地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の12/13
十二、 生身地蔵を拝する事
伯州(鳥取県)大山に弘誓房明願(栃木県の岩船山高勝寺も建立した名僧)と申す法師あり。安心精進にして誓のほども勇猛なり。年来地蔵を信じ奉ること他なし。あまりのことに畫像木心やさしくて子細なく宿しける。遠旅の人なればいかばかり苦しかるらんとて休みなぐさめてさまざま言いたわりけるが、さて客僧はいずくより何方へ通り玉ふ人ぞと申せば、客僧のいはく、昔より今にいたるまで所願は唯此の事なりと具に語りければ、家主の云く真にあさからざりしことかな、好く知る人少なけれども此の法師こそ知りたる子細あれろ申しければ、弥よ深くたつ゛ぬるに家主申しけるは、當山にこそ月の十八日廿四日などには菩薩かならず出現し玉ふ。真実志あらば引導して拝せたてまつるべし。一両日逗留して待ち玉へ、十八日に拝せ申さんとありければ尤願う所なりと待ち居たりけるほどに、其の夜人来たりて柴の戸を打ち叩く、地蔵房や御座(をはします)とあれば、伊賀房是にありとぞ答ふ。明日田を耕さんと思うなり来て牛の鼻を取りてたべと云ば、承はると云てけり。亦深更に及んで翁来たりて地蔵房やをはすと云ひければ、伊賀房是にありとぞ答ふ。明日屋根を葺んと思ふなり、をはしまて萱の根を切りてたべと云、承りぬと云ふ。又次に人来たりて前の如く問て前の如く答ふ。明日家を建てんと思ふなり来たりて柱をけずりてたべと云ふ、承りぬと申す。其の後女人来たりて地蔵房やましますと云ふ。ありと答ふ。明日井をほらんと思ふなり、たのみたきと申す。やすきことなりと云ふ。佛は人間の所為なれば同じくは生身の御皃(すがた)を拝し奉らんと思立ちて待ち暁は南窗を開き目をほそめ心を静かに名号を唱奉り、若しや影向し玉ふと待奉れども来臨し玉ふ事もなし。或人の申しけるは筑紫の竈戸山の宝満大菩薩は地蔵の御垂迹と申す、されば月の廿四日十八日の暁は必ず地蔵影向し玉ひて大菩薩に相対し玉ひて衆生救脱の料簡を御物語あると申しければ此の言をふかく信じ、彼の竈戸山へ参籠して件の所求を祈り申しけり。信心底に徹りて祈りけるほどに、夢の瑞を感じける女体のけだかくましますが現じ玉ひて御手をさしあげ東方と思はしき方を指し玉ひて、汝若し生身の地蔵菩薩を拝し奉らんと思へば下野国岩船山と申す所あるべし、薩埵此の地に出現し給ふべしと示し玉ひ、かくれさせ玉ひぬ。さてこの夢想をたのみ奉り彼の國に下りて岩船山をたずねつつ迷行きけるが或所にて草刈童に彼の山を尋ねければ、指さして彼の山こそそれなりと教へける。喜びて彼の山の麓に至りてければ、日已に暮れぬるほどに宿をかりけるが人の心も穢土にをちぶれて慳貪の門を塞ぎ中々一夜を明かすたよりあらざれば、人里を去りて遥かなる片山里の傍らにあやしき一宇ありけり。爰に立ちよりて一夜の宿を明かさんととてかりけるに家の主はいやしき法師なりしがてけり客僧傍にて此の事どもを聞きあつめて不思議と申すばかりなし。来る人ごとに地蔵房と呼びぬればあやしき事に思所に後夜になりければ、主人房起きて客僧に暇を乞ひて身支度して云ひけるは、あなむつかしや一日も人の為に益のなして斎料絶つべし人の為に益無き者は佛道に入るたよりなしとつぶめき事して出行けり。