「高野春秋」「(治安三年1023)「冬十月二十二日、御堂殿下登御。是れ所謂咸夢已来、拝殿及び御廟橋造替、幷に今般真金法華経手寫墨書理趣経丗巻を納め,之を供養して往生覩史の直因と為んと欲する也。御法事法華八講、導師は三井寺心譽僧正、翌日理趣三昧、導師検校峯杲、着座權中納言時光、僧綱延寿、供奉一長者濟信、別当相輿、供奉僧定基、永昭律師、教圓僧都也。政所河南地を以て永く國役を停め寺定の賜 . . . 本文を読む
秩父三十四観音霊験記圓通傳 巻第四
第二十二番 西陽山榮福寺。御堂五間四面南向。
本尊聖觀音 立像御長一尺九寸(58㎝) 弘法大師御作
當山は人皇五十三代淳和天皇の西の院と申奉る御弟、三品式部郷伊豫親王事に坐せられ、河原寺に出て餓死給ひし御菩提を祈給はんが為(伊予親王の変。伊予親王は、桓武天皇の第3皇子。母は右大臣藤原是公の娘・藤原吉子。平城天皇に対する謀反の . . . 本文を読む
祈ることそれ自体がもはや結果
古来祈願は叶えないケースが多いことは確かです。いつの世も人々は祈りに懐疑的になります。しかし結論は「祈り続けさえすれば確かに霊験はある」「祈ること即結果である」と云う事です。
四国61番香園寺中興の祖・山岡瑞円師の本「人格的生活をめざして」(昭和8年香園寺子安遍照会発行)に、師が荒れ果てた寺で肺病に伏せっていて「仏が人を救うなどとそんなことがあるも . . . 本文を読む
最近色々な人のケースを見ていると道のごみ一つを拾うことができるのも、電車で妊婦さんに席を譲ることができるのもましてやボランチア活動ができるのも先祖の遺徳・導きでできるだということに気が付きました。先祖、父母が善行をしている家庭ではそれが子孫に伝わって子孫も善行をできるようになっているのです。先祖の遺徳で子孫は善行もできるのです。突然善行ができるわけではありません。つまり先祖の遺徳・導きがないと善行 . . . 本文を読む