今日は親孝行の日です。
以前テレビで、北関東・茨城県を中心に快進撃中のファミレスチェーン「ばんどう太郎」の青沼社長を紹介していました。「ばんどう太郎」の経営理念は「親孝行」ということです。効率や利益よりも客の幸せを追求する“非効率経営”を掲げて勝ち続けています。
社長の青谷は貧しい農家の出身、中学を卒業後、蕎麦屋に弟子入りし24歳で独立したが売上第一主義の経営で退職者が続出して労務倒産の危機に陥ったといいます。追い詰められた青谷は亡母の墓参りに行くがそこで耳元に「働いている人が幸でないから辞めていくんだ」という母の声が聞こえたといいます。これきっかけに目標を「売り上げ日本一」から「幸せ日本一」へと変更。従業員を家族のように扱い、客の幸せから地域の幸せまで追求する“幸せ経営”を目指すようになったといいます。
司会者は「昔から、苦労人といわれる人が成功する確率が高いのは、自らの苦労を原型として、他人に対し慈しみを抱くことができるからだと思う。『自分は親孝行ができなかったから』青谷社長はそう言う。だが、お客と従業員に、つまり世の人々に、多大な喜びと幸福をもたらす、それ以上の親孝行は他にない。万人への『親孝行』である。」といっていいました。
私もほんのひととき経営者をやっていましたが、今の経営環境はこういう「真理」を言うことそのものが難しい雰囲気です。(私も社長時代は毎月近くの大神宮・増上寺に幹部一同お参りしたり、周囲の道路の清掃をしましたが何度も会社が吹っ飛ぶほどの危機を乗り越えて奇跡的に大躍進を遂げました。)経営者は社会の風潮に流されどうしても目先の「数字」に一喜一憂させられるのです。最近の経営を取り巻く環境には人よりも数字を優先する愚かな市場原理主義が執拗に刷り込まれているのです。そういう中でこうした本来の姿を示せる勇気ある経営者が出てきたということはほんとうにうれしいことです。お金よりも心が大切と訴えて成功しているのです。
四国遍路でも遍路宿で「寶在心(宝は心にある)」という信貴山管長の揮毫を見ましたが、昔の財閥の創始者はみなこういう本来の「心」をしっかりともっていたのです。三井財閥の創始者三井高利は「現銀掛け値なし」という新商法を掲げ、呉服の価格を下げ、また、呉服は反物単位で売るという当時の常識を覆し、切り売りをして大成功しましたが、これは母親の厚い信仰心によっています。客は皆佛性をもっており、同じように尊いのだから相手により商いを変えてはならないという母親の考えから出た商法です。
伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛は、西本願寺津村別院に従業員と毎朝参拝するとともに蓮如上人を慕う酬徳会を設立しています。住友財閥の理事以上には坐禅を修業してないとなれませんでした。キャノン創始者吉田五郎は、熱心な観音信者で国産初のカメラをKWANONと名ずけています。 正力松太郎は戦犯として巣鴨に収容されましたが「(南禅寺管長勝峰大徹)師のことを思い出して在監1年9ヶ月の間座禅を続けた。」と書いています。 旧安田生命社長の竹村吉右衛門は、母から観音様が守り本尊と聞かされ浅草寺の朝参会を作り、また仏教振興財団も作りました。 協和発酵の加藤辯三郎は在家仏教協会をつくりました。出光佐三は神官の息子でしたが社員全員に集会の都度皇居を遙拝させています。不祥事を続出させるいまの経済人の退廃ぶりは目覆うばかりです。
以前テレビで、北関東・茨城県を中心に快進撃中のファミレスチェーン「ばんどう太郎」の青沼社長を紹介していました。「ばんどう太郎」の経営理念は「親孝行」ということです。効率や利益よりも客の幸せを追求する“非効率経営”を掲げて勝ち続けています。
社長の青谷は貧しい農家の出身、中学を卒業後、蕎麦屋に弟子入りし24歳で独立したが売上第一主義の経営で退職者が続出して労務倒産の危機に陥ったといいます。追い詰められた青谷は亡母の墓参りに行くがそこで耳元に「働いている人が幸でないから辞めていくんだ」という母の声が聞こえたといいます。これきっかけに目標を「売り上げ日本一」から「幸せ日本一」へと変更。従業員を家族のように扱い、客の幸せから地域の幸せまで追求する“幸せ経営”を目指すようになったといいます。
司会者は「昔から、苦労人といわれる人が成功する確率が高いのは、自らの苦労を原型として、他人に対し慈しみを抱くことができるからだと思う。『自分は親孝行ができなかったから』青谷社長はそう言う。だが、お客と従業員に、つまり世の人々に、多大な喜びと幸福をもたらす、それ以上の親孝行は他にない。万人への『親孝行』である。」といっていいました。
私もほんのひととき経営者をやっていましたが、今の経営環境はこういう「真理」を言うことそのものが難しい雰囲気です。(私も社長時代は毎月近くの大神宮・増上寺に幹部一同お参りしたり、周囲の道路の清掃をしましたが何度も会社が吹っ飛ぶほどの危機を乗り越えて奇跡的に大躍進を遂げました。)経営者は社会の風潮に流されどうしても目先の「数字」に一喜一憂させられるのです。最近の経営を取り巻く環境には人よりも数字を優先する愚かな市場原理主義が執拗に刷り込まれているのです。そういう中でこうした本来の姿を示せる勇気ある経営者が出てきたということはほんとうにうれしいことです。お金よりも心が大切と訴えて成功しているのです。
四国遍路でも遍路宿で「寶在心(宝は心にある)」という信貴山管長の揮毫を見ましたが、昔の財閥の創始者はみなこういう本来の「心」をしっかりともっていたのです。三井財閥の創始者三井高利は「現銀掛け値なし」という新商法を掲げ、呉服の価格を下げ、また、呉服は反物単位で売るという当時の常識を覆し、切り売りをして大成功しましたが、これは母親の厚い信仰心によっています。客は皆佛性をもっており、同じように尊いのだから相手により商いを変えてはならないという母親の考えから出た商法です。
伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛は、西本願寺津村別院に従業員と毎朝参拝するとともに蓮如上人を慕う酬徳会を設立しています。住友財閥の理事以上には坐禅を修業してないとなれませんでした。キャノン創始者吉田五郎は、熱心な観音信者で国産初のカメラをKWANONと名ずけています。 正力松太郎は戦犯として巣鴨に収容されましたが「(南禅寺管長勝峰大徹)師のことを思い出して在監1年9ヶ月の間座禅を続けた。」と書いています。 旧安田生命社長の竹村吉右衛門は、母から観音様が守り本尊と聞かされ浅草寺の朝参会を作り、また仏教振興財団も作りました。 協和発酵の加藤辯三郎は在家仏教協会をつくりました。出光佐三は神官の息子でしたが社員全員に集会の都度皇居を遙拝させています。不祥事を続出させるいまの経済人の退廃ぶりは目覆うばかりです。