福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「八海含蔵」に各宗派の要約が端的に書かれてありました。

2020-11-01 | 諸経

「八海含蔵」で虎関師錬は各宗の要点を以下のようにまとめています。せっかちの現代人にぴったりです。

俱舎宗は法体恒有。 成實宗は麁仮細實。律宗は五篇七聚。法相宗は有空中道。三論は八不中道。華厳宗は三界唯心。天台宗は一心三観。真言宗は六大無碍。佛心宗は直指人心見性成仏。浄土宗は一念十念。

以下全文です。

「八海含蔵」濟北沙門師錬撰

俱舎宗。俱舎宗は倶舎論を以て所依と為す。月支に於いて起こるは仏滅後四百年、迦貮吨王の請により五百羅漢二百巻論を造る。婆娑論是也。又、滅後九百年世親菩薩、婆娑二百巻深儀を撰す。先に三十巻頌を造る。倶舎本頌是也。震旦伝来、唐代二代太宗皇帝の御宇、玄奘三蔵渡天、瑜伽論・唯識論・倶舎論之を渡す。日本伝来は人王三十六代皇極天皇の御宇なり。智通・智達二人の沙門、賜勅入唐、玄奘三蔵に値ひ、俱舎宗を習ひ帰朝。或説、四十四代元正天皇の御宇、南都玄昉僧正入唐、此の宗の初め扶桑の審祥なり。當時、東大寺三井山門、之を學す。

 

成實宗。成實宗とは成實論に依る故なり。先に月支に於いて起こるは、仏滅後九百年、鳩摩羅駄の弟子、訶利跋摩三蔵出世し、最初小乗行者也。後に大乗に帰す。改悔の為に一論を造る。今の成實論これなり。震旦将来は東晋の愛帝の御宇なり。月支亀茲國羅什三蔵西天より七十四部の経論を渡す。(梵網菩薩戒経序に拠れば摩訶般若波羅蜜経釈論序、出三蔵記集第十四、梁高僧傳第十四、東晋安帝隆安五年十二月、羅什三蔵長安に来たる)

其のうち成實論是なり。扶桑伝来は人王三十四代推古天皇の御宇、道昭法師入唐し玄奘三蔵にあひ、此の論を伝て帰朝す。是此宗将来初めて也。或る説いはく、推古の御宇、観勒僧正百済国より成實論を渡す云々。東大寺・山門之を學す。

 

律宗。律宗は戒律を守るを要行と為す。先に月支において起こるは仏滅度後。幾内優婆離尊者、一夏九旬の間、八十度高座に登り、如来所説の毘尼蔵を説く。八十誦律本文是也。震旦傳来、後、秦安帝の御宇、罽賓國弗若多羅三蔵(ふにゃたら「功徳華」と漢訳。カシュミールの出身で、鳩摩羅什と共に、弗若多羅が記憶して伝えた『十誦律』を翻訳していたが、三分の二を訳し終わった頃、亡くなった。)王城精舎に於いて十巻誦律五十八巻を訳し、四分律六十巻を訳す。其の後、天竺に於いて掬多下に五部律あり(滅後一百年の頃付法相承第五祖優波掬多尊者が八十誦の大要を略攝して十度に誦出したのが、十誦律六十巻)。南山道宣律師、此の宗を受け三大部を造る。天平勝寶甲午、南山孫弟青龍寺鑑真和尚(鑑真は道宣の孫弟子)、本朝に傳来し、南都左京東大寺において戒壇を立つ。又、右京招提寺を造る。北京律は建久五年泉涌寺開山俊芿法師、入宋して律法を伝ふ。

 

華厳宗。華厳宗は月支に於いて佛最初成道の時、如来内証を普賢菩薩に授く。馬鳴・龍樹・天親菩薩相傳す。震旦将来なり。東晋の代、北天竺、覚賢三蔵(仏陀跋陀羅(ぶっだばっだら)ともいう。出家後、罽賓(カシミール)に遊び仏大先に禅法を受ける。五世紀長安に至り、廬山慧遠(えおん)に敬重され、『達磨多羅禅経』を訳出。また『摩訶僧祇律』『華厳経』『観仏三昧海経』など13部125巻を訳した)揚州空寺に於いて華厳経を訳し世に弘む。是旧訳華厳なり。扶桑傳来は人王四十六代孝謙天皇の御宇、東大寺良辨僧正、勅に依りて入唐し慧苑禅師(唐の法蔵門下の最もすぐれた華厳学者)に値ひ、此の宗を傳へ帰朝す。或る説に曰く、四十五代聖武天皇御宇、新羅僧審祥(奈良時代の僧で日本華厳宗の初祖。新羅出身とするが、新羅への留学生だったとの異説もある。良弁に『華厳経』を講じた)吾朝に来り東大寺に於いて華厳経を講ず云々。

 

