EXPRESS DIARY~鉄人日記~

鉄道に関することを日々徒然なるままに書いて行こうと思います。

一畑電車乗り直しの旅

2011年10月05日 | ローカル線

111001ichibata522 古き良き時代を彷彿させるデハニ52の車内

111001ichibataizumotaisya  10月1日土曜日。旧大社駅を見物後、出雲大社前駅に戻り、続いてデハニの見物を行います。9時前に着いたので、待合室の自販機で一息入れます。出雲そばでも食べたかったのですが、時間が早くどの店も閉まっていました。大阪なら朝から立ち食いが開いているのですが・・・。9時になり、改札が始まったので、9時08分の電車が出る時間までのわずかですが、デハニの見物を行いました。車内にも入れるので、中に入って写真を撮ったりしましたが、誰も見物していませんでした。時間が早いので観光客自体がまばらだったので仕方がないと思います。一畑電車はRailwaysの映画を中心に鉄道ファン向けのイベントなども多いので、来訪するファンも多いのではないかと思います。経営的に厳しいところもあると思うので、興味のあるファンは電車で出雲大社へと足を運んで欲しいものです。
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 大社線電車で川跡へと戻り、川跡で北松江線電車に乗り換えます。上り電車に乗り換え、一路松江しんじ湖温泉へと向かいます。車内は結構賑わっており、途中雲州平田で鉄道ファンらしき人が降りていき、若干車内が減りましたが、松江しんじ湖に向かって利用は増えていきました。以前来訪時に雲州平田で降りて撮影を試みたことがありましたが、今回はそこをパスしてかぶりつき撮影に力を入れました。とりわけ一畑口のスイッチバックは見ものなので、楽しみにしていました。動画で撮ってみましたが、ちょうど対向列車もあり、面白い光景を見ることができました。ただ、ここでのスイッチバックはダイヤ上のネックになっているのは確かなところで、松江~出雲市間の都市間輸送や松江~出雲大社間で
の輸送を考えると足かせになるところです。宍道湖に沿って走るので、車窓もなかなか変化に富んでおり、トロッコ列車などを走らせても面白い路線だと思います。現在は余り呼び物になるようなものがないので、ロマンスカー導入やトロッコ列車など何か呼び物になるものが欲しいところです。デハニだけでは一般の観光客を呼ぶのは厳しいように思います。


一畑電車に乗って出雲大社へ

2011年10月04日 | ローカル線

111001ichibata3005 元南海のズームカーが活躍する一畑電車/電鉄出雲市

 10月1日土曜日。夜行の出雲エクスプレス京都号で出雲市駅に到着。早朝6時30分頃定時に到着しました。早朝到着だけに定刻通り運行されるものです。ここからは通常の鉄活動を行います。とりあえず駅の手洗いで用を足したり、顔を洗ったりして身支度を整えます。JRではなく、一畑電車電鉄出雲市へと向かい、券売機で1日乗車券を購入。1500円なり。ちょっと高めですが、松江しんじ湖温泉~電鉄出雲市間が790円なので、十分元は取れそうです。土休日はほぼ毎時1本しか電車がないため、7時08分まで待合室で朝食のパンをかじりながら電車を待ちます。改札が始まり、ホームへと上がると見慣れた?というか懐かしのズームカーが停車していました。懐かしのと書いたものの、南海で活躍している時には見たことも乗ったこともありません。以前一畑電車に乗った時に当地で初乗車を果たしたので、私の印象は南海と言うより一畑の電車という感じがしないでもないです。これに乗ってまずは川跡へと向かいます。同所で大社線に乗換え、出雲大社前へと向かいます。川跡での接続は見事なもので、北松江線上り電車から大社線上り電車が先に川跡に着く様子が見られ、上り北松江線電車が川跡に着くと下り電車も同時に到着し、大社線電車も交えて3列車が相互に接続及び交換を行う形になっています。北松江線電車が出発して、その後に少し遅れて大社線電車が出発します。この様子も下り北松江線電車の後部から見るとよくわかります。

