EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

JR豊肥本線

2007年08月19日 | 九州

020817houhiasoboy15  JR豊肥本線には99年3月の第2次九州遠征で全線乗車し、02年8月の第3次九州遠征で熊本~阿蘇間で乗車している。1回目の乗車はキハ185系による特急あそで、2回目は熊本~肥前大津間815系、肥前大津~阿蘇間キハ200に乗っている。1回目の時は急行えびので肥薩線乗り潰し、熊本で少しブレイクした後、午後の特急あそで大分まで乗っている。コンパクトカメラで撮った写真は残っているが、九州横断特急全盛の時代となり、特急あその写真が貴重となっているので、もう少し小マシな写真を撮っていればなぁ…と後悔している。有名な立野の3段スイッチバックもつつがなく通過して、それ以外は波野村ってオ○ム事件でよく耳にしたなという程度であまり印象に残る景色はなかった。

 2回目の豊肥本線はたまたま両親が阿蘇まで観光で来ていたので、私の鉄旅行とドッキングして阿蘇から大阪までクルマを運転するという家族サービスを伴ったため、熊本から阿蘇まで豊肥線に乗って、阿蘇からは草千里などを観光して運転手として大阪まで帰っている。両親が阿蘇駅に到着するまでの時間を利用して阿蘇駅近辺であそBOYの撮影を試みた。この当時は大阪近郊での駅撮りはそれなりにこなしていたが、フィールドでの撮影はほとんどしてなかったので、異例の撮影となった。この頃はデジ一はまだまだ高嶺の花でコンデジが幅を効かせていた時代に買った富士フイルムのFinePix 4900Zを使用していた。コンデジとしては最高峰に近い種類のカメラでシャッターのタイムラグなどを感じながらも走行写真もそれなりに撮れていた。今でもデジ一は高嶺の花ということで手を出さず、コンデジの最高峰とも言えるパナソニックのFZシリーズ(20→30→50)を愛用している。あそBOYの写真は見ての通りで、日が陰ったこともあり暗い出来の悪い写真で逆光にもなっているので位置取りもよくない最悪の写真となっている。SLの姿が何とか見られるように補正してこのレベルだから場所取りから腕に至るまでロクでもない写真だったと言える。位置取りも未だにいい加減な設定ではあるが、腕の方はさらに輪をかけて一向に上達していない。


JR日南線

2007年08月18日 | 九州

070812nichinan40  JR日南線には99年春に行った第2次九州遠征で乗り潰しを達成している。乗ったのはその1回きりで撮った写真も上の1枚と宮崎を訪れた時に撮ったキハ31系の写真しかない。99年春に乗った時は、大阪南港からフェリーに乗って志布志港へ着いて、バスで志布志駅まで行って、日南線列車に乗っている。志布志はかつて大隅線、志布志線が発着していた鹿児島県東南部の中心駅で、かつては機関区があり構内も広かったようだが、私が訪れた時には既に駅が移転しており、空き地が広がるだけで、ぽつんと1面1線があるさみしい終着駅になっていた。かつての駅跡地には志布志鉄道記念公園があるらしいが、フェリーとの乗継ぎ時間が短く見物している暇はなかった。日南線は本などで海沿いを走る風光明媚な路線というイメージを持っていたが、海沿いを走るのはほんのわずかでほとんど海から少し離れた位置を走っていたので、案外な印象が残っている。生涯好きになれないと思われる読売巨人軍(昔のように憎たらしいほどの強さがないのが残念)がキャンプを張る地でもあり、宮崎は巨人の土地という悪しきイメージもあったが、私が訪れた時にはキャンプなどとおの昔に終わり、プロ野球はオープン戦真っ盛りで、日南線沿線には巨人の巨の字も見当たらなかった。

Jk20  日南線を訪れる機会はしばらくなく、18で日豊本線を巡った時に、宮崎で同線気動車を見たのと、その時宮崎空港線に写真を撮りに行ったので、南宮崎~田吉間でちょい乗りしている。漸く日南線に乗ろうと思ったのが、つい先日のことで、九州遠征のついでに時間があるので、途中油津まで乗って折り返すという強行軍で久々に日南線に乗ることにした。ドリームにちりんで宮崎に降り立ったのは8月12日のこと。前夜は博多へ乗り込んで並んでドリームにちりんの自由席の1席をGETして、ぐっすり眠りについた。当初は小倉から乗るつもりにしていたが、同列車の指定席予約状況を見て、小倉からはやばそうということで、博多まで乗り込み席を確保することに専念した。功を奏して心地よい朝を迎え、颯爽と日南線に乗り込んだ。予想通り早朝からの列車は空いており、油津まで余裕の旅を楽しめた。日南線のハイライトである海岸線を走るポイントは油津以遠となっているため、平地区間に乗るのみであまり面白くはなかったが、居眠りをしながら乗っていた前回の乗車と違い“乗った”という感覚を残して立ち去れたのは収穫だ。残念なのは志布志まで乗れなかったことと、旧志布志駅構内に保存されている車両を見物できなかったこと。また、志布志からバスに乗って、鹿児島方面へ抜けるという技を使えなかったことぐらいだろうか。次回日南線を訪れる機会があるかどうかはわからないが、次回乗る時は終点まで乗りたい。


