリを抱きかかえ、パラグライダーで逃げる。
・南朝鮮に漁船で逃げるセリが臨検の船に捕まった時は、
 キスをして恋人同士を装う。
 セリに言わせれば、それは「キス」でなく「チュー」(=お子ちゃまのキス)らしいのだが(笑)
・セリが市場で道に迷って地方に暮れている時は、アロマキャンドルをかざして探しに来る。
 アロマキャンドルはセリがずっと欲していたもの。
・物資が十分でない北朝鮮で、「インスタントでない本格的なコーヒーを飲みたい」というセリのためにコーヒー豆を煎ってコーヒーを淹れてくれる。

 これだよなあ、韓流ドラマは。
 こういう王子様要素をあざとく前面に押し出して来る。
 物静かで自己表現が下手な王子様だが、さりげない優しさを見せたり、いざという時に全力でヒロインを助けに来る。
 こういう正統派の王子様は日本のドラマにはいないよな。
 敢えて言えば「花より男子」くらい。

 一方、ヒロインのセリ。
 彼女は相変わらずタフでたくましい。
 南朝鮮に帰るためには、ジョンヒョクを出世させて権力を持たせること(~セリはジョンヒョクが権力者の息子であることを知らない)だと考えた彼女は村で一番偉い大佐の妻に取り入る。
 大佐の妻の誕生パーティで、
「美しい人の隣にはいたくありません」
「同じ年だと思っていましたわ」
「もしかして私より年下ですか?」
 と、おべっかを使う(笑)
 結果、セリは大佐の妻に気に入られて、村で存在感のある女性に!

「物静かな王子様」と「たくましいプリンセス」

 王子様とプリンセスは、物語の基本なんですね。
 これをいろいろアレンジして、時代や状況設定を変えると「愛の不時着」になる。

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石破茂氏の政治理念は『納得と共感』~納得し、共感してもらうまで説明を尽くす。安倍晋三と真逆の姿勢だ

2020年09月02日 | 事件・出来事
 石破茂がテレビに出まくっている。
 理由は総裁選のこともあるが、「自分の政策・理念・考え方を理解してもらいたい」からだそうだ。
 負ける戦いでも敢えて出馬するのは、こうした場を与えられるから。

 さて、そんな石破氏の理念が『納得と共感』だそうだ。

「自分の政策を国民に納得してもらえれば共感も得られる。
 共感が得られればいっしょにがんばろうという気持ちになる」

「これからの経済情勢、国際情勢で国民にきついお願いをすることもある。
 その際に重要なのは『納得』してもらうこと」

 素晴らしい!
 今までの安倍政治と真逆だ。
 安倍政治は国民の納得と共感を得られないまま、数の力で強行突破だったからな。
 結果、さまざまな政策の世論調査で「納得していない」「もう少し時間をかけるべき」が多数。
 安倍氏はしばしば「説明責任」を口にするが、逃げたり、はぐらかしたり、官僚の答弁書を繰り返して読むなど、十分に果たしたことがない。
 石破氏の『納得と共感』が本物なら石破首相は「説明」から逃げないだろう。
 予算委員会でいくらでも説明するし、記者会見もおこなう。
 もちろん人はさまざまだから完全な「納得と共感」なんて得られないんだけど、この姿勢は素晴らしい!

 僕が求めているのはこれなんだよな。
・国会で議論を聞きたい。
・国会や記者会見で十分な説明を聞きたい。
・首相には作文でなく、自分の言葉で語ってほしい。

 たとえ意見が違っても、十分な説明がなされていれば、大きな分断なんて起きないんだよ。
「ああ、石破さんはこう考えているのか? 意見は違うけど、もう一度考えてみよう」
 となる。
 たいした説明をせずに政策を強引に押し通すから反発・怒りが起こる。
 沖縄の辺野古基地問題なんかがいい例だ。
 安倍氏は一度でも沖縄に説明に行ったか?

『納得と共感』
 良い政治理念だな。

 菅義偉が首相になったら、いつもの「問題ない」「批判にはあたらない」を繰り返すのかな?
 これは完全にコミュニケーションを拒絶する姿勢だと思うんだけど。

コメント (4)
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