第二十三番 をがさか松風山音樂寺。御堂五間四面南向。
本尊聖觀音 立像御長一尺六寸(48㎝) 慈覺大師御作
當山の原始は、天長年中(9世紀)慈覺大師關東所々の霊地を開闢し給ふ折から、此地の不常をみ給まひ、此尊像を彫刻し給ひ、路を開きて堂宇を建させ給ふ時、余多の小男鹿來て案内し奉りし故、小鹿坂の名有。其後數百歳を經て、亨徳二年癸酉(1453)、諸州逆浪起て浪煙天を焦げる時、このあ . . . 本文を読む
第二十三番 をがさか松風山音樂寺。御堂五間四面南向。
本尊聖觀音 立像御長一尺六寸(48㎝) 慈覺大師御作
當山の原始は、天長年中(9世紀)慈覺大師關東所々の霊地を開闢し給ふ折から、此地の不常をみ給まひ、此尊像を彫刻し給ひ、路を開きて堂宇を建させ給ふ時、余多の小男鹿來て案内し奉りし故、小鹿坂の名有。其後數百歳を經て、亨徳二年癸酉(1453)、諸州逆浪起て浪煙天を焦げる時、このあ . . . 本文を読む
高野春秋に
(延喜二十一年十月)「二十三日、天皇、中納言扶閑卿(注1)及び観賢僧都をして檜皮色装束幷に袙蔑子鞋等特大師号諡号の勅書を斎持して往かしむ。」
なおこれに先立つこと七日、観賢が大師号を求めることを乞ています。「高野大師御廣傳」には「・・至醍醐天皇御宇時、延喜十八年十月十六日。権大僧都法眼和尚位観賢。請賜諡号大師位・・」とでてきます。
(注1)扶閑卿・・藤原扶幹?
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