5月9日 日曜日 晴れ
2階の片づけをしていました。
あるじの下着やパジャマなど処理出来ずにしまってあります。
セーターやブレザーなどは兄弟が着られる物はもうありませんが、その他いろいろ有るのです。
一枚一枚広げてシミがある物、きちんと着られる物などを区分けしました。
まだ箱に詰めていませんが、これを教会へ送ろうと思っています。
あるじの衣類は当然ですが、わたしの衣類も処分しようと思って、そちらも片づけました。
工夫すればいろいろ再利用が出来ます。
何を作ろうかと考える過程も加工する過程も楽しいのです。
そして出来が良くても悪くても、自分で工夫して作った物のは特別の愛着を感じるのです。
そう思いますと何も捨てられないので、家の中は物が溢れてしまいます。
わたしの年齢をきちんと自覚して、身辺整理をする必要が有る事を実感してきました。
わたしは「楽しい事だけを楽しいと思う時にする」をモットーにしています。
食事の後かたづけも、「嫌」と思えば食器などを下げるだけ下げてそのまま暫く放置する事が有ります。
わたしの場合、体調が酷く悪い時以外、自然に片づけをしたくなります。汚れているのは嫌ですし。
ラジオを聞きながら片づけをしていたのですが、「母の日」「母の日」と言う言葉を何度も聞きました。
「母の日」って一体何?と自問自答していました。
「母親に感謝する日」お母さんありがとう」という日。それと同時に何かプレゼントをする日。
わたしは娘たちが小学生の頃から、「プレゼントは要らない」と思っていましたし、そう言いました。
娘たちのお小遣いで買ったプレゼントは要らないと言いました。
感謝の気持ちを表すのは「物」のプレゼントでは無いと思うからです。
「食堂のガラスを綺麗にしてくれた方が嬉しい」と幼い娘に言いましたし、
成長してからは「今日1日、食事の仕度をしてくれた方が何よりも嬉しい」とも言いました。
料理をするのは苦ではないのですが、娘が作った料理を食べてみたいと思いましたね。
昨夜長女が「ごめんなさい。母の日何もしていないから・・・」と電話がありました。
「お花を送るより、カーテンを洗ったりした方が良いのでしょう?」と言うのです。
「母の日」と言うイベント日に合わせてカーネーションを送って来られるより、
ちょっとした優しさや心遣いが、わたしには何よりのプレゼントです。
「母の日だから電話しなくては・・・」と言うような行為をされた時、悲しくなります。
「~だから・・・」と言う義務感での行為は、母のわたしには無用と思っています。
娘たちから、好意ではない行為、義務感からの行為、そのような行為は不用と思っています。
「電話暫く出来なくてごめんなさい」と久しぶりの電話で、開口一番によく言われます。
「どうしていたの?」とか何気なくわたしの事を聞いてくれた方が、どんなに心が和むか・・・。
用事が有って、先方の電話を待っていた時は別ですが・・・。
こんな風に思うのはわたしだけなのでしょうか・・・。
嫌みな人間にはならないように努力しているのですが、嫌みな人間なのでしょうか・・・。
あるじを亡くして独りになった僻みなのでしょうか・・・。
2階の片づけをしていました。
あるじの下着やパジャマなど処理出来ずにしまってあります。
セーターやブレザーなどは兄弟が着られる物はもうありませんが、その他いろいろ有るのです。
一枚一枚広げてシミがある物、きちんと着られる物などを区分けしました。
まだ箱に詰めていませんが、これを教会へ送ろうと思っています。
あるじの衣類は当然ですが、わたしの衣類も処分しようと思って、そちらも片づけました。
工夫すればいろいろ再利用が出来ます。
何を作ろうかと考える過程も加工する過程も楽しいのです。
そして出来が良くても悪くても、自分で工夫して作った物のは特別の愛着を感じるのです。
そう思いますと何も捨てられないので、家の中は物が溢れてしまいます。
わたしの年齢をきちんと自覚して、身辺整理をする必要が有る事を実感してきました。
わたしは「楽しい事だけを楽しいと思う時にする」をモットーにしています。
食事の後かたづけも、「嫌」と思えば食器などを下げるだけ下げてそのまま暫く放置する事が有ります。
わたしの場合、体調が酷く悪い時以外、自然に片づけをしたくなります。汚れているのは嫌ですし。
ラジオを聞きながら片づけをしていたのですが、「母の日」「母の日」と言う言葉を何度も聞きました。
「母の日」って一体何?と自問自答していました。
「母親に感謝する日」お母さんありがとう」という日。それと同時に何かプレゼントをする日。
わたしは娘たちが小学生の頃から、「プレゼントは要らない」と思っていましたし、そう言いました。
娘たちのお小遣いで買ったプレゼントは要らないと言いました。
感謝の気持ちを表すのは「物」のプレゼントでは無いと思うからです。
「食堂のガラスを綺麗にしてくれた方が嬉しい」と幼い娘に言いましたし、
成長してからは「今日1日、食事の仕度をしてくれた方が何よりも嬉しい」とも言いました。
料理をするのは苦ではないのですが、娘が作った料理を食べてみたいと思いましたね。
昨夜長女が「ごめんなさい。母の日何もしていないから・・・」と電話がありました。
「お花を送るより、カーテンを洗ったりした方が良いのでしょう?」と言うのです。
「母の日」と言うイベント日に合わせてカーネーションを送って来られるより、
ちょっとした優しさや心遣いが、わたしには何よりのプレゼントです。
「母の日だから電話しなくては・・・」と言うような行為をされた時、悲しくなります。
「~だから・・・」と言う義務感での行為は、母のわたしには無用と思っています。
娘たちから、好意ではない行為、義務感からの行為、そのような行為は不用と思っています。
「電話暫く出来なくてごめんなさい」と久しぶりの電話で、開口一番によく言われます。
「どうしていたの?」とか何気なくわたしの事を聞いてくれた方が、どんなに心が和むか・・・。
用事が有って、先方の電話を待っていた時は別ですが・・・。
こんな風に思うのはわたしだけなのでしょうか・・・。
嫌みな人間にはならないように努力しているのですが、嫌みな人間なのでしょうか・・・。
あるじを亡くして独りになった僻みなのでしょうか・・・。