111001ichibata2114 元京王5000系が並ぶ川跡駅

 川跡で乗り換えた大社線電車は元京王5000系でした。車内ロングシートのタイプで、豪華な特別仕様の転換クロスシートを備えた車両ではなかったのは残念です。おそらくそのタイプは急行に使用されているのでしょう。大社線は意外にサクサクと走り、途中高浜付近の保育園にデハ6、デハ3の姿を見ます。急行のヘッドマーク付きで屋外保存の割りに状態はよさそうです。同じ塗装のデハニは出雲大社前駅で展示中と言うことなので、そちらは到着後に見物することにしていましたが、途中で同じタイプの電車と遭遇すると111001ichibata52 は・・・。帰りに気づいたのですが、大社線からは出雲ドームも望むことができるなど、ミニ路線にしてはなかなか見所が多い路線です。他にも撮影して回りたい所がたくさんありました・・・相変わらず急ぎの旅なので十分に見て回れませんでしたが・・・。終点の出雲大社前に到着。デハニの姿は確かにありましたが、見学時間は9時からと言うことで、とりあえず出雲大社へ参拝します。出雲大社までは歩いて10分程度と便利な距離にあるので、次の電車は厳しいですが、その次ぎの電車までには余裕で間に合います。荘厳な印象を受ける出雲大社の参拝を軽く終えて、続いて駅を通り過ぎて旧大社駅の見物へと向かいます。歩いて15分程度でしょうか。意外に近かったです。もう少し時間がかかるかと思っていたので、出雲大社での滞在時間を長く取っていましたが、近かったおかげで1本早い電車に乗れました。
111001izumotaisya 旧大社駅はなかなか立派な日本家屋風の駅本屋が印象的です。洋館風の出雲大社前駅とは対称的な造りです。駅周辺は駅があった時代のままのようで、バスが入れるぐらいの駅前広場があり、駅構内も往時のまま残されており、ホームにはD51が静態保存されています。ここに20系だいせんなどが乗り入れていたのかと思うとその時にタイムトリップしてみたくなりますね。ニュートリノの研究成果次第では・・・鉄道ファンとしては未来も気になりますが、過去にタイムトリップしたい人の方が多そうです。私はどっちでもいいのですが、過去の遺構などを見ると過去に行きたい気もします。叶わぬ夢を見ながら旧大社駅を見物し、出雲大社前駅へと戻りました。私が訪問した早朝の時間帯はホームに入れても駅舎の中には入れませんでしたが、駅舎の中も見学可能なようです。興味のある方は出雲大社観光のついでに寄られては如何でしょうか。私はどっちか言うと罰当たりながら出雲大社訪問がついでみたいになってしまいました・・・。
111001taisya 重厚なイメージを受ける旧大社駅…今にも人が降り立ってきそうな雰囲気がある駅舎です。


矢橋貨物リベンジ~美濃赤坂~

2011年09月16日 | ローカル線

110910seinode105105 国鉄?から譲渡されたDE10も活躍する西濃鉄道

110910tokaido313y44  9月10日土曜日。18きっぷ最終日です。最終日を迎えるまでに無理やり消化してきたので1枚だけ残っています。この1枚こそは有効に使おうと早朝4時に起床。茨木市発5時07分の普通で富田へと向かい、摂津富田からJR京都線普通に乗って一路名古屋を目指します。摂津富田では駅員がインターホンを押しても出てこないので、そのまま改札を抜けて京都まで普通に乗り、京都の改札で9月10日のスタンプを押してもらい、急いで琵琶湖線普通に乗り継ぎます。乗り遅れると行程がガタガタになるので、琵琶湖線普通に乗車して漸く一息つきます。早朝にあわただしく乗り継いでいくの美濃赤坂で矢橋貨物を撮るためです。7月に車で訪問した時には貨物列車はウヤだったわ、車はぶつけるわでロクな思い出がない美濃赤坂ですが、なんとかして矢橋貨物を撮りたいと思い、この夏の18きっぷでは是が非でもリベンジをと思っていました。本来であれば前週に訪れているはずでしたが、件の台風12号の影響で全く動きが取れず、18は1枚だけ残して近場で全て消化しました。漸く訪れたリベンジの機会を寝過ごしや乗り継ぎミスで不意にするわけにはいかないので、美濃赤坂までの道中は神経を尖らせていました。琵琶湖線内は睡眠タイムで、ほとんど爆睡していました。米原で東海道線に乗り換えますが、乗換え相手は373系。しかも3連です。席の確保は早々に諦めましたが、立ち客もかなり多く、往年の113系3連が運転されていた頃の米原~大垣間を思い出してしまいました。あの頃は18ユーザーにとっては難所だった米原~大垣間も今や8連の313系が闊歩する便利な区間になりました。30分毎は東海道線としては本数が少ない部類ですが、ラッシュ時のような混雑がなくなり、便利になったのは確かです。しかし、373系3連はそれを彷彿と言うか、それ以上の混雑になりました。米原発車時点でも狭いドア付近や車内通路は満員御礼なのに、朝のいい時間帯ということもあって関ヶ原や垂井からは大量に通勤通学の利用があり、身動きとれないほどの混雑になりました。列車は遅延し、大垣手前では入線待ちもあり、イライラモードもピークに達し、漸く大垣に到着。遅延しているとはいえ、美濃赤坂行きは接続待ちしてくれていました。18ユーザーと思われる数名が乗換え、無事に美濃赤坂行きは発車。苦難の旅路を経て漸くリベンジの地美濃赤坂に到着。構内にEF210の姿を見て、ウヤはないことを確信して、駅を出て西濃鉄道の線路に沿って歩き撮影ポイントを物色します。

