77番道隆寺から78番郷照寺までは7kmくらいです。丸亀市内を抜けていきます。
丸亀城を望む丸亀市内は2回目の遍路の時は秋でしたから丁度秋のお祭りでした。花火もあがりなにかわたしの丸亀入りを祝福してくれているように勝手に感じてしまいました。しかしここから先が長いのです。前回も本当に大変でした。町の中はかえって距離感が掴めなくてあせるのです。今回も前と同じようにいけどもいけどもつきません。
そのうちまえにふらふらよろよろしながら歩くお遍路さんをみかけました。あまりふらふら歩くのでこれでは遍路のイメージを悪くするなどと勝手に心の中で批判してしまいました。いかに足が痛かろうともっとしっかり歩けないものかなどと思ってしまったのです。
ところが途中でさきのよろよろ歩きの遍路さんがいなくなりました。ハットして車道から細い路に入らなければならないところを見逃して通り過ぎていたことに気がつきました。勝手にこころのなかで格好悪いなどと批判していたお遍路さんが後姿で案内してくれたのです。大変恥じ入りました。人生でもこういうことがよくおこるのだろう人を無下にさげすむものではない、心しなければと思いました。
78番郷照寺は行基菩薩開基です。頼富本宏「四国遍路とはなにか」には「第七十八番郷照寺。元禄二年1689寂本「四国徧禮霊場記」挿圖に熊野社が記載されている。本寺は鎌倉時代には念仏遊行者の拠点となり江戸時代中期には木喰僧の屯する地となった。」とあります。道理で今は時宗の寺です。当時は88所中唯一BGMがながれていました。最初はいやだと思ったのですが、思い直しお経に熱中しました。すると全く苦にはなりません。大師堂では私が読経はじめるとともに中でご祈祷がはじまりました。 何年か後におまりした時はBGMはなくなっていました。
境内からは宇多津の海がみえます ふと「生きている人が成仏できなければ死者も成仏できない。死者が成仏できなければ生者も成仏できない。逆に生者が成仏すれば死者も成仏するのだ。」とおもいました。今は死者も生者も深い迷いの中、地獄でのたうちまわっています。
丸亀城を望む丸亀市内は2回目の遍路の時は秋でしたから丁度秋のお祭りでした。花火もあがりなにかわたしの丸亀入りを祝福してくれているように勝手に感じてしまいました。しかしここから先が長いのです。前回も本当に大変でした。町の中はかえって距離感が掴めなくてあせるのです。今回も前と同じようにいけどもいけどもつきません。
そのうちまえにふらふらよろよろしながら歩くお遍路さんをみかけました。あまりふらふら歩くのでこれでは遍路のイメージを悪くするなどと勝手に心の中で批判してしまいました。いかに足が痛かろうともっとしっかり歩けないものかなどと思ってしまったのです。
ところが途中でさきのよろよろ歩きの遍路さんがいなくなりました。ハットして車道から細い路に入らなければならないところを見逃して通り過ぎていたことに気がつきました。勝手にこころのなかで格好悪いなどと批判していたお遍路さんが後姿で案内してくれたのです。大変恥じ入りました。人生でもこういうことがよくおこるのだろう人を無下にさげすむものではない、心しなければと思いました。
78番郷照寺は行基菩薩開基です。頼富本宏「四国遍路とはなにか」には「第七十八番郷照寺。元禄二年1689寂本「四国徧禮霊場記」挿圖に熊野社が記載されている。本寺は鎌倉時代には念仏遊行者の拠点となり江戸時代中期には木喰僧の屯する地となった。」とあります。道理で今は時宗の寺です。当時は88所中唯一BGMがながれていました。最初はいやだと思ったのですが、思い直しお経に熱中しました。すると全く苦にはなりません。大師堂では私が読経はじめるとともに中でご祈祷がはじまりました。 何年か後におまりした時はBGMはなくなっていました。
境内からは宇多津の海がみえます ふと「生きている人が成仏できなければ死者も成仏できない。死者が成仏できなければ生者も成仏できない。逆に生者が成仏すれば死者も成仏するのだ。」とおもいました。今は死者も生者も深い迷いの中、地獄でのたうちまわっています。