EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

阿武隈急行

2008年08月08日 | 東北

040815abukuma8100a115  04年夏の東北遠征の最後を締めくくるのは宮城県と福島県を結ぶ3セク鉄道阿武隈急行。8月15日に早朝から利府支線を乗り潰して、仙台へ戻り、続いて雲行きが怪しい中槻木から阿武隈急行の乗り潰しにとりかかる。3セク鉄道としては珍しい交流電化路線で、立派に電車が走る路線だ。国鉄型とは違った外観ながら、車内や走りは何となく国鉄チックな印象を受ける8000系電車に乗って福島までの旅路を楽しむ。阿武隈川に沿った道中は、なかなか景色もよく、電車はそれなりのスピードで走っていた。利用者も福島行きだったこともあり、福島に近づくに連れて多くなり、福島手前では結構な乗り具合だった。沿線人口はそれほど多くなさそうだが、仙台直通便などもあり、利用者減に苦しむ3セク鉄道の中ではまだまだ期待が持てそうな鉄道だ。


JR東北本線仙台~利府間

2008年08月07日 | 東北

040815tohoku455s224  04年8月14日三陸海岸を南下して仙台に辿り着き、ここで1泊。翌日は東京へ向いて東北本線を南下していく。その前に早朝から東北本線利府支線の乗り潰しをしておく。もはや今は姿が見られなくなった455系に乗って早朝一番列車で仙台を出る。岩切までは数日前乗った時と同じ道中で、朝から天気が悪いのがわかる。いつ降ってもおかしくない状況だったが、利府支線に入って懸念していた雨が降り出した。東北新幹線の仙台車両基地を横目に案外?の走りっぷりであっという間に利府へ。秘境の駅かと思うと周辺には住宅があり、駅もなんとなく小奇麗になっている。駅の終端部の向こう側にはEF71、ED77などの残骸が並んでいた。かつて東北を闊歩していた機関車たちの終焉がこんなところにあるとは…。040815tohokurifu3


JR石巻線

2008年08月06日 | 東北

040814ishinomaki485533  04年8月14日JR気仙沼線に乗って前谷地まで南下して、続いて石巻線乗り潰しに取り掛かった。まずは前谷地から入ってしまったので、とりあえず一旦小牛田へと出る。小牛田で即折り返すが、この間に臨時快速こがね号が到着したり、石巻線貨物が発車したりとなかなか面白いものを見られた。小牛田から再び石巻線に入り、前谷地をスルーして、石巻、女川と乗り潰しを達成する。女川に着いた時には日も暮れて、帰りは石巻から仙石線に乗って、仙台へ出て仙台のホテルにチェックイン。八戸から南下してきた三陸の旅もこれにて終了。あとは東京方面へ戻り、さらに東京からサンライズゆめに乗って大阪へ帰るのみとなった。


JR気仙沼線

2008年08月05日 | 東北

040814kesennumarikuzentoyosato  八戸から盛まで三陸海岸を縦断して、息つく間もなく、続いて大船渡線に乗車。快速スーパードラゴンに乗って気仙沼へ。キハ110系が軽快に走り、気仙沼で気仙沼線に乗り換え。気仙沼で美味しい海の幸でもという余裕はなく、引き続き気仙沼線に乗車する。こちらはキハ40系列の気動車が使用されており、キハ110系の軽快さとは一味違う重厚な走り、悪く言えば重苦しい走りが展開される。気仙沼線も海沿いを走る路線なので、景色は良かった。利用者の方は新幹線連絡の機能も果たす大船渡線より少ない状況で、ローカル線そのものという感じだった。前谷地で小牛田行きの石巻線列車に乗り換え。前谷地では私鉄のような接続体系が取られており、ローカル線にしては接続が良いように思った。