110910seino  駅から近場ではほとんどが路地裏のようなところばかりを走るので、少し開けたところはないかと歩いて行くと10分程度で田んぼが広がり、いい感じに線路がカーブしているところがありました。奥には鳥居があり、列車は神社の前を横切ってカーブして来ます。ここは第1候補と目星を付けて、奥に見えていた神社付近まで足を延ばし、乙女坂の駅の方まで行ってみようかと思っていると唐突に汽笛が鳴りました。これはやばいと思い、急いで件の場所へと引き上げます。汽笛は列車の出発ではなく、入れ替え時の注意喚起を行うものだったと思われますが、時間的に列車が来てもおかしくないので、駅での様子は断念して走行撮影に集中して失敗ないようにします。この近辺では失敗ばかりなので、ここは一発成功しておきたいので、確実に列車を押さえました。列車は10分ほどで通過。専用のディーゼルが来るものとばかり思っていたら、現れた機関車はなんとDE10でした。西濃鉄道に譲渡されたカマらしく、意外な機関車の登場に驚かされましたが、数ショット撮影することができ、さらには長編成のホキの流しまで撮り、大満足して駅へと戻りました。

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肥薩おれんじ鉄道に乗る~九州遠征13~

2011年05月17日 | ローカル線

110501hisatsuofukuro 袋駅で行き違いを行う肥薩おれんじ鉄道の列車

110430hisatsuo109  4月30日土曜日。八代まで肥薩線で出て、八代から肥薩オレンジ鉄道に乗り、宿泊地水俣を目指す。6分の乗り継ぎの為余裕はない。2両編成の気動車が停車中で、コンデジにて乗車列車の撮影を行うが、タイミング悪く電池が切れてしまった。充電式なので充電器を持っていればホテルで復活するのだが、生憎充電器は持って来なかった...と言うか家のコンセントに変な刺さり方をして抜けなくなったので、持って来れなかった。ここから先はデジ一のみで撮影を行うことになる。手軽に撮影できるコンデジは最近重宝しているのだが...。

 2両編成の気動車は程なく席は埋まっていたが、ほとんどが高校生で、ローカル列車らしい風情となっている。八代を出るとしばらく肥薩線と並行して走り、それと分かれてトンネルに入る。トンネルを出て球磨川を渡るが、その前に肥薩線を跨ぐ。昔はなかなかイメージが沸かないところだったが、最近は漸く線路の配置がイメージできるようになった。佐敷でほとんどの乗客が降りて、水俣に着いた時点でほぼ回送状態と言っても過言ではないほど乗客は少なくなっていた。後で地図を見て確認したのだが、水俣は熊本県の最南端に位置するところで、鹿児島県との県境にあるのだから利用者が水俣で少なくなるのも当然と言える。水俣はかつては特急も停まっていたので、駅前になんかあるかと思って降りたが、な~んにもなかった。駅から少し離れたところにこの夜の宿泊地スーパーホテル水俣があり、その近辺にスーパーやコンビニ、本屋などがあり、結構市街地が開けていた。110501hisatsuominamata

110501hisatsuominamata2  翌日5月1日日曜日。九州遠征もいよいよ最終日に突入。水俣を6時52分に出る川内行きで袋へ向けて出発する。コンビニで朝食を買い込んで気合を入れて列車に乗り込むが、前日からの雨が残っており、気分的にはあまり晴れない。この中途半端な気持ちが後になって祟られることになる。袋に着いて、目指すは九州新幹線の名撮影地、東シナ海をバックに新幹線が撮れるポイントを目指す。しかし、手持ちに資料はなく、携帯だけが頼りだ。しかも歩いているうちに電波状態が悪くなったり、参考に見ていたサイトの情報が大雑把でわかりにくかったこともあり、撮影地に行き着くどころか、途中わけのわからんところで曲がった為、山中に迷い込んでしまったり、行ったり来たりを繰り返し。雨も降ってくるし、袋周辺を歩いただけに終わってしまった。まだ時間に余裕はあったが、ここは諦めて行程を前倒ししていくことにして袋駅に戻った。

110501hisatsuofukuro2  袋からは8時21分の新八代行きに乗車。次行程は予定を変更して八代近辺でSL人吉を撮ることにした。2両編成の車内は程よく埋まっていたが、全般的に利用者は少ない。前夜同様佐敷での乗車が多く、八代に近づくに連れてそこそこの乗車率になっていた。新八代まで行っても良かったが、八代にレンタサイクルがある情報を得ていたので、八代で下車。肥薩おれんじ鉄道の改札を出て、駅前を周遊してみる。雨が降っており、雲行きが怪しいので、レンタサイクルは断念。レンタサイクルなら八代近辺どころか、昨日ウォッチしていた段周辺まで行って袋で撮れなかった新幹線も…と思っていたのだが、慣れぬ土地で不安定な天気の中行軍するのは気が進まなかった。八代にいても仕方ないので、次の鹿児島線普通で熊本方面へ移動してSLの撮影地を探すことにした。