JR肥薩線

2007年08月13日 | 九州

040724hisatsu1402125izaburoshinpei  JR肥薩線には3度乗車している。97年春の第1次九州遠征、99年春の第2次九州遠征で、いずれも宮崎から急行えびのに乗り、1回目は人吉で当時アクアエクスプレス用の車両を使用していた急行くまがわに乗り換え熊本まで乗っている。2回目は熊本まで急行えびのを通しで乗っている。急行えびのはキハ58、65系のアコモ改造車が充てられており、アコモ改造車の中にもグリーン車の座席を使用したものと普通車のリクライニングシートの座席を使用したものがあり、1回目の乗車ではグリーン車用の座席の車両に当たりかなり快適に過ごせた。2回目は1回目の頭があったので、当然グリーン車用の座席で来るだろうと思っていたら、普通車用のリクライニングシート車に当たったので落胆したのを思い出す。普通車用でもボックスシートに比べれば断然快適であるのは間違いないが、グリーン車用の座席があまりにもよかったので、その印象が強く残ってしまっていた。但し、どちらの車両も改造車のため窓割りが合わないので、景色が見えにくい位置が出てくるという欠点はあった。

040724hisatsu1402066hayatonokaze2  1回目に乗った急行くまがわはアクアエクスプレス用車両の当初香椎線のリゾート用として造られたジョイフルトレインで、1-2の配置のクロスシートで、2列側の一部シートは座席が窓側に向くようになっており、定期列車用としては異例の車両だった。私のあやふやな記憶では球磨川を望みながらの道中だったはずなので、窓向きになる座席に座って肥薩線の旅路を楽しんでいるはずだ。

 3回目の肥薩線乗車は04年7月24日、25日の九州遠征で、九州新幹線の初乗りのついでに、久しぶりに肥薩線に乗ろうと計画を立てた。鹿児島中央から日豊本線で隼人まで出て、隼人から肥薩線の旅を楽しんでいる。隼人~吉松間は第1次、第2次九州遠征の際にも乗っていない乗り残し区間だったが、02040724hisatsu185kyusyuodantokkyu3 年8月の九州遠征で隼人~吉松~都城のルートで乗り潰しをしている。隼人から吉松までキハ58系普通列車に乗り、吉松で待ち時間中に特急はやとの風の入線などを撮影して、それに連絡する上りしんぺいに乗って3度目の大畑ループ線を楽しんでいる。人吉~吉松間の普通列車で愛称が付く列車は下りがいさぶろう、上りがしんぺいとなっている。この頃はまだいさぶろうしんぺい用の気動車は指定席のみで、自由席にはキハ31系などがぶら下がっていた。上りなのでキハ31系が先頭になっていたので、私は自由席の先頭車に陣取ってかぶりつきを堪能した。途中真幸、矢岳、大畑では長時間停車時分が取られ、ホームに降りて駅を見物できるだけの時間が取られていた。他の定期列車はそこまで時間が取られていないと思われるが、いざぶろう、しんぺいに関しては地元利用を度返しにした観光用のダイヤが組まれている。現在では自由席車も専用車両に置き換わっており、ますます観光色が強くなっていると言える。九州新幹線が全線開業すれば熊本や新八代経由で肥薩線沿線への観光需要も増える見込める。観光列車の素地を整えているという点では現状の肥薩線は将来的にも観光路線で生き残っていくという方向性が見えているので廃止云々の話は今のところ出てくることはないだろう。040724hisatsumasaki8


JR日豊本線宮崎~鹿児島間

2007年05月20日 | 九州

020816nippou485kirisima3  日豊本線この区間の乗り潰しは宮崎~都城間が1997年春の九州遠征、都城~鹿児島間が2001年夏に達成している。97年遠征時には急行えびのに乗り、都城から吉都線を経由して熊本へ至るルートを選定し、途中人吉で急行くまがわに乗り換えている。99年にも第2次九州遠征をしているが、この時も急行えびので同じルートを乗っており、この時は熊本まで乗り通している。01年遠征で漸く都城~鹿児島間の乗り潰しを達成したが、この時はドリームつばめで鹿児島入りして、特急きりしまに乗って、隼人から肥薩線に入り、吉松で吉都線に乗り換えて都城まで出て、そこから折り返し西鹿児島(現鹿児島中央)まで特急きりしまに乗るという手間のかかった乗り潰しルートを敢行している。

020816nippou475g36  その後05年8月27日、28日に遠征した時に、日豊本線~鹿児島本線の普通列車で九州を1周しており、その時に夕方前の宮崎~鹿児島中央間に乗っている。この時乗ったのは475系普通列車で堂々6両編成だった。九州の475系も07年3月18日の改正で運用を離脱してしまったので、この時乗った475系が私にとって九州で最後の475系乗車となった。日豊本線の475系で思い出すのはグリーン車改造のクハ455-600だ。窓割りからして明らかにグリーン車からの改造とわかる車両で、予備知識もなく見た時の新鮮さは今でも忘れられない…大げさですけど。