三陸鉄道南リアス線

2008年08月04日 | 東北

040814minamiriasu36105  三陸旅情編続編。北リアス線を朝から乗り潰し、宮古~釜石間は前日乗った山田線で短絡して、南リアス線に乗り継ぐ。北も南も同じ車両が使用されているので、一瞬引き返したのかと錯覚してしまう。駅構内にはレトロ仕様の気動車も止まっており、あれを運用してくれたら…と思ってしまう。北リアス線は観光仕様の路線という感じだったが、南リアス線は地元民の利用が多いように感じた。終点盛でJRに連絡しているが、帰省客の乗継が多いように思った。盛ではJRのほかに岩手開発鉄道が乗り入れており、かつて旅客営業を行っていた名残がある。残念ながら貨物列車の運転は見られなかったが、次訪れる機会があるなら(あまりなさそうな気がする…)岩手開発鉄道の貨物列車を見てみたいものだ。


三陸鉄道北リアス線

2008年08月01日 | 東北

040814kitariasu36209  JR八戸線に乗って久慈まで来て、久慈からは三陸鉄道北リアス線に乗り換えて宮古を目指す。当然ながら三陸鉄道はこの時が初乗りだ。三陸鉄道といえば3セク転換の象徴みたいな路線で転換後は黒字経営となる優良企業だった。しかし、その後の状況変化により赤字に転落して、沿線人口の減少などから経営難に陥っている。このため沿線外の利用を促進しようと色々施策を打っているようだが、決定打は出ていないのが実状といえるだろう。このときは八戸から18きっぷを利用していたので、運転士に18きっぷを提示して、三鉄とく割フリーパスを購入して乗車した。この手の企画切符などで利用を促進する動きも見られ、貧乏な旅人としては有難いところだ。しかし、車内のほうは閑散としており、2両つなげているのがもったいないぐらいの利用者数だった。


JR八戸線

2008年07月31日 | 東北

040814hachinohe40552  JR岩泉線、山田線乗り潰しを終えて、夜8時過ぎぐらいに盛岡に着いた。そこから新幹線で八戸までのミニトリップを行い、八戸駅前のホテルメッツ八戸に宿泊した。JR東日本系列のホテルで少し高かったが、駅なかというような立地条件が気に入って宿泊した。八戸に泊まったのは翌朝八戸線の一番列車に乗って三陸海岸を南下していくためだった。キハ40系他の気動車が3両ほど連結されている列車に乗り込み、八戸線の旅を始める。本八戸あたりまでは八戸市の市街地を走り、鮫までは港湾都市八戸らしい風景が展開されていた。鮫から先は海岸線を走り風光明媚な景色が展開されるが、その分沿線の人口は希薄になる。このためか、鮫から先の運転本数は大きな格差がある。終点の久慈では三陸鉄道北リアス線に連絡しており、ここから先は北リアス線の乗りつぶしとなる。


JR岩泉線

2008年07月30日 | 東北

040813iwaizumiiwaizumi3  JR山田線に乗って茂市まで行き、茂市から東北の秘境路線岩泉線に乗った。1日の本数がごくわずかとあって、沿線の住民の方の姿もちらほら見られたが、その他はマニアと観光というか登山に出かけるような格好の人ばかりだった。キハ52系は非冷房のため、発車時に窓を開けていたが、走ってごとに山間に入って行き、トンネルなどではひんやりとした空気が入ってきて、冷房が入るよりも寒い状態だったのを思い出す。東北とはいえ、平地では大阪並みの暑さを感じる日だったので、寒さを感じるほどの山奥を走っているということなのだろう。やはり岩泉線は秘境路線というに相応しい路線だ。


JR山田線

2008年07月29日 | 東北

040813yamada522  JR山田線には釜石線から引き続いて乗車し、宮古までキハ110系気動車に乗り、宮古で乗り換えて茂市から岩泉線に直通する列車に乗った。以前大糸線でも乗車した今は亡きキハ52系で、岩泉線からの折り返しもキハ52系に乗車した。盛岡地区は今ではキハ110系の天下になっているが、この頃はキハ58系やキハ52系などマニアに人気の気動車が走っていた。私が乗ったキハ52系は原色ではなかったが、行き違いする列車の中にはキハ58系の原色に戻された車両もあり、今となっては懐かしいという感じがする。釜石から宮古にかけては三陸海岸を走るため風光明媚な景色が展開され、宮古から先は山の中を走る。茂市までは明かり区間を走っていたが、岩泉線に乗ったため、茂市から盛岡までの道中は暗闇の中となった。このため景色も何もない状態だったが、明かりも何もない区間を走っていたのだけはわかる。運転本数も極端に少ない区間だけにいつ廃止になってもおかしくない区間なので、何とか早めに乗り直しを実行したいものだ。