肥薩線吉都線の旅~九州遠征5~

2011年05月08日 | ローカル線

110429hisatsu1402125 18でも気軽に乗れる観光列車いざぶろう・しんぺい/吉松

110429hisatsukareigawa  4月29日金曜日。鹿児島中央から日豊線普通で隼人に到着。ここから肥薩線を経由して吉都線の乗り直しの旅を始める。どちらも既に乗り潰し済みで、肥薩線に関しては4回目の乗車となる。吉都線も4回目ながらも撮り潰しがまだなので、今回は吉都線の撮り潰しをメインに訪問することとなった。キハ40単行が隼人に到着。折り返し10時32分発の4224D都城行きとなる。吉松から吉都線に直通する系統の列車だ。肥薩線は吉松で系統分離されているので、車両運用上吉都線に直通する列車は多いようだ。肥薩線吉松~人吉間は以前は宮崎からの急行えびのなどが走り、古くは特急おおよどが走っていた優等列車運転区間だが、今や観光列車いざぶろう・しんぺいこそ走れど、1日の運転本数はわずか5往復に過ぎない。それに比べると隼人~吉松間は1~2時間置きに列車があり、運転頻度はローカル線としては比較的高い。おまけに九州新幹線の1期開業により特急はやとの風まで走り出し、かつてと形勢が逆転している。隣のホームに783系特急きりしまが到着。これの接続を受けて4224Dも出発。接続は受けても利用者は非常に少なく、単行で十分な乗り具合だ。肥薩線は何度も乗っているので席に座ってうつらうつらする。それにしても列車は非常に遅い。日当山を過ぎると山間部に入るので山越えにキハ40が喘ぐ形で進んでいく。鹿児島中央まで乗ってきた新幹線とは同じ乗りものかと思えるほどに遅い。とぼとぼと進んで嘉例川駅に到着したので、窓を開けて記念撮影。ここで駅弁を販売しているのを思い出してか、乗客の一人が駅長?さんに弁当が買える時間があるかどうか聞いて、ないとあっさり言われていた。弁当を買うも何も、弁当は確か予約販売だったような気がするが…。確かに隼人では駅構内に食料にありつけそうなところがなかったので、どこかで駅弁でもと言う人がいてもおかしくはない。まぁ各駅で駅弁を売るほども需要もないだろうから駅弁が買えないのも仕方ないところだ。国鉄時代ならそういうこともなかったのだろうが…今の時代にはかつての駅弁販売のようなシステムは見合わないだろう。

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110429hisatsuoosumiyokogaw  大隅横川では太平洋戦争で機銃掃射の弾を撃ち込まれた柱が残っている。特攻隊の基地があった知覧といい鹿児島県にも戦争の傷跡を知ることができる重要な教訓がたくさん残っている。これからも平和な世の中を願いたい。栗野でははやとの風1号と行き違うために7分程度停車。栗野はかつて山野線を分岐していたが、隣の駅本屋側のホームが同線の遺構なのだろうか。隼人方では明らかに分岐していたと思われる線路が残っており、かつての山野線を思い偲ぶことができる。終点の吉松では11分の大休止。隣のホームにはいざぶろう・しんぺいが停車中。先行した特急はやとの風を受けて停車中だが、4224Dの接続待ちも行っている。どこかで弁当でも売っていないかとホームをうろつくが、なんでかまんじゅうの立ち売りをしているおっちゃんがいるのみ。いざぶろう・しんぺいが発車して行った後、対向ホームの売店が開いていることに気付いたが、時すでに遅し。出発時間となってしまった。都城で何か探すしかない。都城にも売店がなかったように記憶しているので、若干不安は残るが…。

110429kitto408064  吉松からは吉都線の旅となる。かつて急行えびので2回ほど乗ったことがあり、その後も肥薩線の乗り潰しで1度乗っているが、撮り潰しがまだなので、今回は最後部からかぶりつきをしながらの道中となる。吉都線と言えば新燃岳の噴火が記憶に新しい。東北の大震災前はこの辺りと宮崎県の口蹄疫問題が深刻だったが、震災によりそちらの方が優先的になってしまった。火山の噴火は落ち着いているが、農作物などへの影響もあるし、何より口蹄疫や鳥インフルエンザなどの問題は今後もつきまとう。吉都線は先述したようにかつては宮崎から熊本へ至るルートにあるため、特急おおよどや急行えびのが走っていた。2000年に急行えびのが廃止になりそれ以来ローカル列車しか走らない路線になってしまった。かつては肥薩線の吉松~隼人間が似たような立場の路線だったが、あちらは新幹線開業により特急はやての風などを設定して観光に力を入れるようになった。日南線の海幸山幸や指宿枕崎線の指宿のたまて箱なども後に続いており、吉都線にもその手の列車が欲しいところだ。もっとも他線に比べて沿線の景色は案外平坦なところを走ることもあってか平凡である。雄大な景色といえば聞こえはいいが、肥薩線のような見所は少ない。しかし、吉松発車時点ではガラガラだった車内もえびのから謎の中国人が多数乗ってきたり、小林でも高校生を中心に乗り降りが多く、駅間の利用は案外活発なように思えた。もっとも地元での利用はそこそこあるもののやはり観光利用となると肥薩線などに比べると魅力に乏しいところもあり、見た感じそれらしき人も非常に少なかった。途中車窓に新燃岳らしき山を見たが、今も若干噴煙は上がっているように見えた。高原での下車が多く、終点の都城まで行く人は割合少なかった。

