福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中島さんが坂東巡礼の記録を作ってくださいました。

2014-07-25 | 開催報告/巡礼記録
7月20日坂東札所巡礼の記録

宇都宮駅に9時30分に集合しました。まずは駅から一番近い19番札所大谷寺に向かう。大谷観音バス停前の能満寺の大谷観音のお堂を少し通り過ぎると、広い駐車場がある大谷寺の門前に着いた。石段を上がり朱塗りの仁王門をくぐると頭上に巨大な岩壁が覆いかぶさるようにして大谷寺があった。このようなお堂を見るのは初めてで、その迫力に圧倒される。その巨大な岩壁は有名な大谷石である。拝観受付をすまし、本堂の堂内に入ると洞窟になっていて岩壁に摩崖仏が彫られている。これが大谷寺の本尊、高さ3.89mの千手観音である。弘法大師が彫ったものと伝えられていて、岩壁に像の概形を浮き彫りにし、細部は塑土で補い仕上げ、金箔を張って完成させたもので造立当時は煌びやかな像であったそうだが、現在は岩肌のみの姿となっている。本尊の前で読経をする。薄暗がりのなかにスポットライトを浴びて浮かびあがる目前の摩崖仏に引き付けられ、お大師様が彫られているお姿を想像してみたりする。摩崖仏としては日本最古であり、江戸時代に徳川家康の長女亀姫が中興を援助し、徳川将軍家ゆかりの寺でもある。読経の途中からすごい人数の観光客が堂内に入ってきたので、ゆっくりもせず庭園の弁天様にお参りすると、次に21番札所日輪寺に向かった。

 坂東の最難所として知られている日輪寺は八溝山の八合目にあり坂東札所で唯一、1月・2月の厳冬期には閉山され、その厳しさを物語る。「八溝知らずの偽坂東」と古くからい言われていて、八溝山があまりに険しいため、山上の札所まで行かずに遠くから山容を眺め遥拝するだけで済ましたことを揶揄しているのだそう。大変な道のりを行くと山の木立に囲まれた日輪寺にやっとたどり着いた。寺伝によれば役行者によって開かれた霊場であり、弘法大師が十一面観音を刻んで本尊とし再興された。鎌倉時代には源頼朝が寺領を寄進し栄え、室町時代には大伽藍を構える北関東屈指の霊場となるも火災や廃仏毀釈によって衰退。現在はお堂があるだけのこじんまりした境内だが、山深い深淵とした雰囲気の古刹である。よくぞここまで来られたものだと感慨深い 思いで読経をすますと、早めに山を降りた。

 第22番佐竹寺は常陸太田と笠間を結ぶ県道沿いの街中に建っていた。壮大な山門をくぐると桃山建築の本堂がある。佐竹寺は、中世の常陸地方の豪族だった佐竹氏ゆかりの寺。花山法皇の勅願により十一面観音を本尊として開かれたと伝えられていて、佐竹氏初代昌義が信仰,寄進して代々の菩提寺となった。本堂は茅葺きの屋根で正面中央の唐破風には日の丸絵紋を施した佐竹氏の軍扇が飾られている。桃山建築の重要文化財でもある。
 次の巡礼は第23番札所観世音寺。日本三大稲荷の一つに数えられる笠間稲荷の門前町の笠間焼の陶芸の里からやや離れた緑のなかに建っていた。伝承によれば、土地の猟師が山中で目にした霊木に発心し庵を建て、仏師に千手観音を刻ませたのが始まりだという。境内入り口からしっとりとした雰囲気の木製の階段を上って本堂で読経をすますと、もう夕方だった。今回は慌ただしくも充実した巡礼でした。
四ヵ寺を大変な道のりを巡った巡礼は忘れられないものとなりました。お世話になった皆様に感謝です。

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