JR佐世保線

2007年05月19日 | 九州

040725sasebo783cm23midori2  JR佐世保線に乗ったのは97年春の九州遠征の後半に大村線で佐世保まで出て佐世保から当時赤い485系で運転されていた特急みどりで肥前山口まで乗り通している。生憎の雨で佐世保から肥前山口まで乗って肥前山口から長崎本線で長崎へ引き返したのを思い出す。雨が降っているため景色もよく見えずというかあまりじっくりと景色を楽しむという感じではなかった。この時早岐でハウステンボスと連結作業を行ったはずだが、この頃降りて見物するというような趣味は趣味はなかった。

040725sasebo817v20  佐世保線にはその後第4次九州遠征(2003年12月20日、21日)で、筑肥線、唐津線などの乗り潰しをして、松浦鉄道で伊万里から有田へ出て、有田から佐世保線に乗っている。この時は18きっぷだったので817系で肥前山口、鳥栖方面へ向かっている。その後は2005年7月24日、25日の第5次九州遠征で大村線で佐世保に出た後に佐世保から佐賀まで817系普通に乗っている。夕方前の時間帯だったが、この時間帯は811系も佐世保線に乗り入れているらしく、途中駅で811系と交換したのが目に新しかった。

 佐世保線は今後武雄温泉~長崎間で建設される長崎新幹線との関係が深まるものと思われる。同新幹線ではフリーゲージトレインの導入が検討されており、新鳥栖から九州新幹線に乗り入れるという話もあるので、佐世保線にもフリーゲージトレインが走る可能性はある。将来的にはまた乗りに行かなければならない…という手間と楽しみがある路線だ。逆に言えばそれまでは783系みどり・ハウステンボスが走るのでしばらく行く必要はないともいえる。


JR大村線

2007年05月18日 | 九州

040725oomura2005  JR大村線には1997年春の九州遠征時の後半に乗っている。長崎観光を終えて帰りの夜行(あかつき)まで時間があるので大村線と佐世保線にでも乗ろうかと思って諫早まで何で行ったのか忘れたが、諫早から大村線の快速シーサイドライナーに乗り込んだのを思い出す。キハ200で座って行けた記憶があるが、記憶違いかもしれないが、先行の列車も大村線列車に乗って座れなかったので諫早で降りて後続の列車に乗ったのかもしれない。大村線の印象は海沿いを走る路線というのが強く残っている。キハ200には大村線乗車前に篠栗線で体験済だったが、赤い快速に比べて青い快速は遅いという印象以外は特に変わったところはなかった。もちろん外装は赤から青に変わり雰囲気はまったく違ったものになったという印象はある。

061216omura66112  大村線にはその後第5次九州遠征(2005年7月24日~25日)で、7月25日に長崎方面の乗り直しをした時に、長崎から佐世保まで快速シーサイドライナーに乗っている。この時は全面かぶりつきをするつもりだったので、長崎から立って行ったが、長崎からでも立ち客が出て、諫早からさらに乗ってくるという状態で結構混雑していた。長崎~佐世保間の直通利用も少なくないが、長崎、諫早から大村線内への利用も結構多いようだ。今後長崎新幹線が開業するとそれと佐世保方面へのフィーダー輸送も担うことになりそうだから大村線は今後発展していく可能性がある。現在は非電化路線だが、効率を考えれば長崎本線旧線とともに電化して長崎本線、佐世保線とともに817系などの電車を運行するようにすれば効率が良くなるのではなかろうか?


JR長崎本線

2007年05月17日 | 九州

061216nagasaki783cm52  JR長崎本線には1997年春の九州遠征の際に鳥栖~長崎間のうち、喜々津~浦上間の旧線を除く全線を乗り潰している。最初に乗ったのはドリームつばめで博多に入り、折り返し朝一のかもめで長崎へ向かった時にとりあえず新線の完乗を果たしている。この時は長崎で宿を探すために朝一で長崎へ入り、宿を見つけてさらに折り返しかもめに乗って博多へ出て、博多から快速で小倉へ移動して、モノレールで小倉競馬場まで行っている。折り返しの際は485系赤いかもめに乗っている。赤いかもめに乗ったのはこれが最初で最後になった。この当時はまだ783系かもめが主流で、肥前山口以西はカーブがきついのでゆっくり走らざるを得なかった。その後競馬場帰りに夕方の博多発のかもめに乗ったが、自由席は立ち客満載の状態で博多を出た。私も乗り継ぎに余裕がなく席にありつけず立ったまま佐賀まで行った。佐賀で空いて席にありつけたが、長崎まで行く人も多くかもめ人気を実感したものだ。