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琴電訪問2

2010年10月04日 | ローカル線

101002kotodsanjyo2  琴電琴平行きに乗車して琴電琴平線の撮り潰しにかかります。瓦町までは長尾線で撮り潰しています。瓦町からが撮り潰せていないので、気合を入れてかぶりつきます。車内は昼前の電車と言うことでガラガラ。瓦町から多少の乗車はあったものの、閑散とまではいかないものののんびりした雰囲気です。栗林公園までは複線だった線路がここで途切れて、複線分の線路敷きがしばらく続きます。かつては複線化の計画があったのでしょうが、今や夢の跡と言うことなんでしょう…と思っていると三条を過ぎて高架区間に入るとなんと複線分の高架橋がありました。複線化は夢では終わっていないのでしょうか。データイムはともかく、ラッシュ時は結構線路容量が逼迫するのかもしれません。仏生山か一宮あたりまで複線化されればラッシュのさばきも楽になるでしょうね。しかし、複線化は自力では無理でしょうし、補助を受けるにも弱い感じします。それでも地方鉄道の活性化はエコにもつながるところなので、積極的な会社には積極的な補助を行ってほしいものです。

 のんびりムードの車内も一宮あたりを過ぎるとどんどん減って行き、一部琴平への流れもあるようですが、さすがに住宅地も減って行きローカルムードが漂います。琴平への観光客と言うのが意外にも少ないところで、この辺りはJRに取られているのを皮切りにクルマやバスへの移行が進行した結果といったところでしょうか。琴平では金刀比羅宮例大祭が行われているようで、琴電琴平やJR琴平の駅前には山車が止まっていました。止まっていただけで太鼓の音は聞こえますが、山車は動いていませんでした。来週の3連休が山場のようで、今週はプレステージと言ったところなんでしょうか。お祭りムードの町中を歩き、金比羅参りへ…と考えていたものの、なんでか10月なのに夏並みの暑さに負けてうどんを食して帰ることにしました。ネットで調べて細麺が有名と言うおがわうどんで昼食をとりました。さすがは本場のうどん!かまたまは最高においしかったです。普段はそば派の大阪人ですが、四国と九州はうどんに限りますね。お土産に細麺を持ち帰り、JR琴平駅を覗き、JRと琴電とどちらで帰るか少し考えて、せっかくだからもう一度琴電と言うことで、琴電で帰ることに。今度は瓦町で降りて、少し駅の見物をして帰ることにし、琴電に乗車。行きは京急の車両でしたが、帰りは京王車でした。地方へ行くと京王と東急の車両があちこちで見られますが、琴電もかつては関西系私鉄の車両が見られたものの今や関東王国です。阪急6300系あたりを持ってきて観光特急として走らせたら、観光客はともかく鉄っちゃんは来るのになぁ…と思いました。瓦町見物後は高松築港へ戻り、高松からマリンライナーに乗り帰阪しました。帰りも岡山から余裕で席にありつけ18シーズンでなければ姫路~岡山間の需要の少なさを改めて実感した次第です。101002kotodkotohira15


山陽遠征1

2010年09月09日 | ローカル線

100904okadenyanagawa  9月4日、5日は18切符最後の1枚を利用して山陽方面へ遠征してきました。前週は山陰でしたが、それに続いて山陽方面への遠征となります。4日は茨木6時11分の快速を皮切りに岡山方面の私鉄撮り潰しがメインです。前日より腹痛を覚え体調が悪い中の出陣となりました。最近クーラー病なのか、酷暑の中にありながらも車内など空調の効いたところでは寒さを感じる贅沢病になっており、今回は長袖を持ちこんでの道中となりました。早速長袖をはおって姫路までひと眠り。ぐっすり眠って、続く山陽線でも竜野で偶然にも席にありつけたので、岡山までもひと眠りしました。それでも体調は良くならず岡山に着いても少々ふらふらした状態でした。とりあえず行程消化だけを考え、まずは岡電へ。岡電は既に乗り潰し済みですが、初期のころに乗り潰しているため撮り潰しが不十分のため乗り直しです。前回は偶然にもMOMOに乗ることができましたが、今回は普通の路面電車に乗車。東山まで乗り通し、帰りは柳川で乗り換えて清輝橋にも足を延ばしました。イコカが使えるのが目新しいところで、1日乗車券を使うまでもないためイコカで全て済ませました。東山に以前はバッティングセンターだったかに併設して電車関係の記念館みたいなのがありましたが、今はコンビニに建て替わっておりなくなったようです。

