福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

第3回(1/2)福聚講鎌倉13佛霊場巡拝(2014-3-16晴れ)

2014-03-22 | 開催報告/巡礼記録
第3回・福聚講鎌倉13佛霊場巡拝(2014-3-16晴れ)

 鎌倉駅10時集合。ようやく寒さが遠のいて、暖かい。明るい太陽の光に、自然に肩の力が抜け、足取りも軽い。鎌倉駅から寿福寺へは徒歩約10分。鎌倉駅の東口に出て、小町通を進む。横須賀線の踏切を渡り、右折して横須賀線沿いに北(東京方面)に進むと、緑の中に佇む寿福寺の総門が見える。10時15分寿福寺着。
 
第4番札所寿福寺(臨済宗建長寺派) 普賢菩薩   鎌倉市扇ヶ谷1-17-1
 ・開基(創立者)北条政子 正治2年(1200)
 ・開山(初代住職)栄西。

             

 創建当時七堂伽藍が整い、十四の塔頭を有する大寺院で鎌倉五山の第三位。境内裏手の墓地には、大佛次郎や高浜虚子の墓地さらにその奥には、北条政子と、源実朝の墓と伝わるやぐらがある。

 朱塗りの総門をくぐると、左右に杉木立の緑の石畳の径が続く。石畳には木漏れ日が幾筋もの模様を描いている。
緑のトンネルの先に、中門が見える。中門から向こうの境内は非公開となっている。(正月7草までと5月はじめの1週間のみ、本堂前まで公開)
正面に見えているのは仏殿。右側には鐘楼がある。鐘楼近くの白梅が満開で、梅の香りが漂う。よく手入れされた庭は、美しいと思えるほど整っていた。仏殿前には、市指定天然記念物ビャクシンの木が堂の屋根を半分覆い隠すほどに大きく枝を伸ばしている。右手奥には、庫裏、社務所がある。
本堂近くにて納経。

 10時35分寿福寺を辞し、直ぐお隣の八坂神社にて般若心経納経。徒歩で、本覚寺へ。寿福寺から鎌倉駅東口方面に戻り、5分ほど歩くと、境内の裏手の入口がある。正面の入口は、境内を右に見ながらさらに進んで、T字路を右折すると右手に入口の楼門が見える。本覚寺11時10分着

第3番札所本覚寺(日蓮宗)文殊菩薩 鎌倉市小町1-12-12
 ・開基 日出上人

             

 身延山から日蓮の遺を分骨したため「東身延」と称し、日蓮宗の寺として格式の高さを誇る。境内には百日紅の大樹が目に付く。第2祖行学院日朝上人が眼病教護で有名で地元では、「日朝さん」 と呼ばれ親しまれている。

両側に仁王像を配する山門を過ぎると正面に堂々とした本堂が見える。本堂の本尊は釈迦如来で、両脇侍として文殊・普賢の両菩薩像、ほかに日蓮聖人像、日出・日朝上人像などが祀られている。現在は修復中で、正面左横が仮本堂となっていて、仮本堂前で納経。

  門のすぐ右手には七福神のえびす天神を祀る、八角形の夷堂がある。現在も、恵比寿さまは鎌倉七福神のひとつとして、多くのひとの信仰を集めている。
その先に御手洗場の細かい彫り物の施された建物や鐘楼があり、 本堂の向かって右手には祖師分骨堂がある。境内は広く明るい。春の光が隅々まで行き渡り、気持ちが伸びやかになる。ともすれば当たり前に感じている太陽の暖かい恵みに感謝。

 11時25分本覚寺より、僅か3分ほどにある長い参道の先に建つ妙本寺へ。
 
 妙本寺は、日蓮宗の寺院。

             

日朗を開山として文応元年(1260)に創建。もとは比企能員の屋敷で、建仁3年(1203)、比企の乱で比企一族が、北条氏を中心とする大軍に攻められ、滅ぼされた地。その後、比企能員の末子の比企大学三郎能本が日蓮上人のためと比企一族の霊を弔う為にお堂を建てたのが始まり。境内には日蓮聖人鎌倉開教聖地の碑がある。妙本寺11時50分発。鎌倉駅東口から徒歩で江ノ電乗り場へ。江ノ電乗り場12時10分着。

<不思議なご縁>
 鎌倉駅江ノ電ホームで、次の札所極楽寺に向かうため、高原講元を囲んで、巡礼姿の講員達は、江ノ電の到着を待っていた。その列の前に並んでいたご婦人がたまたま声をかけて下さった。その方がなんと、朝一番にお参りした、寿福寺の関係の方(寿福寺の現在の住職様の妹さん)とわかり、ご縁の大きさに、一同驚いたり感激したり。電車が入り、席も一緒になり、会話が弾んだのですが、直ぐに最寄りの駅で降りられて残念。もう少し寿福寺のことなど、お尋ねしたかった。
 
江ノ電に乗車して次の札所極楽寺へ向かう。……つづく
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