是の事後に思合わすれば唯身に當りたる説法にてぞ侍りける。さて明願房は其の邊近くある所を一見のために見行きしが或所にて田夫の耕作しける所に彼の家主牛の鼻取りして田をすきけり。或は茅の根を切り、或は柱をけずり池をほり土を運びてつかわれけり。是彼を思ふにも不審きはまりなくして本の宿に立ち皈りて家主を待ち居たりければ日暮れて皈り来たりて伏してけり。次の日の朝、客僧さらば山へのぼりたまへ導き奉らんとて共に峰にのぼり日もいまだ出ざるに指して云く、彼の峰こそ日比所求地なり。彼にゆきて一心不乱に手を合わせ頂を見給ふべし刹那の間に地蔵影向し玉ふべしと教畢りて自身は山の後ろへ立まはりける。明願は件の所に端座して合掌し目をほそめて守り居たりければ其の形船に似たる大石南北に臥したりける上に登りて無佛世界度衆生上求菩提下化有生と唱て東方に行向て石の上を二三歩して東方に向て立ち左右の手をさしあげ身を頂より足下まで引き分ける如くし玉ふと思へば忽ちに金色通身五尺二寸(157cm)ばかりの地蔵菩薩に現じて立玉へば百光遍く十方世界を照らし玉ふ。其の一一の光の中には各々十方法界を現じて鏡中の像を見るが如し。歴々分明にしてくもりなし。地蔵房本の衣を着る如く身を左右より引きかずきければ本の下司法師にぞありける。さて石船より下り来たり明願に向て今は日来の所願成就し玉ふ。いそぎ古郷に皈り玉へとて峰より共に下り玉ふ。道の間の御物語さながら微妙の説法なり。路次の糧とし玉へとて器に米を入れてぞ送られけるが、ある宿にて米一合ほどもなん取り出し是を飯にしてたべとて渡しければ下女が是を請取て少分なるを嘲笑して大なる釜に打ち入れて飯にしければ釜の内に充満してあるを人々見て驚くを明願聞きていよいよありがたきことに思て道すがら試しけるに件の如くにぞありし。剰(あまつさ)へ乞食等に施し飢るものを助しかば見聞の人々希代の思をぞなしける。残る米を乞求てこれを身に帯して信をなせば靈感新たにして忽ち舎利とぞ成りにける。或は飯粒の光を放つを見ては発心するものあげて計ふべからず。其の後彼の山にたずねゆく人あれども其跡もなし。爰に老翁一人杖にすがりよろほひ出て申しけるは翁こそ此の里に久しく栖けれども御尋のことさらになし。但あのみえたる松の本に草庵あり。旧き庵なれば其の草創を知る人もなし。本尊は自然湧出の地蔵尊とかや。御縁起もさだかにしらぬ御佛にてましますとぞ語りける。此の人彼に詣して拝したてまつれば、御相好も年旧(としふり)てそれとも見分くべくもあらざれども、真にたっとく覚へける。後世これを岩船寺と申すこれなり。
(岩船地蔵尊御和讃「帰命頂礼岩船の 地蔵菩薩の蓮の池 水は無くとも船走しる 船は白金 ろは黄金 金銀帆柱おしたてて 六字名号帆にあげて 観音菩薩はかじの役 勢至菩薩はみなわ役 地蔵菩薩はさおの役 あまたの仏をみな乗せて 極楽浄土へすらすらと 極楽浄土の大門は 金銭づくではこらかねが 念佛修行でおしひらく 念佛修行はありがたや」)
されば相かたらひてまりけるの輩信心の薄きにや一々拝奉ることを得ざりけるらん、信心あらんになどか佛正に見へさせ玉ふべからざらんや。さるから經の中にも諸道昇沈は戒の曲直により、見佛不見佛は乗の緩急に隨ふと有るは此の謂ひなり(大日經疏妙印鈔・釋入眞言門住心品第一之餘「諸道昇沈依戒持毀。見佛不見佛任乘緩急」)。