100904mizushimakurashikit  岡電撮り潰しを終えて、予定より少し遅く岡山駅に戻り、予定よりも1本早い電車で倉敷へと移動。今度は水島臨海鉄道の乗り直しです。予定では三菱自工前へ行く列車に乗ることにしてましたが、1本前の水島行きに乗り、今回は三菱自工前へは徒歩で移動することにしました。これも以前乗り潰しているからなせる業です。しかし、水島臨海工業地帯をこの酷暑の中歩くというのは自殺行為だと歩いてから後悔しました。体調不良に最悪の酷暑の中、三菱自工前どころか、その先の倉敷貨物ターミナルまで歩き、キハ20を撮影。半ばやけになって、帰りも水島まで延々と徒歩。半分熱中症になりながらの道中をなんとかアクエリアス1本で耐えて、水島に到着。帰りの道中はグロッキー状態。この後倉敷から伯備線に入り、清音で井原鉄道に乗り換えるも、ふらふらの状態でなんとか車内の冷房で持ちこたえる状態で撮り潰しを完了して神辺に到着。ところが乗り換え時間が30分近くもあり、酷暑のホームに放り出された…と思っていると井原鉄道の職員さんから神の声が…“暑いから車内で涼んでいっていいよ”と発車待ちの列車を開放してくれました。私の他にもありがたく涼にあたらせて頂いた利用者もいて、この酷暑には最良のサービスを頂きました。ありがたく礼を言い、福塩線で福山へ出て、後は山陽線を西下して広島へ向かうだけです。100904ibara35509

 福山からの山陽線の道中はまさに睡眠のための時間でした。糸崎での乗り換えでも席が確保できたので、じっくり熱中症と睡眠不足を補う睡眠タイムに充てました。さすがに熱中症気味とあって持ち込んだはずの長袖はバックの中で眠ったままでした。というより115系の弱冷車に乗ったので、幸いにもそれほど寒くなかったというのが要因と思われます。広島到着後は宿へ直行。予定では18の残りで可部線を踏破するつもりでしたが、如何せんあまりにも疲れ果てていたので、さっさと広電に乗って宿を取っている銀山町まで向かい、宿で速攻眠りにつきました。


紀州鉄道

2010年07月31日 | ローカル線

100731kisyu1  今日は18の先取り消化試合第2試合で紀州鉄道に乗りにいきました。紀州鉄道は2度目ですが、以前は古い気動車が運用されていましたが、北条鉄道のレールバスに置き換わってからは乗っていなかったのと沿線風景の撮影もできていなかったので、18がある期間で乗ろうと企てておりました。もっとも実際のところは福知山方面へ撮り鉄に行くように考えていたのですが、起きてみるとわずかながら寝坊!取り立てて福知山方面にネタがあるわけでもないので、予定を変更して紀州鉄道へ向かうことにしました。梅田まで阪急で出て、大阪からとりあえず野田まで環状線に乗ります。野田でついでに環状線の撮影を行います。狙いは快速京橋行き。マニアックな列車です。こんなマニアックなものを追いかける人は皆無に近く、撮影者はしばらく私一人でしたが、しばらくして2人ほど来られましたが、特にネタもないのか、すぐに撤収されてました。100731kanjyo223e404

 環状線で一仕事終えて、阪和線で113系でも撮ってやろうかと思って、天王寺へ向かい、とりあえず阪和線の高架ホームへ。221系快速が停まっていたので、とりあえずそれに乗り、すれ違う列車に113系はないかをチェックします。しかし、対向の快速は223系がほとんどで113系の姿はありませんでした。仕方なく、日根野まで向かい、日根野で関空紀州路の解結シーンを動画撮影し、そのまま紀州路で和歌山へ。途中和泉砂川で113系の回送が停まっていましたが、113系の運用はもっと早い時間だったようです。平日は9時過ぎ頃だったように記憶しているのですが、土休日は違うんでしょうか?まぁ113系は紀勢線でも見られるので、とりあえず先を急ぎ、和歌山で117系紀勢線電車に乗り換え、御坊を目指します。117系で爆睡しましたが、背もたれがやたら直角に近い感じがして少々寝にくかったです。

