福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講・第14回坂東33観音霊場巡礼の記録(2010-07-18)

2010-07-23 | 開催報告/巡礼記録
福聚講・第14回坂東33観音霊場巡礼の記録(2010-07-18)

今回の巡礼先は、第31番札所・大悲山笠森寺と第32番札所・音羽山清水寺。JR外房線・茂原駅改札口、10時集合。梅雨明けの快晴。駅前から牛久駅行きバス10時10分発に乗車、笠森観音入口10時44分下車。徒歩5分、参道女坂着。切り通しの参道は急な登りの石段で、崖と木漏れ日の光りの中に息づいている巨大な老木に囲まれ、薄暗く涼しい。「三本杉」「子授けの楠」「芭蕉の句碑」を過ぎて、登ること5分。開けた笠森寺(笠森観音)境内に着く。
眼前に高さ30メートルの観音堂。大岩の上に聳えるこのお堂は、61本の柱で支えられた「四方懸造り」と呼ばれる構造で日本唯一の特異な建築様式(重文)である。寺伝では、延暦3年(784年)伝教大師最澄が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置、開基されたと伝える。観音堂は、長元・元年<1028年>後一条天皇の勅命で建立。安土桃山時代の再建。縁起では、笠森観音を深く信じていた土地の美しい娘が天皇の后に選ばれ、報恩に伽藍を奉献したという。

 靴を脱ぎ、急な階段を75段上ると、観音堂の回廊。四方には、房総の山並みが青々と続く。大空にゆったりと浮かんで静かに流れる雲を見ていると、生かされている喜びと、感謝の気持ちがわき上がる。本堂では、「大般若経転読会」が既に始まっており、我々も参拝の方々と共に、本堂に座した。ご住職の観音経、般若心経に唱和し納経。唱和する人々の心が一つになり、その声は森に沈み空に溶けていった。深緑に囲まれた境内には、他に二天門、鐘楼堂、朱色の六角堂、仁王門などがある。

笠森寺を後に、茂原行きバス12時発に乗車。茂原着12時34分。12時48分(茂原駅)発安房鴨川行きに乗車、大原13時20分着。大原駅前からタクシーで20分、清水寺着13時40分。参道から直ぐに、渋い色の仁王門、その先に、朱色の四天門が見える。鮮やかな緑の中で、二つの門が、絵のように端然と建っている。配置が絶妙である。境内には、本堂(観音堂)、鐘楼、奥の院(木彫りの十一面観音像)、百体観音堂、閻魔堂などがあり、趣のある佇まいだ。本堂手前には文政9年(1826年)に芭蕉翁133回遠忌を記念し、この土地(現夷隅町)の俳人里丸翁が発起人となって建立した芭蕉翁の句碑もある。

この音羽山清水寺(清水観音)は、京都・清水寺、兵庫御嶽・清水寺と共に、我が国清水三観音の一。大同2年(807年)慈覚大師が、伝教大師最澄の志を継ぎ、楠で千手観音を刻し開基、坂上田村麻呂が堂宇を建立し祀ったと縁起は伝える。仁王門から見えた朱色の美しい四天門(風神、雷神像)と、伽藍最奥の観音堂(八間四方)は、文化14年(1817年)築の、江戸時代建築物。

本堂外陣に入り、般若心経2巻、観音経1巻を納経。堂の天井近くの長押には、幕末頃に奉納された大絵馬を始め多くの奉納額があり、人々の信仰の深さが感じられる。色褪せてはいるが、優れた細工や彫刻が多く、風格のある本堂であった。清水寺より14時30分タクシーに乗車、14時50分大原駅着。駅前で打ち上げ、解散。

参加者:高原講元、高橋、岡村、渕野、細田、菊池、佐竹、有薗(2人)、関口(2人)、計11名。
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