福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

ディープエコロジーのみる食物連鎖

2013-09-15 | 法話
ディープエコロジーとは,アメリカの伝統的な自然保護思想を背景に1960~70年代のエコロジー運動の影響を強く受けて成立した哲学的思索パターンのことで生命体や人間を,個々ばらぼらな存在として捉えるのではなく,「相互連関的・全フィールドthe relationa, total-field」に織り込まれた結び目として捉えるとされていますが、このリーダーのひとりとされるG.スナイダーが「自然のすべては・・贈り物を交換している。誰かの食物にならない死はなく、誰かの死でない生命はない。・・微妙な食物の連鎖、は生命の世界の驚くべき美しい在り方なのだ。・・」といっている論文が平成19年9月号の「大法輪」にありました。

 法隆寺の玉虫厨子の捨身飼虎図は有名です。菩薩本生鬘論等に出てくるお話でお釈迦様は前世で薩埵王子だったとき、飢えた虎とその7匹の子のためにその身を投げ与えて虎の命を救った、というおはなしです。これは自己犠牲の精神を説いたものと思っていましたが最近、これはとんでもないことを説いている図であると思うようになりました。
つまりそれは一見「弱肉強食」と見えるこの世界を真理の目で見たら逆になるということを説いているのではないかということです。われわれは生物の命を日々奪って生きながらえています。すべての生物がそうです。食物連鎖は厳然として宇宙の始まり以来続いていますがこれをどう考えていくかです。食べる側は「弱肉強食」ですが食べられる側は
「捨身飼虎」です。食べる人間は「虎」で、食べられる動植物たちは「薩埵王子」です。
菩薩本生鬘論によればお釈迦様はこの薩埵王子で、当時の父親が今の淨飯王、后が摩耶夫人、兄が弥勒と文殊菩薩、虎が「姨母」、七匹の虎子は「大目乾連、舍利弗、五比丘是也」とあります。即ち願心をもった「捨身飼虎」という行為により関係者を「出離」せしめているのです。
(・・我於爾時。雖具煩惱貪瞋癡等。能於地獄餓鬼傍生惡趣之中。隨縁救濟令得出離。何況今時煩惱都盡無復餘習。號天人師 具一切智。而不能爲一一衆生於險難中代
受衆苦。佛告阿難。往昔王子摩訶薩埵。豈異人乎。今此會中我身是也。昔國王者今淨飯
父王是也。昔后妃者摩耶夫人是也。昔長子者彌勒是也。昔次子者文殊是也。昔彼虎者
今姨母是也。七虎子者大目乾連舍利弗五 比丘是也。爾時世尊説是往昔因縁之時。無
量阿僧祇人天大衆。皆悉悲喜。同發阿耨多羅三藐三菩提心。先所涌出七寶妙塔。佛攝
神力忽然不現)
 われわれも日々犠牲となっている生物の「捨身飼虎」時の「願心」を汲み取らなければならないということでしょう。そして日々犠牲となっている生物の「捨身飼虎」時の「願心」をくみ取りつついただくことが必要ということでしょう。
食事のとき唱える、五観の偈は「一 計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。二 忖己行 全缺應供 : 己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。三 防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。四 正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五 為成道業 因受此食 : 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。」となっていますがこの最後の「成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。」ということこそ全ての人が食事の時に唱えなければならない言葉と思います。

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