 御坊到着後は3分の連絡で紀州鉄道が発車。予想通りキテツ1と名付けられた元北条鉄道のレールバスが停車しています。後部の運賃箱が壊れているようで、社員さんが汗水たらして奮闘されてました。レールバスの車内はクーラーは入っているものの、バス用のクーラーだけに効きが悪く、車内は結構暑かったので、作業されている方は大変そうでした。受験生に人気の学門駅、紀伊御坊にはかつて活躍していた気動車が置かれており、結構ミニ鉄道にしては見るところがあります。終点の西御坊でもさらに先へ続く線路が放置されており、ここを探検してみるのも面白そうです。もっとも暑過ぎるので、探検は取り止め。速攻次の列車で御坊へと折り返しました。100731kisyu603


2年ぶりのたま

2010年05月04日 | ローカル線

100430wakayamakishi  貴志では2年ぶりにたまと再会。しかし…人気がありすぎて現在はたま御殿とも言うべき新駅舎築造中で、たまは駅前の仮設店舗に仮住まい中。2年前に来た時は病気で首に輪っかのようなものを付けて闘病中でしたが、今回は駅長室で爆睡中。前回はたまの他にもネコがいましたが、今回は他のネコも見当たらず、貴志まで来た甲斐もなく、ネコに関しては完全に空振りのわかやま電鉄めぐりでした。仕方ないので、次に来るたま電をパシパシ撮影して、和歌山へと戻りました。しかし、たま御殿ができるだけのことはあってたま人気は相変わらずです。本人は愛想なく爆睡中ですが、みな写真を撮るわ、さらに周辺に飾られている動いているときのたまの写真を写真に撮ったりとカリスマ性を感じさせる人気です。帰ってネットで調べてみるとたまのおかあちゃんのネコは昨年亡くなったとのこと。もう1匹いたネコは健在のようですが、この間はどこへ行ってたんでしょう。ネコだけに勝手きままに生きているんでしょうか。たまのおかげで一大観光地になった貴志駅ですが、たまのおかあちゃんが亡くなったことでわかるようにたまは生き物であり、いつ他界してもおかしくはありません。たま人気にあやかってたま御殿が建てられているのだと思いますが、たま以外での呼び物も欲しいところです。わかやま電鉄の利用者は以前乗った時よりも増えているようにも思えますが、これもひとえにたまのおかげと言ったところでしょうか。肝心の鉄道施策については新車が入った伊賀鉄道の方が一歩進んでいるようにも思えます。ICカードを導入しそうで、2年前同様まだ準備中といった感じがする和歌山駅の改札と言い、そろそろ鉄道での改善も思い切った施策を展開してほしいところです。遊休化している紀勢線和歌山市~和歌山間との相互直通なども検討してほしいところです。100430wakayamakishi2

100430wakayama2275  たま電についてはいちご電車やおもちゃ電車のように良く改造できた車両になっています。出来はいいんですが、若干気になるのはネコ嫌いの人ならこの電車はどうなのかなと言うところでしょうか。もともとネコを売り物にしているだけにネコ嫌いの人には目をつむってもらってと言ったところでしょうが、客商売だけに微妙なところです。少々ネコを全面に出し過ぎてしまった感は否めません。非日常空間の演出はすごく良くできていますが、日常利用する人への配慮が少々欠如しているのかなと思われる点は残念なところです。100430wakayama22752


大和八木併結・伊賀鉄道

2010年04月26日 | ローカル線

100424kino15101  遷都くん特急を撮り終えて、撮影の目的はほぼ達したので、帰りがけの駄賃を探し求めて橿原線を南下します。一度行ってみたかった新ノ口へと足を向けてみました。ちょうど伊勢志摩ライナーが大阪線への連絡線に入る時間帯だったので、これはということで、しばし同所で撮影。30分ぐらいいて、上下京伊特急を撮って撤収。大和八木へと向かいます。ここから大阪線に入り、新車の入った伊賀鉄道へと向かいますが、その道中、大和八木と名張で撮影タイム。目的は両駅でのデータイムの接続状況などを記録するためですが、八木では阪伊京伊特急の併結シーンを捕えるのも一つの目的。さらにそれこそお駄賃もののあおぞら2が通過していくのも見られ、満足して伊賀鉄道へ向かうことができました。