031220nagasaki817v25  この第1次遠征の帰りに長崎から寝台特急あかつきに乗っている。この時は長崎本線を2往復もしているが、そのうちの片道1回はこのあかつきでの道中となった。ソロ初体験を果たしたが、上段がよかったのに下段しかとれずあまりいい景色ではなかったのを思い出す。また、付属のオーディオも若者向きの音楽はなく、手持ちのMDやCDが挿入できるオーディオシステムならいいのになと思ったものだ。この頃グリーン車などでも航空機を意識してかオーディオや液晶テレビを付ける車両が多かったが、多様化したニーズに応えることができなかったのか、どの車両も中途半端なサービスとなり、今ではほとんど姿を消している。

 次に長崎を訪れたのは第2次九州遠征で、この時もまだ783系かもめが主体で、485系赤いかもめも走っていたかもしれないが、私は乗っていない。第3次九州遠征時には885系が既に登場しており、長崎まで885系白いかもめで往復している。この時はグリーン豪遊券だったので行きはグリーン、帰りは試しに自由に乗っている。凝った造りの車両だが、全面展望に関しては783系に比べて後退している感がある。

040725nagasaki885sm4  長崎本線を乗り歩いた…というほどでもないが、普通列車で乗り歩いたのは第5次九州遠征のときだ。九州新幹線の初乗りと肥薩線の乗り直しなどを行い、熊本に泊まり、翌朝三角線の乗り潰しをして、あとはひたすら北上して鳥栖からは長崎本線をひたすら西へ向かい、長崎で速効折り返して大村線~佐世保線と経由して、佐賀からかもめに乗って博多へ戻るという鉄100%の旅をしている。博多からはムーンライト九州で帰阪して、翌朝平日の京阪本線の撮影に出かけているのだから狂人だ。

 次に長崎を訪れたのは2006年末の12月16日、17日だ。この時は18きっぷを利用して島原鉄道と松浦鉄道の乗り潰しをしている。長崎本線には普通列車で鳥栖から諫早まで乗り、島原鉄道乗り潰し後に諫早から旧線経由で長崎へ出ている。夜だったので景色は望めなかったが、旧線も長崎市の061217nagasakied76697 住宅地を走っており、本数、利用とも案外多い。大村線と共通運用の気動車で運転される非電化路線だが、将来的には電化してもおかしくない路線と言える。長崎で一泊して翌日は松浦鉄道乗り潰しの前に、長崎本線であかつきの撮影に挑んだ…が天候が悪く当初予定していた小長井近辺での撮影を断念して現川での半端な撮影に終わってしまった。現川であかつきが特急を待避するであろうという予想はしていたが、対向列車との行き違い待ちも含めて20分程度停まるとまでは思いも寄らず撮影は見事に失敗して入線時の画が撮れなかった。さくら亡き後長崎本線唯一のブルトレとなったあかつきだが、終着駅を前に特急待避だけでなく普通列車との行き違いのため長時間停車を強いられるとは朽ち果てたものだ。廃止間際の列車を思わせるダイヤとはこのようなダイヤなのかと思わせる。長崎本線自体将来的には肥前山口~長崎間は新幹線に置き換わってしまうので、在来線特急は実質廃止となる予定だ。寝台特急あかつきはそれ以前に廃止となる可能性が高いが、もう少し何とかならんのかとファンとしては思ってしまう。


JR日豊本線大分~宮崎間

2007年05月13日 | 九州

050827nippo713lk904  日豊本線のこの区間の乗り潰しは1997年春の九州遠征で乗ったドリームにちりんにて達成している。この第1次九州遠征ではそれ以外には日豊本線大分~宮崎間には乗っていない。乗り潰し趣味の人の中には眠っている間に通り過ぎるのをよしとしない人もいるが、当時の私はそんなことお構いなしで、乗ればそれで乗ったという感じだった。今は多少認識は違うが、より早く乗り潰しを達成するのであれば、景色もへったくれもなしに乗れるだけ乗ればいいと思う。

 この区間に陽があるうちに乗ったのは第2次九州遠征の時で、この時はフェリーで志布志へ入り、日南線を乗り潰して日豊本線を普通電車で北上している。確か18きっぷを利用しているはずだが、延岡以北も普通に乗ったかどうかは記憶にない。延岡~大分間は本数的に普通に乗るより特急に乗った方が楽だが、学生時代のことだから、普通列車の時間に合わせて移動しているに違いない。この時宗太郎越えを経験したわけだが、何に乗ったか記憶していないということはおそらく道中のほとんどが睡眠時間だったに違いない。この遠征の時にはさらに2日後のドリームにちりんで同区間を通過している。

