第二十七番 再上かげもり龍河山大淵寺。御堂三間四面南向)。
本尊聖觀音 御長一尺(30㎝)後光佛に三十三體之觀音の尊像有 弘法大師御作
伏惟、當山の來由は、昔此里に寶明と號せし隠者ありき。其生處何の地と云事をあかさず、破笠爛筇、 東に走西に到り南去北來心に任て六十餘州足も止めず、此地に來て郡中に霊境餘多ましますに信心まさりてや、形の如くの草の庵結て暫く雲水の膝を曲しより、夏は蓮 . . . 本文を読む
日本後紀 / 弘仁五年(814)十月庚午(二十七日)条「庚午 大宰府言さく、『 新羅人辛波古知等二十六人、筑前国博多津に漂著す。 其の来る由を問ふに 遠く化を風して投ず』と」(大宰府が、「新羅人辛波古知等二十六人が、筑前国博多津に漂着しました。来朝の理由を尋ねたところ、遠方から天皇陛下(当時の天皇は嵯峨天皇)の徳を慕ってやってまいりましたと答えた」と朝廷に報告した。) . . . 本文を読む
以下の伝教大師から弟子の泰範にあてた手紙にあります。
弘仁三年812 十月二十七日に伝教大師が奈良よりの帰りに乙訓寺に大師をお尋ねになったことが分かります。交流は細やかであったということです。
「比叡山老僧㝡澄敬白
應に灌頂を受法する事
右㝡澄去月二十七日(弘仁三年十月二十七日)頭陀の次を以て乙訓寺に宿し空海阿闍梨に頂謁す。教誨慇懃具に三部の尊像を示され又曼荼羅を見しむ。倶に高雄に期す。㝡 . . . 本文を読む