9月7日1時30分に起床。明星が4時前にならないと拝せないのでゆっくり起きることにしました。しかし東空は曇りで明星は拝せませんでした。その代わりお大師様の像のうえから十七夜のお月様が明星禮の私の姿を照らしてくださいました。自分の身体はこのお山の一部になり切っている感がしています。やはり前世もこのお山で修行させていただいていたのかもしれません。岩に坐して瞑想していると、いつまでも座っていたい気がしてきます。
46座。快晴。5時頃入堂。突然家族のことが心配になりました。しかし家族のことだけを拝むわけには行きません。家族も衆生もともに幸せになりますようにと祈願しました。家族が心配な分力が入ります。しかしいつものように深い瞑想には入れません。どうしても家族のことが頭をよぎります。この座は散々な出来でした。出堂すると
いつもくる小鳥がお供えのお下がりをねだってチュンチュンと廊下にまでおりてきました。なぜか行の不出来を慰めに来てくれているように思えます。「ほととぎす世を卯の花に住みやわびぬ柴の戸ぼその明け暮れになく」(慈雲尊者)という歌がありました。
46座。快晴。5時頃入堂。突然家族のことが心配になりました。しかし家族のことだけを拝むわけには行きません。家族も衆生もともに幸せになりますようにと祈願しました。家族が心配な分力が入ります。しかしいつものように深い瞑想には入れません。どうしても家族のことが頭をよぎります。この座は散々な出来でした。出堂すると
いつもくる小鳥がお供えのお下がりをねだってチュンチュンと廊下にまでおりてきました。なぜか行の不出来を慰めに来てくれているように思えます。「ほととぎす世を卯の花に住みやわびぬ柴の戸ぼその明け暮れになく」(慈雲尊者)という歌がありました。