050827nippo783cm32  この後は日豊本線に乗っても大分までで、大分以南とはしばらくご無沙汰だった。第8次九州遠征で、日豊本線を南下して、帰りは鹿児島中央から鹿児島本線~肥薩オレンジ鉄道を北上するルートで、久しぶりの日豊本線を堪能している。この時は18きっぷ利用だったが、大分~延岡間は列車本数の都合で特急を利用している。どうせならということで先頭のグリーン車のトップキャビンを指定して前面展望を楽しみながら宗太郎越えなどを楽しんだ。延岡からは717系のサンシャインに乗って宮崎空港まで行っている。この時延岡で高千穂鉄道を見て、いずれ乗りに来ねばと思って写真を撮ったのを思い出す。この後台風の影響で高千穂鉄道が再起不能になろうとはその時には思いもしなかった。高千穂鉄道が部分復活する可能性もあり、その時にはまた日豊本線を使って乗り潰しに行くことになるが、それまではしばらく日豊本線には用事はなさそうだ。


JR吉都線

2007年05月12日 | 九州

020816kitto40  JR吉都線の乗り潰しは1997年春の九州遠征にて、急行えびのに宮崎~人吉間に乗車した時に達成している。この頃はまだ九州でも急行が健在で、吉都線にはえびの、肥薩線にはえびの、くまがわが走っていた。私は宮崎までドリームにちりんに乗り、朝一の急行えびので宮崎から吉都線を経由して熊本まで至るルートを辿っている。急行えびのはキハ58系のアコモ改造車でグリーン車で使用されていた座席を転用していたので非常に快適だったのを覚えている。Jk25 これでもかというぐらいリクライニングするシートは快適だったが、改造車のサガで、窓割りは全く合っていないのは残念なところだった。その後急行えびのには第2次遠征でも乗っているが、このとき乗った車両は最初に乗った車両ほどのシートを使用していなかった。車両によってアコモ改造の度合が違うようだ。

Yosimatu1  吉都線にはその後乗る機会もなかったが、2002年に肥薩線の乗り潰しの際に再度訪問している。この時はすでに急行えびのはなく、キハ40単行気動車で吉松から都城まで乗っている。平野から山へ上っていく吉都線だが、車窓は肥薩線に比べて単調でどちらかというと面白みに欠ける路線ではある。肥薩・吉都ルートは博多や熊本から宮崎に抜ける短絡ルートになるが、並行して走る九州道や宮崎道に敵う代物ではない。肥薩線は観光列車を走らせて観光客を呼び込んでいるが、吉都線でも何らかの施策を展開しないと廃止という話が出てきてもおかしくはない。


JR久大本線

2007年05月10日 | 九州

060806kyudai716  JR久大本線には第1次九州遠征の際に別府から特急ゆふに乗り、久留米まで全線乗り通して終点の博多まで乗っている。特急ゆふはキハ185系を使用しており、かぶりつき好きの私は一番前の席を確保して久大本線かぶりつきの旅を楽しんだ。但し、別府で温泉に浸かった後だったので途中睡魔が襲い大半は眠っていたように思う。

 久大本線にはその後第2次九州遠征の際にゆふいんの森に初乗車して、こちらも博多から別府まで乗っている。この2回の遠征では由布岳の存在もあまり認知していなかったので、豊肥本線などに比べて面白みに欠ける路線というイメージがあった。

 その後は久大本線からしばらく遠ざかっていたが、05年1月2日の北九州遠征の際に日田彦山線乗り潰しをした後に夜明から久留米までローカル列車の旅を楽しんでいる。久留米近郊は結構住宅が立ち並んでいるので、電化するなり駅を増やすなりして都市近郊輸送を担った方がよいように思う。高速道路が発達した今では観光輸送だけではそのうち成り立たなくなる可能性があるので違った方面でも生き残り策を考えなければなあらない。

 次の遠征は06年8月6日の九州遠征で、この時は熊本方面へ遠征して、帰りに久大本線~日豊本線で撮影をして帰るという日程で遠征している。久留米からゆふいんの森に乗り、由布院で降りて、さっそく由布院駅付近で撮影を行い、由布院からローカル列車で大分まで出ている。由布岳をバックにした画を撮ってようやく久大本線らしい画が手に入って満足して帰宅している。


JR福北ゆたか線(篠栗・筑豊線)

2007年05月08日 | 九州

050102fukukitayutaka817vg103  JR篠栗・筑豊線には1997年春の第1次九州遠征時に乗り潰している。この頃はまだ福北ゆたか線という愛称はなく、電化もされていなかった。博多からキハ200系の赤い快速の先頭車にかぶりついて直方まで行き、直方で乗り換えて若松まで乗り潰している。キハ200は気動車にしては素晴らしい車両で、関西線のキハ75系と並んで快速用気動車の傑作と言える。キハ75系は120km/hでがんがん飛ばすイメージがあるが、キハ200系は走る線路が悪いのかそれほど飛ばすイメージがない。今でも大村線の快速シーサイドライナーなどで活躍しているが、あちらの快速も飛ばす快速ではない。鹿児島の快速なのはなも同様だ。宝の持ち腐れの感もあるが、それだけ快速で高速運転する気動車を走らせる余地が九州にはないということだろう。

