「一万巻写経したお婆さんの葬儀を務めた」という電話がN師からありました。師の電話によると此のおばあさんは以前から写経を熱心に続けておりなくなるときはすでに一万巻の心経の写経を終えていたというのです。師はそのあと「驚くことに火葬場でみると此の人のお骨にはどこも曇ったところが無く、すべて真っ白だった」というのです。
わたしも何十人ものお骨をみましたがお骨にはどこか少しは変色したところがあるものです。ところが此のおばあさんはどこも変色はなく真っ白であったというのですから、修行の成果は俗人でも必ず現れるものだと思い知りました。同時に自分自身の修行不足を思い粛然とした気持ちにさせられました。僧侶は宗派を問わず火葬場では「舎利礼」をとなえます。まさにお骨は「お舎利」になっていたのでしょう。
わたしも何十人ものお骨をみましたがお骨にはどこか少しは変色したところがあるものです。ところが此のおばあさんはどこも変色はなく真っ白であったというのですから、修行の成果は俗人でも必ず現れるものだと思い知りました。同時に自分自身の修行不足を思い粛然とした気持ちにさせられました。僧侶は宗派を問わず火葬場では「舎利礼」をとなえます。まさにお骨は「お舎利」になっていたのでしょう。