般若心経秘鍵の御著作時期については、般若心経秘鍵に上表文が最後についており、ここに「時に弘仁九年の春天下大疫す。 爰に帝皇自ら黄金を筆端に染め、紺紙を爪掌に握って、般若心経一巻を書写し奉りたもう。 予講読の撰に範て経旨を綴る。・・」とあります。即ち弘仁9年(818)大師45歳のとき、全国各地で疫病が流行したので心を痛められた嵯峨天皇は、大師の勧めにしたがって『般若心経』を奉写され、それに対して大師が、御前において『般若心経』を密教の立場での講義を示されたのが般若心経秘鍵とされてきました。しかし最近の学説では内容の円熟さから晩年62歳(834年)ころという、松長「般若心経秘鍵を読み解く」等の説が有力ではありますがそれではロマンがありません。華厳では時間も過去現在未来と相互に入り組んでいるとされるのですから、大師のご著作時期についても、現代人のリニアな時間のみでは測り知れないことです。
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