フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

一年前の今日

2012-03-11 19:09:49 | 日記
3月11日 日曜日 曇りのち晴れ

曇っていましたので、お洗濯をあきらめていましたが10時頃から青空になり陽射しが出てきました。
はっきりしないお天気続きでしたので、気になっていましたベットのシーツを外してお洗濯をしました。
2階の干し場まで持って行かず、藤棚の下に干したのですが気持ちよく乾きました。

もうすっかり春の陽射しでした。庭のクリスマスローズの鉢にそれぞれお花が咲いていましたし、
階段脇のしだれ梅が満開になっていました。それに遅咲きのミニ水仙も咲き始めていました。
ホタルブクロの新しい芽が逞しくなって居ましたし、シンビジュームの花芽も大きくなっていました。

満開の梅の花のスナップです。



頭のどこかに昨年の今日を思い出す自分が居て、何をしても落ち着きませんでした。
それで今日も刺繍していました。友人の事を思いながらひたすら刺していました。
当然ですが、テレビは震災に関する特別番組が多く、画像を見ずに耳だけで聞くだけでした。

午後2時46分に突然揺れ出しました。母を納棺し、葬儀場へ見送ってまもなくの事でした。
耐震構造の10階建てのビルで、母の部屋は10階でしたから立っていられないほど揺れました。
この建物は崩壊するかもしれないと一瞬ひらめきました。姪の小さな子供たちが泣き騒いで居ました。

でもわたしはこんな時はいつも妙に冷静になります。一度停電したのですが電気はすぐつきました。
テレビを聞きながら、食器棚から飛び出して粉々になって居るガラスを集めて居ました。
小さい子たちが怪我をさせてはいけないと思って居ました。余震が何度も襲ってきてきていました。

母の棺が祭壇の上の方に置かれたら、落ちはしないか・・・と心配もしていました。
余震は随分長く続いたような気がします。母の三面鏡も倒れて粉々になりました。
少し落ち着いてから葬儀の会場へ向かいました。まだ車で走れました。

新幹線や電車が止まってしまいましたので、来られなかった方や途中から歩いてきた方など、
想像できないほど、大変なお通夜になってしまったのです。
それでも良い年齢になっておられる母の友人たちもおいでくださり、感謝したのを覚えてます。

母の事だけでも気持ち的に一杯一杯でしたのに、大地震に大津波、さらに原発災害です。
それからの毎日、テレビでは恐ろしい状況の映像ばかりでした。
ラジオも新聞も何処を向いても辛い悲しい事ばかりでした。涙が自然に流れて来るようになりました。

1年経った今も涙の大安売りかのように、涙が出てきて困っています。心の深いところが辛いみたい・・・。
眼鏡のレンズを変えてもよく見えません。眼がとても疲れます。
検査の結果、涙が膜を作って居るような状態なのだそうで、涙を止めることは出来ないとも・・・。

今日も涙が出て困りましたが、刺繍糸で布に絵を描くような気持ちで刺していました。
涙が布に落ちて汚さないようにだけ気を付けていました。
わたしの趣味が刺繍で良かった、と心底思いました。この手仕事が今のわたしを助けてくれています。

もう少しわたしの涙は流れ続けるのでしょうね。困った者です。
でも、この際暫くは刺繍三昧の生活も良いのかも・・・。
コメント
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