此法本より具足して闕失無けれども。授受の規則有て戒体(注1)を發得する。喩へば輪王の長子。生得尊貴なれども。即位の規則有て天位に登る如くじゃ。
此法。本性平等にして偏倚無けれども。境に對して別々に解脱する。喻へば摩尼珠の衆色を現ずる如くじゃ。
有情に命根有り。人々保著して寤寐(ごび)に忘れぬ。我が戒善此によって倍増する。一切損害の行ここに解脱するじゃ。
有情に内外の資縁あり。日夜奔走して求て厭はぬ。我が戒善此によって倍増する。一切侵奪の行為ここに解脱するじゃ。
有情に能所の愛あり。此愛身心を使役して奴僕のごとし。我が戒善此によって倍増する。一切執着ここに解脱するじゃ。
有情に迷謬あり虚妄あり。互に惑亂して實情を失ふ。我が戒善、此によって倍増する。一切欺誑の言辭ここに解脱するじゃ。
自他の戯謔有て散亂に在す。我が戒善此によって倍増する。一切掉擧(じょうこ)の心ここに解脱するじゃ。
自他の罵詈ありて事を破り道を壊る。我が戒善此によって倍増する。一切麁(そこう)の言辭ここに解脱するじゃ。
自他の悖戻(はいれい)有て他の親交を嫉む。我が戒善此によって倍増する。一切偏倚憎嫉の心ここに解脱するじゃ。
世間順境有て我が戒善倍増する。一切貪求の心ここに解脱するじゃ。
世界違境あって我が戒善倍増する。一切恚悩(いのう)の心ここに解脱するじゃ。
世間起滅有て我が戒善倍増する。一切非理の憶度ここに解脱するじゃ。
(注1)戒体とは、戒体論・宮林昭彦によると「心の選択を指導するもの。・・大毘婆沙論に「問う、何が故に戒体は唯色なるや。答う、悪色を起こすを遮するの故也。またこれ身語業の性なるがゆえに。身語の二業は色を体となすが故也」・・薩婆多毘尼毘婆沙論に「初めて受戒のとき白四羯磨あって戒色を成就す。はじめの一念の戒色を業と名けまた業道を名く」(ここでいう戒色とは戒体のこと)・・」