「高野春秋」「(天長九年832)十月十八日、如意后、高祖を六甲山に招請し説戒導師と為し薙髪して僧尼と成る。是勅許を得る也。」
密教辞典に「如意尼・・803~835承和二年三月二十日。神呪寺開基。丹後与謝の人。10歳で京に来て如意輪観音の霊場を訪い、六角堂に住み822弘仁十三年、皇太子大友親王(淳和)の寵を得、翌年即位とともに妃となる。その年、天皇と共に大師より如意輪法を受け823 . . . 本文を読む
今日は大師が六甲山麓にある神呪寺をお開きになり、真名井御前を得度して如意尼とされた日です。ウキぺデア等に依れば「大師は、天長7年(830年)に六甲山頂の巨大な桜の木を淳和天皇第四妃真名井御前妃の体の大きさに刻んで、如意輪観音像を作りこの如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)10月18日に神呪寺本堂は落慶した。同日、淳和天皇第四妃真名井御前は、大師より剃髪を受けて、僧名を如意尼とした。」とあ . . . 本文を読む
承和二年835十月十八日實恵等が嵯峨上皇の「海上人を哭する」詩に答えて「恩勅の詩篇を謝する表」を奉じた日。(大師年表等)「門弟實恵等上表し恩勅の詩篇を謝す」「草上の僧實恵等聞く、徳廣きときは則ち物懐かざるなく、仁廣きときは則ち恩こうむらざるは無し。信なる哉、斯の言、今日七日、伏して御製の手札先師を哭するの詩を奉ず。宸章高臨、下土を照曜す。生死栄龍永く無窮に伝ふ。非幸非幸。伏して惟んみれば太上皇帝陛 . . . 本文を読む
「高野春秋・斉衡三年856」に「十月十八日戊子、曰、眞濟を僧正に、眞雅を大僧都に任ず。眞濟抗表して僧正を辞退す。是師位越階の旨を以てなり。天皇(文徳)感激す。」
この後すぐ十月二十七日に「高祖を大僧正に追贈す。濟公の僧正は元の如く也」(高野春秋)となります。 . . . 本文を読む
第十八番 神門寺 。御堂六間四面西向。
本尊聖觀音 立像御長二尺七寸五分(83㎝) 安阿彌作
當寺は徃古神社にてありしと古老の云傳ふ。其の地に榊有、枝分れて左右より空に至て結び、恰楼門の如し、是に依て神門の號有。年經て其社は跡もなく成ぬれど、其境清くげにも神の在すべき處なり。中頃處の長、里人を集、此地に再び神を祭るべしとて、先御湯をまいらせ神楽を奏しけるに、巫女の袖に移り給ひ、 . . . 本文を読む