JR釜石線

2008年07月28日 | 東北

040813kamaishi100132  再び04年夏の東北遠征記を…。04年8月12日に郡山から東北本線を延々と北上して、その日は盛岡に宿泊した。まだできて間もない小奇麗な東横インに泊まったが、後に05年に北海道遠征の帰りに東北地方の大地震に遭い、東北新幹線が1日運休した日に盛岡で足止めを食らい、以前泊まったということで東横インにその日空きがないかどうか聞きに行って満室ですとそっけなく断られた印象の方が強い。8月13日にホテルをチェックアウトして、岩手県内のローカル線巡りに出かける。三陸地域の路線乗り潰しの開始である。

 当時すでに快速に格下げされていた陸中に乗って、まずは釜石を目指す。急行車仕様のキハ100に乗り込み、ほどほどの乗車率の中、前日に北上した東北本線を南下して、花巻から進路を逆向きにとり、釜石線に入る。ここまでは大した乗車率でもなかったが、次の新花巻から新幹線からの乗り換えの帰省客が大挙して乗り込んできて、車内はどえらい混雑に。とりあえず遠野で一旦降りて、レンタサイクルで観光じみたことをして、河童を探しに走り回った。河童を捕獲するには至らず、愛らしいカッパのちっちゃな人形を買って、再び釜石線に乗る。今度は普通列車で、普通車仕様のキハ110系だった。先に乗った快速ほどの混雑ではなかったが、それでも帰省客で車内は混み合っていた。各駅にはエスペラント語の愛称が付けられており、同語を作中でよく使っていた宮沢賢治ゆかりの路線という印象を受ける。鉄の町釜石のイメージがある終点釜石は小奇麗な駅で、鉄のイメージとはかけ離れた感じがする駅だった。ここからは宮古線に入り、秘境岩泉を目指すことになる…つづく


JR東北本線一ノ関~盛岡間

2008年07月25日 | 東北

040812tohoku70110003  東北本線一ノ関~盛岡間は04年8月12日の東北遠征が初乗車となった。昨日書いたように郡山から東北本線を普通列車に乗り継いで延々と北上していき、陽が暮れてから目的地の盛岡に着いた。一ノ関~盛岡間は東北新幹線では何度か通っていたが、在来線は初めての乗車だったので、もう少し早い時間帯に乗れればよかったのだが、何分郡山からの北上だったので日暮れ後の到着もやむなしというところだった。盛岡~花巻間は翌日釜石線の乗り潰しの際に再乗車しているので、十分明かりがある時間帯に乗れたが、北上~花巻間あたりは陽が暮れてから乗っているので、また機会があれば乗ってみたい。東北本線は貨物か701系しか走らないというイメージがあるが、確かにその通りで、釜石線直通の一部を除けば普通はほとんど701系。貨物は昼間でも大きな顔をして走っている。時が時なら新幹線開業時に3セクに分離されているのではないかと思えるほど本線としては少々魅力に欠ける路線になったと言える。


JR東北本線仙台~一ノ関間

2008年07月24日 | 東北

040812tohoku701f2514  04年8月12日水戸からJR水郡線で北上して、前日通った郡山に再び上陸。ここからひたすら東北本線を北上して盛岡を目指す。郡山からいきなりご登場の701系に乗車して、東北本線かぶりつきの旅を始める。途中、踏切の防護無線が発砲されたとかで、抑止を食らい、定時より遅れて仙台に到着。接続列車の時間が短かったので、這う這うの体で乗り継ぎ列車に滑り込み再び701系の旅をスタート。仙台と言えば719系のイメージが強いが、最近は701系も勢力を伸ばしているらしく、東北本線乗り継ぎの旅は701系ばかりに乗った。小牛田で再び乗り継ぎがあり、その合間に石巻線から臨時列車こがね号が到着したので、それを撮影して、さらに貨物列車の撮影などをして時間を潰し、再び701系の旅へ。石越で廃止跡かと思えるような駅のくりはら田園鉄道(今は廃止となった)を見ながら北上していき、日暮れ前に一ノ関に着いた。ここからの道中はほぼ暗闇の中という道中だったが、次の日に乗る花巻~盛岡間を除いては、もう一度乗る区間ではなかったので、暗い中かぶりつきをしながら北上した。さすがに朝からかぶりつきでずっと立ちっ放しだったので、盛岡に着く頃には疲労困憊になっており、駅前のホテルに入って速効眠りについたのを思い出す。


