フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

吉田兼好の人となり

2010-05-10 22:02:13 | 雑感 心にあること
5月10日 月曜日 薄日模様

朝から快晴では有りませんでしたが、曇天と言うほどでもなく過ごしやすかったです。
徒然草の講座の日でした。
徒然草では見られない兼好の人間模様を見つけようと言う趣旨の講座になってきています。
兼好法師集という、兼好の自選で作られた私家集を基準にしての講義になってきています。

その私家集に
「あはれなる 夢を見てうちおどろきたるに かたるべき人もなければ」という詞書きの後に
  ○ さめぬれど かたるともなき あか月の 夢の涙に 袖はぬれつつ
  ○ 見ずもあらで 夢の枕に別れつる 霊(たま)のゆくへは 涙ちりけり
と言う2首が並んで書かれているのです。

友人が亡くなって独り淋しい様を詠んでいます。
この気持ちは、今のわたしと全く同じ状況だと思いました。
詠んでいて胸が痛くなるほど良く解ってしまうのです。解ってしまう事自体、辛いです。

この1ヶ月の内に、友人のご主人が亡くなり、先輩の息子さんが亡くなりました。
その訃報を知ったその瞬間、その驚きと悲しみをどのようにして消化したらよいのか、参りました。

娘たちに電話をして涙して話しても彼女たちも困るでしょうし、
更に彼女たちにはわたしの本当の悲しみが理解出来ないと思うのです。
あるじがいてくれましたら、わたしの悲しみや辛さを即理解してくれたでしょう。

独り住まいの最大の辛さは此処にあります。近くにいる者のみ理解できることが有るのです。
それに年齢も関係してくるのでしょうね。娘とでは世代が違い過ぎます。

あるじはわたしの大半の友人を見知っていました。
会った事がない方でも、お名前だけは知っていました。わたしが話していましたから。
特に古い友人でしたら、尚のこと全員知っていました。

ずっと以前、前日にお見舞いに伺い、冗談を言っていました友人が
亡くなったとの連絡をいただいた時の事です。
「今夜なら会えるが明日からは葬儀社へ預ける」との奥様の言葉でした。

直ぐ会いに伺わせて戴きたい旨をお願いしましたら、あるじが連れていってくれたのです。
わたしの精神的ショック状態が、心配だったようです。あるじも何度か彼にあっていました。
ゴルフの上手な人で、彼にアドバイスをしていただいたこともあったと言う事でした。

辛い気持ち、淋しい気持ちを直ぐ話してそして理解してくれる人が、側にいない事の寂しさ。
嬉しい事、感激した事など、一緒に感じられる人が側にいない事の寂しさ。
これらに絶えなくてはならない、これが独りで生きる事の最大の難関だと思っています。

兼好の私家集に収められているこの2首の和歌は、兼好はわたしと同じ、独りの寂しさを詠んでます。
徒然草からは兼好の弱い心、淋しいさを訴えるようなそのような気配は微塵も感じられませんでした。
何となく兼好という人が妙な表現ですが「普通の人間」と思えるようになりました。
コメント
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