フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

稲妻と雷と大雨に悩まされての東名高速は怖かったです。

2008-03-14 22:16:29 | 日記
3月14日 金曜日 雨

天気予報で雨が降ると言っていました。
起きたときには雨を覚悟していたのですが、まだ降っていませんでした。

お庭に出て蕗の薹を取りたかったのですが、まずは朝の仕事を片づけないと・・・。
横浜に持ち帰りするゴミやその他の荷物を車に積みました。
雨が降ってからでは大変ですから、少しでも積み込もうと思ったのです。

昨夜母は「ゆっくり寝ましょうね」と言っていました。
朝食を食べ終わる頃には雨が来てしまうと少々気になっていましたら、
母も雨を気にして、早く起きてきました。

朝食を食べる前に畑に行こうと言います。
種を蒔いていないのに昨年のアブラナや小松菜の種がこぼれて、
それがもう食べ頃なのです。
それを取って来ると母が言います。

わたしにはお庭の蕗の薹を取るように言います。
春の到来を知らせる蕗の薹を触れるだけでも嬉しいし、それを摘むのもっと嬉しい。
それを食べるの時は最高に嬉しいのです。あるじが大好きでした。
あのほろ苦さ、香り、春がやって来たことを実感させられます。

楽しめたのは此処まででした。雨が強く降って来てしまいました。
4時には母の家を出るつもりで準備をしていました。
準備をしているだけで、全身びっしょりになってしまいました。

東名高速を走り始めた頃、雷が鳴り始めました。
雨も激しく降っていて、50キロ制限の表示が出ていました。
流石にどの車もいつものスピードを出して走っていませんでしたね。

沼津の近辺からは、ワイパーをフルにまわしても前が見えません。
こんな大雨の日の運転は生まれて始めての経験でした。
今までこんな天候の時はあるじがハンドルを持つのが常でしたから。

「怖くない?」「疲れない?」と隣のシートから声をかけるだけでした。
あるじは「怖くないよ、大丈夫だよ。寝ていなさいよ。」と言ってくれました。
今日は私は独りでハンドルを握っていました。

あるじが居ない事の寂しさや切なさを、また改めて感じてしまいました。
稲妻と雷と雨音に悩まされながら、必死の思いで運転をしてきました。
でも何時も通り、大井松田で降りて、曾我梅林の細い道を走ってきました。

盛りを過ぎたためでしょうか、雨降りの為でしょうか、
窓を全開しましてもイマイチ香りが無かったのが残念でした。
あるじが好きでした・・・。

見渡す限りグレー一色でした。西湘バイパスからの海は空よりもっと濃いグレーでした。
流石に船の姿もサーファーの姿は有りませんでしたね。
あるじは疲れないと言っていましたが、やっぱり疲れていたのでしょうね。

私はとっても疲れて、食事のしたくをする元気も無いし、食べたくない・・・。
先日透析の友人が置いていきました「ダイエットビール」を飲んで仕舞いました。
お酒なんてほとんど飲まない私がアルコールの少ないビールでも、
お酒を飲みたくなったこと自体、私自身信じられ無いことです。

ビールの酔いを感じながら、無事に帰れた事への祝杯をあげたかったのかもと思い、
私があるじになったのかしら、あるじが私と一緒にいたのかしら・・・、
と、ちょっと妙な気持ちになりました。

コメント
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