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・日光山御修行(大師四十一歳、弘仁五年、八百一四。「弘法大師空海の御足跡寺院」では大師四十七歳の御時とされています・・)・・二荒山(日光山輪王寺、世界遺産、坂東第十八番札所、栃木県日光市山内2300)弘仁五年には大師が「沙門勝道山水を歴玄珠を瑩く碑並に序」を撰述されています。大師がこの年に行かれたかどうかは不明ですが『高野大師御広傳』でも「(弘仁五年)同年月次壮朔。製沙門勝道上補陀落山碑」とあります。
ネット上には中禅寺門主の観音さまの霊験談がありました。
「観音さまのお声 中禅寺門主 鈴木常俊
ある夏の日、七十歳前後のおじいさんが、中学生ぐらいの孫をつれて、ご本尊立木観音さま(開基勝道上人御自刻)の前で、一心に観音経を読誦している。その姿があまりに真剣なので、後刻声をかけてみると、実は、と言いながら次のようなことを話してくださった。
『私は若い頃、経済的な悩みごとで人生に失望、死ぬつもりで華厳の滝まで来たが、この世の最後にと思い立木観音さまをお参りしたところ、『死んではいけない。頑張りなさい』という観音さまのお声が聞こえてきたのです。観音さまのお言葉で死ぬのを思い留まり、それからは一生懸命働いてきました。おかげさまで今日の私があるのです。年に一度必ず参拝お礼を申し上げているのですが、おそらくほかにも私のような人がいると思いますよ』とのことであった。
観音さまをお参りしたため、救われている人が何人もいるということは本当に有難いことです。
南無大慈大悲観世音菩薩」
・日光山御修行(大師四十一歳、弘仁五年、八百一四。「弘法大師空海の御足跡寺院」では大師四十七歳の御時とされています・・)・・二荒山(日光山輪王寺、世界遺産、坂東第十八番札所、栃木県日光市山内2300)弘仁五年には大師が「沙門勝道山水を歴玄珠を瑩く碑並に序」を撰述されています。大師がこの年に行かれたかどうかは不明ですが『高野大師御広傳』でも「(弘仁五年)同年月次壮朔。製沙門勝道上補陀落山碑」とあります。
ネット上には中禅寺門主の観音さまの霊験談がありました。
「観音さまのお声 中禅寺門主 鈴木常俊
ある夏の日、七十歳前後のおじいさんが、中学生ぐらいの孫をつれて、ご本尊立木観音さま(開基勝道上人御自刻)の前で、一心に観音経を読誦している。その姿があまりに真剣なので、後刻声をかけてみると、実は、と言いながら次のようなことを話してくださった。
『私は若い頃、経済的な悩みごとで人生に失望、死ぬつもりで華厳の滝まで来たが、この世の最後にと思い立木観音さまをお参りしたところ、『死んではいけない。頑張りなさい』という観音さまのお声が聞こえてきたのです。観音さまのお言葉で死ぬのを思い留まり、それからは一生懸命働いてきました。おかげさまで今日の私があるのです。年に一度必ず参拝お礼を申し上げているのですが、おそらくほかにも私のような人がいると思いますよ』とのことであった。
観音さまをお参りしたため、救われている人が何人もいるということは本当に有難いことです。
南無大慈大悲観世音菩薩」