妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・21
二には帝釈身。
「應以帝釋身得度者。即現帝釋身而爲説法。」
「帝釋」とは具さなる梵語には釈迦提桓(或は提婆と云う)因陀羅と云。釈迦、此には能と云。提桓、此には天と云。因陀羅、此には主とも帝とも云。能く天主と作る義なり。須弥山の頂に喜見城あり。周(めぐり)千由旬、城に千の門あり。城中に殊勝殿あり。周千由旬、黄金を地と . . . 本文を読む
「秘密念仏鈔(うち臨終用心の事)」 (道範阿闍梨)
それ臨終用心とは仏法の本懐、生死の折角なり。之に由りて有心の行者は皆深く尋ね習ふて心蔵に納む。何ぞ紙筆に染めてこれを露わにすべけんや。然りと雖も初心の人に至要を問はしめんが為に唯通相に就き略して大義を注す。行者若し多日病患に纏はれ上堂行法すること能はざる時は、手を洗ひ口を漱ぎて護身結界して帰命懺悔すべし。その詞に曰く
南無帰命頂礼 両部界会 . . . 本文を読む
・今日延暦五年768一月二十一日は滋賀に梵釈寺が建立された日です。(続日本紀「延暦五年一月壬子,於近江國滋賀郡,始造梵釋寺矣」)ウキぺデアには「近江国大津にあった寺。寺址は確定していないが,崇福寺址(大津市滋賀里(しがさと))南方の大形(おおがた)とする説が有力である。786年(延暦5)桓武天皇の草創で,長岡京遷都にあたって四天王の加護を願い,曾祖父天智天皇の故地に建立した。当初は四天王寺と称した . . . 本文を読む
日本紀略 / 延喜九年(909)正月廿一日条
「廿一日 止内宴 依去年諸国損也」
天皇は醍醐天皇。前年に起こった蝦夷征伐の「巣伏の戦い」で多くの人々が犠牲になり疲弊していたのを天皇が心配されたと思われます。 . . . 本文を読む
日本紀略 / 延喜九年(909)正月廿一日条
「廿一日 止内宴 依去年諸国損也」
天皇は醍醐天皇。前年に起こった蝦夷征伐の「巣伏の戦い」で多くの人々が犠牲になり疲弊していたのを天皇が心配されたと思われます。 . . . 本文を読む