三論宗。三論宗は経は般若経に依り、論は百論・中論・十二門論に依る。月支において起こるは滅後七百年。龍樹菩薩は、南天竺出生、有教を破る為に広く儀を宣ぶ。又、滅後八百年提婆菩薩世に出、是亦空教を弘む。今、有教滅後百年、魔訶提婆(此れ大天と云ふ,此れ外道なり)出世。諸法實有の儀を弘む。五天竺仰で之を用ふ。是有教の起こりなり。震旦将来、天竺亀茲國羅什、十六歳先に沙車王子に随ひて学道を磨く(沙車王子とは、須利耶蘇摩(すりやそま)のこと。鳩摩羅什は大乗の空の思想を教えていた須利耶蘇摩(すりやそま)に学ぶ)。是滅後千二百八十五年の事なり。遂に本國を立ち去り広く五竺に遊ぶ。見聞年を経て後、亀茲に帰る。其の後千三百九年、東晋第六愛帝(哀帝のこと)御宇、隆和元年、羅什七十四部経論を持ちて来朝。愛帝之を尊ぶ。長安に於いて訳出せしむ。其の七十四部内に、百論・中論・十二門論之あり。日域将来は人王三十四代推古天皇の御宇、高麗國恵慈(注1)、百済國慧徳、弘法の為に吾朝に来る。聖徳太子、寺を立て住せしむ。今の元興寺是也。聖徳太子、恵慈を正師となし法理を習ふ。然れば恵、嘉祥大師に値ひ三論を傳ふ。

 

(注1)推古天皇三年(595年)に高句麗から渡来、厩戸皇子の仏教の師。法興寺(現在の飛鳥寺安居院)に百済の僧慧聡と住し、ともに三宝の棟梁と称された。 推古天皇23年(615年)、聖徳太子が著した『三経義疏』を携えて高句麗へ帰国。

 

法相宗。法相宗は所依六経十一論ありと雖も、殊に解深密経是を三時経(注1)と為す。震旦将来。唐太宗皇帝の御宇、貞観三年629玄奘三蔵生年二十九、渡天し中天竺大那爛陀寺戒賢論師(注2)に謁す。瑜伽唯識論等幷倶舎論等を伝ふ。同十九年、帰来、即ち所傳を以て太宗に授く。日域伝来は人王三十七代孝徳天皇の御宇なり。道昭和尚(注3)入唐し玄奘に値ひ此の宗を傳へ帰朝す。或説に、人王四十代天武天皇の御宇、朱雀五年新羅国智鳳法師此の宗所依の経論を渡す云々。

 

(注1)。法相宗では釈迦一代に説かれた教説を三時期に分類して初時教を有教(阿含経など)、第二時教を空教(般若経など)、第三時教を中道教(華厳経など)と分ける。

 

(注2)戒賢は護法に師事して唯識を極め、ナーランダ大学の学長。晩年に留学して来た玄奘に唯識を伝えた。

 

(注3)遣唐使の一員として入唐し、玄奘三蔵に師事して法相を学ぶ。帰朝後は飛鳥寺(別称は法興寺、元興寺)の一隅に禅院を建立して住み、日本法相教学の初伝となる。また680年、天武天皇の勅命を受けて、往生院を建立。晩年は全国を遊行し、土木事業を行い衆生済度に努めた。文武四年(700)に72歳で没した際、遺命により日本で初めて火葬に付された。

真言宗。真言宗は秘密真言の呪力を以て現当世の悉地を祈る故に真言宗と曰ふ。月支に於いて滅後六百年、中天竺龍樹菩薩南天竺に往き芥子七粒を以て銕塔戸を打開し塔中の金剛薩埵、大日経を以て龍樹菩薩に授く。菩薩之を受け所依の経具之を論ず。大日経・金剛頂経・蘇悉地経等也。震旦将来は唐玄宗皇帝の御宇、開元四年716中天竺沙門善無畏、大日経七巻之を伝来す。又同八年、玄宗之を尊び長安に於いて翻訳せしむ。爾云ふ吾朝将来は東寺派曰く、人王五十代桓武天皇の御宇、延暦二十三年805大安寺空海和尚三十一歳、勅を奉じて入唐、青龍寺恵果阿闍梨に謁し、両部曼荼羅幷に供養壇供等を受く。五十一代平城天皇の御宇、大同二年807帰朝云々。

 

天台宗。天台宗は是れ能弘に依る意なり。若し所弘に依らば法華宗と謂ふべし。月支に於いて釈迦如来霊鷲山に於いて八箇年間自ら法華経を説く。以来、付法次第金口相承の如し。第一迦葉尊者、第二阿難尊者、第三商那和俊乃至第二十三は師子比丘(注1)也。此の師子の後、付法絶畢。震旦伝来は滅後千四百餘年斉高(注2)恵聞禅師出世す。斉高自ら謂ふ、我独り河准を歩る、當に誰を以てか師と為さん。蔵に入り巻を取る。若し経ならば佛を師と為す。若し論ならば菩薩を師と為す。即ち経蔵に入り供香散華し、後手に巻を取る。龍樹菩薩所造の中論なり。即ち開きて之を読む。當に因縁所生の法なるべし。楽文一心三観、内証を開く。爾来(聞(文)・岳・天・灌・智・慧・朗・然・遼、是れ九天台祖)恵聞(文)、南岳・天台・灌頂・智威・恵威・玄朗・湛然・道遂、九師次第相伝す。日本伝達は人王五十代、桓武天皇の御宇、延暦二十三年804、最澄和尚三十八歳、勅を賜り入唐、道遂和尚幷行満大師に謁し天台深儀を受く。同二十四年帰朝云々。

