福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その84

2019-11-24 | 十善戒


向上の趣は且く略す。此人界の中。近くは身を百年に修して。家を千歳に守り。國を萬々世に傳ふる道じゃ。爰に至て君臣分定る。君は常に君たり。臣はとこしなへに臣たり。たとひ首に悪瘡ありて足肥白なるも。その位の易へられぬ如く。其君愚昧なるも。臣としては推戴すべし。其臣徳あるも。敢て其位をき窺窬(きゆ・うかがう)すべからず。

支那上代に。尭の位を舜に譲る。舜の位を禹に譲る。其聖人至公の心は貴む冪べきなれども。萬國古今に推通じて道とすべき道ではない。湯の桀を斥け。武の紂を亡ぼす。その民を塗炭に救ふ志は貴むべきなれども。萬國古今に推通じて道とすべき道ではない。(夏王朝の暴君傑王を殷の湯王が放伐、その後の殷王朝の暴君紂王を周の武王が放伐した)

看よ。後世臣として君を放ち君を弑する者。皆湯武を以て口實とす。臣の臣たらぬ。此類じゃ。此十善なくば世間黒暗と云も可なりじゃ。

戦国の時。燕王噲(かい)が國を其相子之に譲る。鹿毛壽に欺かれて。尭を引て自ら比する(鹿毛壽(ろくもうじゅ)が燕王に「堯が賢者といわれるのは堯がよく天下を譲ったためです。今、王が国を子之にお譲りなされば、王は堯と名声は同じにございます。」と諫言し燕王はそこで国のことを子之に委嘱仕手しまった、史記・世家)。漢の哀帝が私愛(男色)に溺れ董賢に位を傳んと欲して。此を有虞に比する(漢書・哀帝紀)。君の君たらぬ。此類じゃ。此十善なくば世間黒暗と云も可なりじゃ。王莽が漢を奪ふに。堯舜を假て辞を造る。曹魏、司馬晋己來。諸の反逆の者。皆禅譲を偽りて位に即く。臣佐の君長に悖る(もとる)。此類じゃ。(中国史上の禅譲は、実際には簒奪に近いものであり、王朝の正統性を保証する演出として行われ続けた。中国史で最初の禅譲は、前漢の最後の皇胤(皇太子)孺子嬰から王莽への譲位で、これは実際は完全な簒奪であった。その後も、王朝交代のたびに禅譲形式をとろうとされれた。)

劉宋の檀道成が威名さかんなるを宋君が疑て罪なきに刑に行ふた。後、敵國攻來た時。其猛将に事を闕いて檀道成もし在は胡馬ここに到らじとて悔たとある。

此等の君臣相疑ふ類。みな君の君たらぬ。臣の臣たらぬ類じゃ。此十善なくば強弱相凌ぎ。君臣相損害す。世間皆黒暗と云も可なりじゃ。傳戒相承の義に。我邦は上古より十善を以て天位を定め。十善を以て政治を布く。支那の聖代より勝り。諸子百家の徳風に越ると云ふことじゃ。
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