 筑豊と言えば50系レッドトレインの宝庫として国鉄末期などにはファンに有名なところであったが、私が訪れた時には既にその姿はなく、博多~直方間には赤い快速が走り、そのほかではキハ47などが走る路線になっていた。さらに次に訪れた時には電化され、赤い快速の姿はなくなり817系が闊歩し、気動車は折尾~若松間と桂川~原田間に残るのみとなっていた。隔世の感があるとはまさにこのことを言うのだと思う。


西鉄天神大牟田線

2007年05月07日 | 九州

050103tenjinomuta800017 西鉄天神大牟田線は97年春の九州遠征で、福岡観光を終えた後、熊本まで移動する際に、ちょうど天神付近にいたことから、大牟田まで西鉄体験をしようと思い立ち8000系特急で天神~大牟田間を乗り通した。初めて乗った西鉄の印象は物凄く速いということだった。実際には時速100km/h程度しか出してないようだったが、単線区間などでもかなりスピードを出しており、“西鉄やるな”という思ったものだ。

 その後、何度か九州には訪れどしばらく西鉄には乗っていなかった。久しぶりに乗ってのは2005年の正月で、この時は西鉄全線乗り潰しを一つの命題としていたので、天神大牟田線はもとより甘木線や太宰府線、宮地岳線にも乗っている。2005年1月3日の朝から西鉄福岡に出向いて8000系特急で大牟田へ。三が日の早朝だけにあまり混んでいなかったが、8000系の鉄っちゃんシートは鉄っちゃんだけでなく一般人にも人気があるようで、占有するには競争率が高かったのを思い出す。大牟田まで乗って折り返しはJRで折り返して弥生が丘で撮影をしてから基山まで行って基山から甘木鉄道~西鉄甘木線の乗り潰しをして天神大牟田線に戻っている。久留米まで行って同駅で少し撮影をして太宰府線に乗るために急行で二日市まで行った。このとき初めて元特急車の2000系に乗っている。さらに太宰府線を攻略して、ついでに太宰府で初詣も済ませて帰りは、初詣臨とも言うべき直通急行で西鉄福岡まで戻っている。この時の急行も2000系だった。2000系は阪急6300系と同世代の車両だが、造りとしては阪急6300系の方がはるかに先進的な車両だったのかなと思う。しかし、後継の8000系に後を託して特急車からあっさり引き下がった2000系に対していつまでも特急車として君臨(居座り)続けている6300系もどうかなと思う面もある。

 西鉄にはこの後2005年8月28日の九州遠征でも熊本方面から鹿児島本線を北上する際に、大牟田から薬院まで8000系特急に乗っている。この時は薬院から地下鉄七隈線の乗り潰しをしているので西鉄福岡には立ち寄っていない。


JR鹿児島本線八代~西鹿児島間

2007年04月30日 | 九州

020816kagoshima787dreamtsubame4  JR鹿児島本線熊本~西鹿児島間の初乗車は夜も更けた時間のつばめだった。学生時代の私は当時インターネットが普及する前で宿の予約を取らずに旅行することが多く、極力宿代を浮かすために夜行を利用することが多かった。このときも宿を浮かすために博多から西鹿児島に23時前に着くつばめに乗り、折り返し西鹿児島からのドリームつばめに乗る行程で宿代を浮かしていた。行程上明朝博多に着く場合、西鹿児島や宮崎からの夜行に乗る必要があり、夜行の発車時間まで時間を潰すのに苦労するので、なるべく都会の博多を出る夜行に乗るようにしていた。しかし、前記のケースは博多からの鉄活動を前提とした場合の行程だったので、苦肉の策で上下のつばめに乗るという暴挙に出ている。その傾向は社会人になってからも変わらず、今度は効率的に撮影をできるかどうかで夜行を使って有効時間帯を増やすというこれまた暴挙に出るために夜行を使っている。このため熊本~西鹿児島間では夜行のドリームつばめによる移動が多かった。昼間に乗ったのは学生時代の第2次九州遠征で、鹿児島へ向かう時に夕方のつばめに乗った時に一部区間が明かり区間となり、建設中の九州新幹線の一端が見られたのと次の日に長躯鹿児島から大阪まで昼行移動で帰った時に朝からつばめに乗って鹿児島本線の旅を楽しんだ(疲れもあったので起きていたかどうかは不明)時に風光明媚な八代以南の景色を楽しんでいる。この時既にはやぶさの姿はなく、なはは九州新幹線開業前まで西鹿児島に乗り入れていたが、この頃は撮影に興味もなく何も撮っていない。

031221kagoshimanishikagoshima7  次に西鹿児島に足を踏み入れたのも第3次九州遠征でドリームつばめ利用だった。この時もグリーン豪遊を使っている為、それを有効に使うということからドリームつばめで博多~西鹿児島間を往復している。この時はデジカメを持って撮影の真似事はしていたが、西鹿児島でのなは撮影はこの時も適っていない。しかし、ドリームつばめを早朝鳥栖で降りて、なは、あかつき(両者はこの頃は単独運転だった)を撮影しているのだから、西鹿児島で何でなはを撮影しなかったのか不思議だ。