JR水郡線

2008年07月23日 | 東北

040812suigun111114  04年8月11日に日立電鉄を乗り終えた後、常北太田の対面にある常陸太田から水郡線の枝線の乗り潰しをして、新潟から始まった乗り潰し道中1日目を終えた。水郡線は全列車がキハ110系化されている先進的な非電化路線で、利用者もそれなりという感じで、水戸近郊の輸送を担っているという印象だ。翌8月12日は朝から水郡線の本線を郡山まで乗り通した。こちらももちろんキハ110系が使用されており、水戸発車時点では朝から結構な乗り具合で、常陸太田辺りまでは結構な乗りだった。そこから先は茨城県の奥地、福島県との県境を走るため、利用者は落ち着いていくが、お盆休み期間とあって帰省での利用も見られ、全く車内がガラガラになることはなかった。水郡線は当時でもキハ110系が投入されていて新しいイメージのある路線だったが、後にキハE130系が投入され、今ではキハ110系も全て姿を消してさらにガラリとイメージが変わってきている。


JR磐越東線

2008年07月18日 | 東北

040811banetsuto1101032  JR磐越西線の乗り潰しを終えて、磐越シリーズの締めに磐越東線に乗る。郡山駅で少し時間があったので、弁当を購入して駅のベンチでそれを食してキハ110系に乗り込む。JR西日本ではまだまだキハ40系列が幅を効かしているが、JR東日本ではキハ110系が投入されている線区が多く経済力の差を見せつけられる。磐越東線も想像以上に山の中を走る路線で、険しい山ではないものの、渓谷などを見ながらの道中だった。浜通りの中心と言えるいわきに昼過ぎに着いた。常磐線との接続時間が短かったので、急いで乗り換えたが、先行するスーパーひたちが遅れた影響で、当該列車も遅れたので急いだ意味がなかった。ここから先は415系1500番台に乗車して、常磐線を南下して行き、大甕を目指す。


JR磐越西線

2008年07月17日 | 東北

040811banetsusai455s24  04年は乗り潰しに躍起になり始めた年元年だった。この夏は初の東北遠征を実行した年でもある。それまでは北海道、九州、四国などの遠方を中心に回っていたが、四国や九州より遠方の東北に関してはワイド周遊券が廃止されたこともあり、遠いだけのイメージが残り全く遠征する気すらなかったぐらいだった。それがある程度北海道や九州の乗り潰しに目処が立ち、東北平定へ向かう時が来たというような大げさなものではないが、私なりに機が熟したということで東北へ向かうことにした。

 まずは福島県から攻めるということで、盆休みに急行きたぐにで新津入りして、新津から磐越西線、磐越東線を乗り継いで、浜通りへと出るルートを選んだ。新津で幸先よくばんえつ物語のSLを見て、キハ110系快速あがのに乗って、いざ会津若松へ。しばらく日本有数のコメどころである新潟平野を突っ走り、あとは阿賀野川に沿いながら山越えをする道中だった。お盆休みということもあり、利用者は結構多かったように記憶している。新津から会津若松までかぶりつきの道中は少々疲れたものの、なかなか景色のよい道中だった。

 会津若松では乗り継ぎ時間が少なく、観光する間もなかった。在りし日の455系快速ばんだいで郡山に出る。ここもかぶりつきでかつての“急行電車”の走りを堪能する。会津若松までの道中よりもさらに山越えの様相が強い感じがした。磐越西線の東部は想像以上に山越えがきつい路線という印象になった。郡山までの利用は多く、郡山手前では立ち客も出る盛況だった。