「神祇秘抄」・・15/22
十五、太神宮は求聞持相応應の事。
問、太神宮に於いて求聞持法を以て 法楽相應の義と為すこと如何。
答、聞持の法とは虚空蔵の法也。凡そ三世の諸佛、歴代の祖師は此の法に依りて正覚を成すと見へたり。是又神の本誓なるが故に法樂と為す云々。然れば則ち釈尊山に入りて六年苦行して十二月八日の晨朝に明星を禮して正覚を得云々。其の明星とは明星と之を書く。明の字は則ち日月なり。日月は又内外宮の神體なり。星は不二の義、五大の中には空體なり(第十条でも「星は不二の義、両部不離の徳を取る。」とある)。虚空蔵とは天の蔵、梵天也。明星は龍宮の王、虚空蔵の垂迹也。彼の種子は「ばん(梵字)」字、金界の大日也。如来の像は四臂を具し四智を表す。輪を捧ぐるは煩悩摧破の義、鑰を持するは毎日晨朝に出現して虚空の蔵を開きて萬寶を一切に輿ふる義なり。寅の時、出現し給ふ事は、丑の時より出生の義なり。牛は無明惣體、三毒の標示なり。彼の無明より法性の理を顕すの義なるが故に、丑より寅を生ずと云々。世間母乳を以て稚子を養ひ成人と成すが如く、又養の法身を長じて正覚を成ずる義なり。或は夜を以て無明を象り、昼を以て法性を像り、一切衆生の生滅去来を表す。彼の天子、毎日東に出て西に没する云々。又彼の釈尊、東土より西天に迹を垂れ涅槃の相を示す。本地高廣を思へば三世常住にして一大法界を照らし、無量の衆生を利し給ふ。此れ神徳なるかな。
問、釈尊、正覚山に於いて十二月八日に明星を拝して成道す。其の義如何。
答、十二月と云は、十二因縁を修行して極月に至りて成道するの意也。十九にして出家、三十にして成道するの間、苦行六年樂行六年(妙法蓮華經玄賛 「九出家後、五年事仙人行樂行、六年行苦行三十成道」)、合して十二因縁、即ち十二月の表義なり。八日晨朝得法とは文殊八智
を得ることを表するなり。然れども文殊虚空蔵は一體異名か(溪嵐拾葉集「文殊虚空藏一體トスル也」)。秘口に云ふ、西天應化の尊、本地の明星を禮す、本方に向かって道を得云々(出典不詳)。
法花に云く、東方萬八千世界を照らす云々(妙法蓮華經卷第一序品第一「爾時佛放眉間白毫相光。照東方萬八千世界。靡不周遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼吒天。」)始覺の成道より本覚の方を照らす義なり。眉間白毫即ち明星也。即ち本迹不二の光明を以て普天を照らす。則ち天照の義も亦復此の如し。凡そ我が神とは無體無名なれども、還って又名體周遍法界せり。然れば則ち諸佛法性を神と云ひ、或は我が國常立尊を神と云ふも、天照一體の上の種々の異名也。一途に屈して疑惑を到すべからず。