 次の九州遠征は九州新幹線開業前の惜別乗車で、ドリームつばめで鹿児島入りして、即折り返しつばめに乗ってつばめによる最後の鹿児島本線の旅を楽しんでいる。この時もなはは途中の駅で交換したのを見ただけで何も撮っていない。この頃も乗り潰しはすれで今ほど撮影には力を入れていなかった…とりわけ地方遠征は乗りがメインという感じで動いていたのだから仕方ないと言えば仕方ないが、今思い返せば勿体ない限りだ。もっともその時の行程は目一杯詰め詰めの行程で動いているので、撮影したくてもできなかったという痛い事情があるのは確かなところだ。

050828kagoshima817v8  九州新幹線開業後に新幹線試乗を兼ねて一度鹿児島は訪れているが、この時は転換後の肥薩オレンジ鉄道には乗らず、新幹線開業後もJRとして残る旧鹿児島本線こと肥薩線の旅を楽しんだ。海側を回る鹿児島本線に本線を取られてしまった肥薩線だが、新幹線開業により、肥薩線から主役の座を奪った鹿児島本線が新幹線開業によりJRの本体からまでも切り離され第3セクター鉄道として再出発させられる羽目になっているのは皮肉なものだ。


JR鹿児島本線(博多~八代間)

2007年04月27日 | 九州

050103kagoshima787bm11   JR鹿児島本線に初めて乗ったのは1997年春の九州初遠征の際だ。先にも書いたが、九州まで延々と山陽本線を西下して1日消化し、2日目に福岡見物をして、その後熊本入りしたが、その時に天神から西鉄大牟田線に乗り、大牟田でJR鹿児島本線に乗り換え、大牟田~上熊本間の初乗りを果たしている。記憶はおぼろげで写真もないが、この時乗った車両は確か急行形の475系だったと思う。今では815系や817系が大手を振るって走っているが、その頃はまだまだ国鉄型が九州でも多く見られた時代だった。3日目に熊本観光をして、福岡方面に戻る際にはJR鹿児島本線の熊本~博多間を乗り通している。この時は415系に乗ったような気がする。この遠征ではその後、特急ゆふに乗って別府から博多まで乗った時に久留米~博多間を乗っているし、翌日宮崎までドリームにちりんに乗って、宮崎から急行えびの~急行くまがわと乗り継いで熊本まで行って熊本から783系有明の先頭車に乗って熊本~博多間でかぶりつきをしている。さらに折り返して787系つばめに乗って西鹿児島まで行って、折り返し宿代わりのドリームつばめに乗っている。翌朝折り返しかもめに乗って長崎へ向かっているのだからこの頃から乗り鉄に関しては凄まじいことをやっていたのだと改めて思い返す。さらに長崎到着後先に宿を確保してから荷物を置いて、この頃必死になっていた競馬を見るために長崎から当時はまだ走っていた485系赤いかもめで博多へ出て、博多からソニックに乗って小倉まで行き、小倉からモノレールに乗って小倉競馬場まで行っている。競馬で見事に負けた後は小倉まで出て小倉から快速で博多へ。博多から大混雑の783系かもめで途中佐賀あたりまで立って長崎へ戻っている。翌日は長崎観光と大村線~佐世保線乗り潰しなどをしてその夜のあかつきのソロで帰阪した。

020817kagoshima7872  第2次遠征では博多~熊本間にドリームつばめで1回、つばめで1回、ゆふいんの森で博多~久留米間1回に乗っており、長崎へ行くのに博多~鳥栖間で往復している。また、宮崎から2度目の急行えびので八代~熊本の間も乗っている。このとき初めて八代以南で陽のある時間帯に乗っており、鹿児島からの帰りにも朝一のつばめと500系のぞみを乗りついで帰っているので、これでとりあえず鹿児島本線は全線景色を見たことになる。部分部分で九州新幹線の建設中の高架やトンネルなどがすでに見られていたのを覚えている。同時に西九州自動車道の建設を行われているのを見て、新幹線がなければ鹿児島本線も厳しい状況になっただろうなと思ったものだ。

 第3次遠征ではドリームつばめの上下を利用しているが、他の乗り潰しとの兼ね合いで鹿児島本線を陽のあるうちにはほとんど乗っていない。最終日にドリームつばめで博多に着いて阿蘇まで戻るのにつばめを利用している。この時期になると八代以南では新幹線工事もたけなわだったと思われるが、残念ながらこの時は陽のある時間帯に八代以南は乗っていない。