 

(注1)師子比丘は六世紀ごろの中インドの人。付法蔵の24人(末田地を除くと23人)の最後の伝灯者。付法蔵因縁伝によると、尊者が罽賓国で布教をしていた時、国王・檀弥羅は邪見が強盛で多くの寺塔を破壊したり僧を殺すなどの迫害をし、ついには尊者の首をも切ってしまった。しかし尊者の首からは一滴の血も流れず、ただ白い乳のみが出たという。これは尊者が白法をもっていたこと、また成仏したことをあらわすとされている。

(注2)北斉(550年 - 577年)は、中国の南北朝時代に高氏によって建てられた国。国号は単に斉であるが、春秋戦国時代の斉や南朝の斉などと区別するために北斉・高斉と呼ぶ。

 

佛心宗。禅宗は文字言句を以て宗と為さず。本意は只心鏡を磨き、専坐を禅の得法と為す。故に曰く禅宗也。月支に於いて西天二十八祖的的相承。釈迦如来、阿難乃至菩提達磨と次第相承なり。直指人心見性成仏。震旦において将来するは西天達磨東土に来り、以心伝心の法理を弘む。梁の武帝帰敬す。臣民渇仰掌。日本に於いては人王四十五代聖武天皇の御宇、天平八年、大唐道璿禅師、弘法の為に日本に得来す。大安寺行衣和尚、道璿に値ひ、傳法す。又曰く、人王三十四代推古天皇の御宇、達磨本邦に来り聖徳太子に傳法(明眼論に見ゆ)或説に曰く、天竺に於いて迦葉破顔、震旦に於いて達磨不識、吾朝由良開山法灯国師入宋、黄龍無門に謁し傳法。恵峰圓爾和尚入宋、径山無準に謁して伝法、永平道元入宋、天童如浄に謁して伝法、大徳開山大灯、松源五世の孫也。建長開山大覚禅師宋朝名哲也。

 

浄土宗。浄土宗は直身成仏は大上根器の業也、末世愚鈍の輩は先に浄土に生まれ其の後に成仏するが容易なるべし、彌陀の本願力を憑み専ら浄土行を欣求す、と。故に曰く浄土宗と也。月支に於いて吾先大覚士、浄土三部経を説く。天親菩薩往生浄土論を造り彼の世界相を観じ

三界道を勝過す云々(注1)。龍樹菩薩は十住毘婆沙論を造る。若し人、作佛を願ば心に阿弥陀を念ずべし云々。一念十念(注2)云々。流支三蔵は浄土論を伝ふ。三経一論を以て所依と為す。震旦将来、曇鸞・道綽・善導を祖と為す。本朝は黒谷源空上人を祖と為す。其の徒、西山は即便往生、鎮西は當得往生(注3)。源空自ら大蔵経を開き浄土門を立つ。

 

  • 天親「浄土論」に「彼の世界を観ずるに三界の道に勝過せり」
  • 一度の称名念仏でも十度の念仏でも、度数に関係なく、等しく極楽浄土に往生できるという浄土宗の教え。
  • 西山浄土宗では即便往生(平生)といい、往生は死後に始まるのではなく、平生から始まるとし、鎮西派は當得往生(来世)を重視する。

 

諸宗要文

 

俱舎(法体恒有)。 成實(麁仮細實)。律宗(五篇七聚(注1))。法相(有空中道(注2))。三論(八不中道(注3))。華厳(三界唯心)。天台(一心三観)。真言(六大無碍(注4))。佛心(直指人心見性成仏)。浄土(一念十念)。

 

(注1)五篇七聚とは、比丘・比丘尼の戒の総称。五篇は戒を罪の最も重いものから波羅夷はらい・僧残そうざん・波逸提はいつだい・提舎尼だいしゃに・突吉羅ときらの五種に類別。またこれに突吉羅を突吉羅(悪作)と悪説に分けて合計七聚とする。

(注2)三論宗は、八不中道という。「八不」とは「不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不来・不去」の句を八不という。八不は,すべての存在が相依相待の関係にあり,他から独立してそれ自体として存在するものは一つもない,という縁起の道理を説いたものであるとする。

「中道」とは、この八不には,真理に合する中道の実践も説かれていると考えて,八不中道という。中国の三論宗では,八不を破邪,中道を顕正の意味に解する。

 

(注3)唯識宗(法相宗)では「有空中道」と言う。有・空・中の三時の教判をて、解深密経などの説のように、「有」・「空」の二辺を離れて非有非空の中道の真理を完全に顕した教えを中道了義教とし、有・空に偏る教えを不了義教とする。ここで中道とは、いわゆる唯識中道のこと。

(注4)現象と真理(精神性と物質性等)は相互に溶け合いすべてが融通無碍にかかわり合っている。 仏も凡夫もまた六大である。

 

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