福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんが15日の定例会の記録を作ってくださいました

2012-09-21 | 開催報告/巡礼記録
福聚講(高原耕昇講元)の、9月護国寺での定例会が、9月15日(土)14時、東京・音羽の神齢山 護国寺本堂で行われました。高原講元が、導師となって、般若心経、観音経、祈願、光明真言、御宝号、13仏真言を、お唱えしました。いつもながら深く仏縁を結ぶ機会を作っていただきました。

この日は、珍しく本堂には、私たちが居るだけで、他に参拝者は、背の高い男性の外国人が一人いただけでした。人の喧騒はなく、広々とした本堂で、静かに、読経し、祈りをささげることは、別世界にいるような感覚にとらわれました。

本堂の板橋僧正様が、私たちのために、ご本尊如意輪観世音さまのお厨子前のお灯明をつけてくださいました。すっかり我々も僧正様ともお馴染になり、いろいろありがたい心配りをして頂くようになり感謝に堪えない次第です。

この日は、「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」と云う風情で、青空のもと涼風が萩の枝を揺らしていました。

お参りの帰りは、お決まりのコースで、寺近くにある菓子司「甲月堂」で、氷水を戴きながら歓談のひと時を持ちました。

丁度今、日本は、国難に匹敵する尖閣諸島の領有問題を巡って、中国から猛烈な反発を受けています。高原講元も、一昨日、9月18日のブログで、早朝の修法の際、心の乱れを報告して居られ、その原因は、日中の国交の問題だったと、深い憂慮の念を訴えておられました。このため、私のこの報告も、高原講元にならって、日中問題で、ささやかな私の体験記を記します。
私は旧満州国・新京(長春)で生まれ、在満国民学校で学んだ大日本国民として、育ち、国民教育を受け、そのまま満州で終戦を迎えました。ソ連軍の進駐、八路軍(共産軍)と国民軍の内戦にもろに巻き込まれ、住んでいた町の市街戦の戦火に遭い、日本人の強制退去[帰国命令]という屈辱をうけて帰ってきました。
その後、成人して会社人間となり、毛沢東失脚直後の中国に、ソフトウエアー開発の日中ソフトウエアー開発合弁センターの設立計画の交渉で、日中間を往復、退社後は後期高齢といわれる人間となり・・・などとレポートを試みてみようかと思いましたが、講の報告に相応しいかどうか?時期早尚かも・・と思い、詳細は別の機会に譲ることとします。

閑話休題。
私が、高尾山薬王院で、手習いをしている御詠歌和讃の勉強会の様子をご紹介しましょう。そのきっかけは、今回9月15日の護国寺での、読経の際、私が、経本を畳の上に置いて、広げていたところ、講元から、人足が触れているところで、経本を置いてはいけないと諭されたことに端を発します。

御詠歌和讃の勉強会でも、経典と称する経本は、打敷という敷物の上に、きちんと置かねばなりません。同時に、鈴、鉦、撞木も、規則通りに、打敷の上に置かねばなりません。そして、御詠歌を唱え終えて、手終いする時も、向かって左側の打敷の端を、両手で巻き上げ、教本、鈴、鉦、撞木を重ねてひと束にしている上にかぶせ、最後に、右側の打敷を両手で丁寧にかぶせて巻きずしのように纏め拝むのです。この様な、「所作」は、私の、日常生活では、全くありません。子供のころには、母親から、客人の前などでの風呂敷の広げ方、包み方など教えられましたが、今や、こうした習慣は、絶えてありません。椅子とテーブル、便利・快適な生活習慣が、正座、箸の上げ下ろしなどの躾の習慣がなくなってしまい生活方式が、一変して今や、窮屈な行儀作法は、無くなってしまいました。

高尾山薬王院の勉強会でも私の「所作」について、指導戴いている僧上様や、仲間の先輩の人達から、親切に、教えて戴き、注意して戴いていたのですが、やはり、まだ未熟なのですね。高原講元のご指摘を受け、御詠歌の勉強会では、心得ていても、場所や、条件が変わると、「所作」ができない。まだまだ、未熟であることが、痛感されました。

考えてみると、この「所作」といわれる、御詠歌の詠唱中に行われる鈴の鳴らし方や、鉦の打ち方には、詳細なルールがあり、御詠歌を「詠う」(というと、先輩諸氏から、「詠う」のではなく、「お唱え」するのよ、と諭されます。)まさしく、唱えるのですが、これが、難しい。この、お唱えに合わせて、両手に持った鈴を鳴らし、鉦を叩く。この動作が、まとまって、御詠歌和讃が、一人前に唱えられるという次第です。

御詠歌和讃というのは、専ら、四国八十八カ所巡礼の時に「詠う」ものであるとか、年老いたご婦人たちが、「念仏」を唱えるように「詠う」ものであるようだという先入観があったのですが、この御詠歌の世界に、飛び込んでみると、老若男女に関係なく、丁度、キリスト教の礼拝時に歌われる「讃美歌」と同じものであることが解りました。御詠歌は、まさしく、お経を唱える事と同じように、節をつけ、音を鳴らして、仏様を讃えることだと解りました。こうして、私にとっては、御詠歌和讃の勉強は、仏法修行の一形式として、行っているつもりです。

自分でも自覚していますが、熱しやすく、冷めやすいという致命的な短所を持っていますので、いつまで勉強が続けられるか解りません。まさに、「インシャーラ―」、仏様のお気にに召すまま、というところでしょうか。国難の非常時に、のんきな話ですみません。[角田記]
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お大師様のご足跡寺院 その3 | トップ | Sさんから「私の高野山」を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

開催報告/巡礼記録」カテゴリの最新記事