031221kagoshima787dreamtsubame  第4次遠征では博多以南に足を踏み入れたのは筑豊線に乗るために博多~原田間で415系普通に乗ったのと2枚きっぷを買って新幹線開業前のドリームつばめとつばめの乗り納めをしている。2004年7月24日、25日の第5次遠征では鹿児島本線博多以南にかなり乗っている。開業したての九州新幹線初乗りを目的に遠征したので、博多~新八代間では当然ながら鹿児島本線を利用している。リレーつばめのグリーン車に乗車し、新八代駅を初体験して、リレーつばめの乗継ぎ列車の1本後のつばめに乗って鹿児島中央初乗入を果たしている。博多~新八代間だけなら案外時間もかからないので新幹線を本当に造る必要があるのかなと思ったものだ。乗り換えの不便や博多以遠への直通を考えればやはり新幹線建設がベストなのだろうし、博多~鳥栖間の列車密度の高さは異常ともいえるのでここの新幹線建設は在来線は勿体ないけど造った方がいいのかなというという印象だ。この遠征では1日目に鹿児島地区の路線を乗り回し、肥薩線経由で八代へ出て鹿児島線815系普通で熊本まで戻り熊本で一泊している。翌日は早朝から三角線の乗り潰しをして熊本から延々と普通列車を乗り継いで鳥栖まで行って、鳥栖で名物のかしわ入りの駅うどんを食べて長崎へ向かっている。

020815kagoshimaed7691hayabusasakura  2005年1月2日、3日の第6次九州遠征では3日にはやぶさ・さくらの撮影のために弥生が丘にて撮影をしている。一番上の写真はその時撮った787系つばめだ。2005年8月27日、28日の第8次九州遠征では1日目に日豊本線を乗りつくし、2日目に指宿枕崎線に乗って、鹿児島本線~肥薩オレンジ鉄道~鹿児島本線と乗り歩いている。この時は大牟田で鹿児島線を降りて西鉄で薬院まで行って七隈線の乗り潰しをしている。

 2006年8月5日、6日の第9次九州遠征では5日に西里ではやぶさの撮影をし、6日には植木でなはの撮影をしている。その後久留米まで鹿児島本線を北上して久留米でも少々撮影をした。この辺りまで来ると新八代以北での新幹線建設も盛んに行われており、部分的に見れば前倒しで開業するのでは?と思うほどの勢いだ。


JR日豊本線小倉~大分間

2007年04月23日 | 九州

060806nippo883ao52  JR日豊本線小倉~大分間は1997年春の九州初遠征の際に小倉~別府間は883系ソニックにちりん、別府~大分間は特急ゆふで乗り潰しを達成している。この時はワイド周遊券を利用したのでソニック、ゆふともに自由席利用だった。

 次に日豊本線を訪れた時はグリーン豪遊券を利用して、883系ソニックのグリーン車に乗って別府から博多まで乗っている。初回も2度目も別府で駅前温泉に浸かってまた鉄に戻るというパターンを使っている。l3度目もアホの一つ覚えで別府を訪れ、駅から近い駅前温泉に浸かって、また鉄に戻るというワンパターンな手を使っている。3度目は885系ソニックに初乗りとなり、博多から別府までの旅を楽しんでいるが、予定より前の列車に乗って博多~小倉間ではグリーン車の席がなかったので、普通車に乗り、小倉からグリーン車の席を用意してもらうという厚かましいことをやっている。こういう厚かましいことをするマニアのせいでグリーン豪遊券は廃止されてしまったのかもしれない。

050102nippo415fm92  日豊本線小倉~大分間をじっくり乗ったのは第7次九州遠征の2005年8月27日で、この時は初めて日豊本線を18きっぷで乗り歩いている。小倉~大分間は普通、大分~延岡間は普通がないということもあり特急にちりんを利用、延岡からはまた普通に戻るというパターンで鹿児島中央まで乗っている。小倉からは415系普通に乗り柳ヶ浦まで行き、同駅で815系2連に乗り換えて大分へ。途中大変な混雑になったのを思い出す。地方へ行くと夏休み、土曜や日曜関係なしに高校生が大挙して乗り込んでくることが多い。この時はちょうど高校生が多く乗り込んでくる時間帯にぶち当たってしまったようだ。大混雑の車内から開放されて暑いさなかながら大分駅でかしわうどんを堪能して、783系にちりんのグリーン車に乗車した。グリーン車など豪遊券以外ではほとんど乗らないし、縁もないが、この時はかぶりつき好きの私が大奮発してグリーン車にしたという特殊な事情での利用となった。

050827nippo885sm115  第7次遠征は主に乗り鉄というか、この頃はまだ乗りが主体だったので、今度は撮りに徹する旅ということで第8次九州遠征をし、1日目は熊本の私鉄の乗りをして、2日目に鹿児島本線、久大本線、日豊本線で撮り鉄をしている。近畿圏での撮り鉄を始めてもう何年も経つが、地方ではあまり撮り鉄はしていない。本格的に撮り鉄をしだしたのは2006年年頭の新疋田遠征からぐらいで、このときぐらいから撮影の時に列車を待つという我慢を覚えた。日豊本線では普通で杵築まで行って、杵築の駅近辺の好撮影地へ行って、ソニックや富士の撮影を行った。雑誌やインターネットで見た写真のようなポジションは少し危険ということで、高台になった空き地付近から撮影をしたがまずまずの出来になった。とはいっても雑誌のように鉄橋が入った写真が撮れたら・・・とも思う。次回訪れる機会があればもう少し付近を研究してから撮影に向かいたい。