福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その6

2019-09-06 | 法話
珠玉の琢磨を待て光彩を發する如く。性戒(注1)十善は謹慎護持の中に人天の樂果乃至無漏勝妙の果を顕す。
日月の光明隔てなきも高山幽谷其をり處に随て、分分に其照触を蒙る如く、此十善法性平等なれども人人受得するところに適ふて、分に其功徳を得る。
一家の主は一家に自在を得る。其中眷属大小みなわが子の如くじゃ。些々の十善の儀も面白きことじゃ。
一郡一國の主は各々其采地の境に自在を得る。其中の人民を赤子を保んずる如く撫育す。少分十善の儀も面白きじゃ。東方の人主、南方の象主、西方の寶主、北方の馬主、諸夷の君長、粟散諸王の其封境に自在を得る。其中の百官民庶みな赤子を保んずる如く、禽獣草木皆生育を遂ぐる。有漏中下品十善の儀も面白きことじゃ。まして輪王の運にあたる普天率土の主となり、千官億兆の君父となる。帝釋梵王の諸天の主宰となり世界を領する。有漏上品の十善の儀も面白きことじゃ。
まして賢聖の心は法と相応する。上品の十善。三界を超過して無漏道を得る。此中甚深縁起に達して無師自覚す。大悲萬行。世界海を盡し衆生海を盡して我行願の處となす。此樂みは衆生界と共に盡ぬじゃ。虚空界と共に盡ぬじゃ。(「十善法語」慈雲尊者)

注1)お釈迦様の禁止の有無にかかわらず行為それ自身が本質的に罪悪であるものをいう。対して「遮戒」というのはさまざまな縁から禁止した戒律。
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