福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

子供の不思議さ

2018-11-05 | 諸真言
・昨日国立は天下市と言って一ツ橋通りが歩行者天国になり、屋台が出たり、山車の上でお面をつけた子供が踊っていたりしていました。国立にもこんなに人がいるのかと思うほどごったがえしていました。私は一橋大学の図書館へ行こうと歩行者天国を人ごみをかき分けるようにしてあるいていると着物姿でヒョットコのお面をつけた8歳くらいの男の子がお囃子に合わせて踊りながら突然私の前に現れました。そしておもちのような可愛い手で一つ飴を差し出します。わたしはビックリしましたがそれでも余りの可愛さに「ありがとう」といってその飴を受け取りました。雑踏の中で私だけに飴をくれたのです。不思議です。またなんともいえない可愛らしさです。子供はどうしてあんなに不思議で可愛いのでしょうか。子どもは何か不思議な力を持っています。

・そういえば、親類の子は、その子の祖父が死んで一週間ほどの時、突然「おじいちゃんがそこの障子の蔭にいる」といって周囲を驚かせました。わたしも10年位前の四国遍路で人気のない山中に突然10歳くらいの少女が現れ、ペットボトルのお茶をくれた経験があります。また四国番外の満濃池神野寺でよちよち歩きの幼児が私に小石を二つくれたことがあります。その後、この神野寺には二度お参りできています。

・子どもの不思議さは民俗学でも研究対象でした。柳田圀男が「遠野物語」で「旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり」といったことは有名です。また柳田 は 「先祖の話」(1945年)のなかで、「『7歳までは子供は神だ』という諺が今も ほぼ全国に行われ居る」といっています。
たしかに寺社のお祀りでは子供神楽があったり、御稚児さん行列があったりします。京の祇園祭りでは祭の主役は「長刀鉾のお稚児さん」で神様の使いとされています。

・そもそも依巫(よりまし)は尸童ともかくように子供が神託を受けることも多かったようです。

・さらに童子は神そのものともされることもあります。
『春日権現験記絵』には、春日明神が若々しい童子の姿で示現されており、『八 幡縁起絵巻』では、竹の葉の上に八幡様が童子姿で示現されています。

・また密教辞典には「童子」として「・・佛菩薩の童子には文殊菩薩の八大童子、不動明王に八大童子・三十六童子、乾闊婆王に十五童子、毘沙門天の五太子、弁財天の十五童子など図象中に見いだせる。我が国では法会・庭儀に童子が美装して従う風があり、南都や北京の勅会にも堂童子・大童子・上童子などが諸役を勤めた。・・」とあります。

・華厳経では善財童子がでてきますし、御大師様は伊勢の金剛証寺に天照大神のお姿として雨宝童子を刻まれています。
・さらに密教の修法壇の金剛線は汚れのない少女が編まなければならないとされています。


古来子どもは可愛い以上に神聖な存在なのでした。

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