現実が全く現実と理想との対立を絶せし、絶対理想の表現であるこの境(密教の境地)にては、一々の個体が各々自覚の体に於て一切世界を統一し、各々自証の法界に住し、その本誓三昧を示現しつつある果人(覚っている人)である。無碍自在の人格体である。
此の如く如来自証の境地より一切を見、一切世界は法性法爾の示現なり、絶対本源の起動であり、永遠の創造体なりと知るところに、諸法の真実義を会せらるべきであらう。上述のごとく真言密教は最初より一般仏教の究竟の理想境に住し、その理想境を却って出発点とし、立脚地として絶対果地の性徳の開顕の道を明かすものである。中古以来の本宗の学匠真言密教に従因至果と従果向因の法門を説かれあるも、密教の正意は従因至果にあらず、如来果徳の開顕即ち曼荼羅の縁起を明かす従果向因(覚りの境地から現実に対処する)にありと解せしが如きは、何れも前叙の教意にもとずくものである。
即ち一般仏教は法を実とし人を仮とするも、密教に来たって人を本とし、また一般仏教の究竟の到達点を却って出発点としなすは、これ一般仏教は主客分別の妄念を有する因人をして無我無生の理を観ぜしめ、無明妄念を断滅して如来果地に到達せんとするおしえなるも、真言密教は入仏道の最初より神通乗たる三密の法門を受用し、この三密神通の寶輅に乗じ、直に如来果地に住し、如来自証の境に於で一切を見んとするの相違に基ずくものである。即ち一は有限より無限に到達せんとする道なるも一は直に無限に住し、一々に無限の真趣を開顕する秘儀を明かすの相違によるものである。
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