淳仁天皇は旱や霖雨は地方長官が国神を敬ってないからである、と叱っておられます。
続日本紀 / 天平宝字七年(763)九月庚子朔(1日)条
「九月庚子朔 (淳仁天皇)勅して曰く『 疫死多数 水旱不時なり。 神火(神の祟りの火事)屡ば至り 徒らに官物を損す 此は国郡司等国神を恭はざるの咎也。 又た一旬の亢旱は 致無水に苦しむ。 数日の霖雨は流亡の嗟を抱く。 此は国郡司等民を使うに時を失し、 隄堰を修せざるの過也。・・』」
続日本紀 / 天平宝字七年(763)九月庚子朔(1日)条
「九月庚子朔 (淳仁天皇)勅して曰く『 疫死多数 水旱不時なり。 神火(神の祟りの火事)屡ば至り 徒らに官物を損す 此は国郡司等国神を恭はざるの咎也。 又た一旬の亢旱は 致無水に苦しむ。 数日の霖雨は流亡の嗟を抱く。 此は国郡司等民を使うに時を失し、 隄堰を修せざるの過也。・・』」