今日明治12年11月10日は明治の傑僧釈雲照師が湯島の霊雲寺に真言宗大成会議を招集した日です。(雲照師は終生戒律を厳格に守り妻帯勝手たるべしとの勅使が高野山へ来たときに猛烈に抗弁したり、御修法を復活させたり、目白僧園を開設し訪れた伊藤博文・山縣有朋・大隈重信を指導したりした明治の傑僧です。)以下「明治の仏教者」によります。「明治初年の大変革に遇っていらそれぞれの本山は独立して互いに連絡もなく四分五 . . . 本文を読む
・宝亀三年十一月十日、吉祥悔過を毎年正月に行うことを恒例化。(続日本紀に「宝亀三年772十一月丙戌,(光仁天皇)詔曰:「頃者,風雨不調,頻年飢荒.欲救此禍,唯憑冥助.宜於天下諸國國分寺,每年正月一七日之間,行吉祥悔過,以為恒例.」」)吉祥悔過とは、吉祥天を本尊として、金光明最勝王経を読誦する悔過の法会。なお、初めて薬師悔過の行われたのは神護景雲三年(769)。続日本紀・神護景雲三年(769)正月丁 . . . 本文を読む
今日十一月九日は嵯峨天皇が大師を乙訓寺別当に任ぜられた日です。嵯峨天皇は、弘仁二年(811)十一月九日太政官符をもって弘法大師(空海)を乙訓寺別当にされています。高野大師御広伝に「同年(弘仁二年(811))十一月九日、下太政大臣官符於治部省云々。僧空海 ・・・件僧住山城國高雄山寺、而其所不便、省宜承知、令住同國乙訓寺・・」とあります。 . . . 本文を読む
信仰の無償性、亀井勝一郎「・信仰途上における最大の誘惑は自分一人だけ一足先に救われようとする焦燥感であろう。・・もし本当に無常に徹したならば無我になりうるはずだ。人は他のすべてに対しては無常の観念をもって臨みうるけど、己に向かってはそれを厳しく適用しない。他に対しては鋭く懐疑的でありながら己については甘い。自分の頭脳をみれば百鬼夜行の如くである。その様々の妄想を神が照覧するならば捧腹絶倒したまうで . . . 本文を読む
.
史料綜覧 巻七 / 永享四年(1432)十一月九日条
「九日・・・山城醍醐天皇山陵 大和聖武天皇御廟 及ビ将軍塚(注1)鳴動ス」
天皇は後花園天皇。室町幕府は足利義教。
(注1)ウキぺデアに依れば、将軍塚は、京都府京都市東山区の東山(桃山丘陵)の稜線上、華頂山の山頂にある。8世紀末、桓武天皇が平安京造営に際してその鎮護のため、高さ8尺の土人形に甲冑を着せた「将軍像」を埋めた塚を造るよう . . . 本文を読む
世界的な仏教学者・南條 文雄(なんじょう ぶんゆう)は 昭和2年(1927年)11月9日に78歳で没しています。岐阜県大垣市の誓運寺(真宗大谷派)に生まれ、 サンスクリット(梵語)研究のため英語を一切知らぬままに渡英、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとでヨーロッパにおける近代的な仏教研究の手法を学び、オックスフォード大学よりマスター・オブ・アーツの称号を授与され、1889年には文部省 . . . 本文を読む
雄略天皇も北の高句麗から南の百済を守っています。
「日本書記・雄略天皇」「二十三年479、夏四月、百済文斤王薨ず。天皇、昆支王の五子の中に第二末多王の幼年聡明を以て勅して内裏に喚したまふ。親ら頭を撫で誠勅慇懃にして、其の国に王たらしむ。仍りて兵器を賜ひ幷せて筑紫國の軍士五百人を遣り、國に衛送らしめ、是を東城王と為す。是の歳、百済の調賦常の例に益されり。筑紫安致臣(あちの)・馬飼臣 . . . 本文を読む
今日は智山第十一世護持院第三世覚眼遷化の日
以下密教大辞典等に依ります「覚眼・・薩摩の人。大乗院に入り、後豊山に来りて顕密の學を究める。醍醐に到りて有雅に就きて幸心一流を探る。後、江戸圓福寺に住し宝永二年智山第十一世能化となる。‥教風一世に高志し。‥江戸護持院第三世に転じ新義僧録職となり・・享保二年正月護持院火災となり(注1)自ら身を市谷圓満寺に隠居し、著作三昧。享保十年十一月八日寂。壽八十三。 . . . 本文を読む
坐禅三昧経に「もし佛道を求めるのであれば十方の仏の生身を夜空の星を見るように観ぜよ」とあります。坐禅三昧経下巻「若し行者、佛道を求めて禪に入らば先ず當に専ら繋心して十方三世諸佛の生身を念ずべし。地水火風山樹草木を念ずること勿れ。天地の中の有形の類及諸餘法を一切念ずること勿れ。但だ諸佛の生身の虚空に處在するを念ぜよ。譬ば大海の清水中央金山王須彌の如く夜闇中に大火を燃やす如く、大施祠中の七寶の幢の如し . . . 本文を読む
.
史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十一月七日条
「七日 蒙古ノ事ニ依リテ 十六社ニ奉幣使ヲ発遣ス」
史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十一月七日条
「七日・・延暦寺ニ一字金輪法ヲ修シテ 異国降伏ヲ祈ラシム」
天 . . . 本文を読む
日本紀略 / 正暦元年(990)十一月七日戊寅条
「七日戊寅 詔して 永祚二年を改め正暦元年と為し、天下に大赦し、大辟以下を赦除す。 常に赦する所の不免の者は赦せず。老人・僧尼に穀を賜ふ。 大風天変に依る也」
天皇は一条天皇。少しの異常気象でも国民の事を気にかけておられた天皇陛下のお姿が浮かびます。 . . . 本文を読む
日本紀略「長保元年999十一月六日太皇太后御悩に依り、権僧正観修をして、千手観音法を修せしむ、尋で、少僧都勝算をして、御修法を行はしむ」・天皇は一条天皇。・太皇太后とは昌子内親王 のこと。朱雀天皇第一皇女で冷泉天皇の中宮。資質淑慎で仏教に帰依すること篤く、永観三年(985)北岩倉山大雲寺に観音院を創建したことから、観音院太后とも呼ばれた。和泉式部も仕えた。長保元年12月1日には五十歳で崩御。観音院 . . . 本文を読む
説法明眼論より「・・一人ヲ教化スルノ功徳は六度ヲ行スルコト百劫スルニ勝レリ。一字ヲ聴聞スルノ大恩は千仏ヲ供養スルコト百劫スルニ過タリ。・・」(一人を教化することは檀・戒・忍・精進・禅・智慧の六波羅蜜を百劫という長い時間修業するより優れている。一字を聴聞させていただく恩は千佛を百劫の間供養するより勝れている) . . . 本文を読む
昭和27年11月6日、広島高等裁判所におけるパール博士の講演内容
「私は1928年(昭和3年)から45年(昭和20年)までの18年の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとん . . . 本文を読む