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100424iga202  伊賀鉄道は2年ぶりの訪問。前回は伊賀鉄道転換後の訪問で、さらにその前に乗りつぶしで1度訪問しているので、3度目の訪問となる。前回は上野市で忍者が現れて驚いたが、今回も忍者の姿がそこら中にあり、前回よりもさらに人数が増えたように思えた。忍者を見に行ったのではなく、今回は近鉄系なのになぜか東急のお下がりが入ったということで新しい忍者列車を見に行くのが目的だった。狭軌の路線ではやはり東急の車両はお下がりとしてはうってつけでしかもまだまだ新しい車両が下がってくるので、使い勝手がいいのだろう。なんせインバータ制御車が中古で手に入るのは東急ぐらいのものだろう。全列車が新車に置き換わったのかと思っていたが、昼間は新車が動いているものの、上野市には近鉄車がたむろしており、まだまだ近鉄車が活躍する場もあるようだ。今回は上野市までで折り返したが、利用者は昼下がりとあってか全般的に少なめだった。前回もそのような印象はあったが、前回は連休の狭間の平日だったので、少なかったのも仕方ないが、今回は土曜だけに結構な観光キャンペーンをやっている割に少ない印象は否めない。100424iga763


2月11日智頭急行撮影記

2006年02月14日 | ローカル線

 相生にて山陽新幹線撮影後は、山陽線で、上郡へ移動。相生駅では、上郡からの115系区間電車が到着し、赤穂線姫路行きが発車して、その後に221系赤穂線普通が到着して、山陽線電車と同時発車という具合に、尼崎並みの接続体系で運転されている。赤穂線電車が223系新快速、播州赤穂行きも221系を使用しているのに対して山陽線は115系が主体と昨年の改正により立場が大きく逆転しているのは興味深いところ。18ユーザーとしては山陽線経由の利便性向上を再検討して欲しいところだが、実際の需要を考えれば赤穂市を抱える赤穂線に力を入れるのも当然のなりゆきだろう。ということを考えながら山陽線電車に乗り込んで2駅で終点上郡に到着すると前述したような要望を記した看板が駅前に建っていた。地元や智頭急行から乗り換えて姫路方面へ向かう人は当然ながら現在の相生接続に不満を持っていることだろう。


 上郡からは智頭急行行脚を行った。次駅の苔縄で降りて撮影を行う為、とりあえず一区間の切符を窓口で購入。智頭急行にも乗り放題切符があれば便利なのだが・・・特急で儲けているので、客寄せには無頓着なのかもしれない。私が乗り込んだ上郡発11時27分の普通はスーパーいなば到着を待って、上郡を出発した。その前に貨物が2本立て続けに通過していたが、長距離列車のダイヤが乱れていたのだろうか?2本目の貨物は珍しくなった原色のEF66牽引の貨物だった。山陽線を高架で跨いで、トンネルを抜け、信号所を一つパスしてトンネルを抜けて苔縄駅に到着。付近の風景とは異にする近代的な高架駅は場違いなイメージがした。わざわざ高架駅にする必要はないのに・・・バリアフリーの観点からも勿体無い設備だ。


 苔縄駅で降りた後は駅付近で撮影できそうなポイントを物色する。駅の西側?の農道から逆光ぎみで下り列車を狙えそうなポイントがあったので、そこでスーパーいなばを撮影。高架線と築堤が入り混じるところで高規格の智頭急行線の画という感覚で撮ってみたが、自分的にはまずまず撮れたかなと思っております。


 スーパーいなば1本を撮って、上りローカルを駅付近で撮り、次の下りで平福へ移動。そこでスーパーはくとを撮り、駅近くの道の駅でブレイク。食堂で食事をしている時間はないので、屋台でだんごを買って駅で食べる。駅近くで上り列車を撮影後、再び下り列車で宮本武蔵駅まで移動。宮本武蔵駅は近くに宮本武蔵の生誕地などがあり、時間つぶしの超~ミニ観光もできるので、撮影には事欠かない印象。駅を降りて線路沿いに歩くとトンネル坑口付近まで線路がカーブする区間で上り列車が撮れそうなところがあったのでスーパーいなばとスーパーはくとを狙う。ところが付近の民家に犬がいて、怪しい人間が来たことに反応して見事に吠えられた(>_<)なんとか犬の視界から遠ざかって撮影したものの、どちらの列車もいまいちの画となった。次の列車まで時間があったので、とりあえずミニ観光として宮本武蔵の生誕地に。さすがに付近有数の?観光地だけあって、車で訪れたと思われる観光客がちらほらいた。駅からは1km弱離れており、特急が停まらない宮本武蔵駅を利用する人はほとんどいないようだ。


 ミニ観光をそそくさと終えて、駅に戻り、下りスーパーはくとをホームの上郡方から撮影。こちらのアングルはトンネルを出たところの列車を捕らえられてなかなかの出来だったように思う。その後下り列車に乗り込み、大原で行き違いと特急追い抜きを食らい、智頭へ到着。智頭急行の改札を出て、急いでJRの改札で切符を購入。大阪-鳥取間の切符で智頭急行で途中下車できればこんな手間とコストがかからないのに(T_T)智頭からは因美線で鳥取へ。智頭でスーパーはくとを撮り、その後は車中より行き違いのスーパーいなばを郡家で撮影。雨が降る鳥取へ到着。到着後は早速予約をしていたスーパーホテルへチェックイン。