無尽意。若有人受持。六十二億恒河沙菩薩名字。復尽形供養。飲食衣服。臥具医薬。於汝意云何。是善男子。善女人功徳多不。無尽意言。甚多世尊。仏言若復有人。受持観世音菩薩名号。乃至一時。礼拝供養。是二人福。正等無異。於百千万億劫。不可窮尽。
無尽意、若し人あって六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を尽くすまで飲食・衣服・臥具・医薬を供養せん。汝が意に於て云何、是の善男子・善女人の功徳多しや不や。無尽意の言さく、甚だ多し、世尊。仏の言わく、若し復人あって観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時も礼拝し供養せん。是の二人の福、正等にして異ることなけん、百千万億劫に於ても窮め尽くすべからず。 「「無尽意よ。もし、ある人がカンジス河の砂の数の六十二億倍という大勢の菩薩の名前をしっかり覚え込んで、一生の間そのすべての菩薩に飲食物や衣服や寝具から医薬品までをいちいち差し上げたとしてこうした信仰深い人の受ける功徳は多いものでしょうか、少ないものでしょうか。無尽意菩薩はすぐお答え申し上げました。
「もちろん、非常に多いと存じます。」
そこで、お釈迦さまはこうおっしゃいました。
「そのとおりです。ところが、無尽意よ。ここに別の人があって、観世音菩薩の名前だけをしっかりと心に刻みつけていて、ほんのしばしの間でも拝んでお供え物を差し上げたとしましょう。それでも前の人とこの人は、その受ける功徳はまったく同じで、異なる所はないのです。観世音菩薩の功徳の大きさを言葉で述べようと思ったら、幾百幾千幾万億年という時間をかけても述べ尽くせるものではありません。」
無尽意。受持観世音菩薩名号。得如是無量無辺。福徳之利。
無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば是の如き無量無辺の福徳の利を得ん。 「無尽意よ。観世音菩薩を常に念じていれば、このような限りない福徳を受けることでありましょう。」
無尽意菩薩。白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此。娑婆世界。云何而為。衆生説法。方便之力。其事云何。
無尽意菩薩、仏に白して言さく、世尊、観世音菩薩は 云何してか此の娑婆世界に遊び、云何してか衆生の為に法を説く、方便の力其の事云何。
「無尽意菩薩はこれを聞いて、更に重ねてお釈迦さまにおたずね申し上げました。
「お釈迦さま。観世音菩薩はどのようにこの世の中に遊化されて、どのように説法をされるのでしょうか。」
仏告無尽意菩薩。
仏、無尽意菩薩に告げたまわく、「 するとお釈迦さまは、無尽意菩薩の問いに対してこうお答えになりました。 」
善男子。若有国土衆生。応以仏身得度者。観世音菩薩。即現仏身。而為説法。
善男子、若し国土の衆生あって仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩即ち仏身を現じて為に法を説き、 「どこかの国の人たちが仏さまのお姿で救われる場合には、観世音菩薩はすぐに仏さまの姿になって説法されます。 」
応以辟支仏身。得度者。即現辟支仏身。而為説法。
辟支仏の身を以て得度すべき者には、即ち辟支仏の身を現じて為に法を説き、 「縁覚(えんがく)と呼ばれる孤高の聖者が救うのにふさわしい場合には、縁覚の姿になって説法するし、」
応以声聞身。得度者。即現声聞身。而為説法。
声聞の身を以て得度すべき者には、即ち声聞の身を現じて為に法を説き、 「声聞と呼ばれる知識の豊富な人の姿で救うのがよい場合には、声聞の姿になって説法します。
応以梵王身。得度者。即現梵王身。而為説法。
梵王の身を以て得度すべき者には、即ち梵王の身を現じて為に法を説き、「天の神の姿で、清浄なる法の守護神である梵王となって救うのがふさわしい場合には、梵王の姿で現われて説法し、」
応以帝釈身。得度者。即現帝釈身。而為説法。
帝釈の身を以て得度すべき者には、即ち帝釈の身を現じて為に法を説き、 「善行を喜ぶ法の守護神である帝釈天(たいしゃくてん)となって救うのがふさわしい場合には、帝釈天の姿で現われて説法し、」
応以自在天身。得度者。即現自在天身。而為説法。
自在天の身を以て得度すべき者には、即ち自在天の身を現じて為に法を説き、「 それとは逆に悪行に詳しい自在天(じざいてん)となって救うのがふさわしい場合には、自在天の姿で現われて説法し、」
応以大自在天身。得度者。即現大自在天身。而為説法。
大自在天の身を以て得度すべき者には、即ち大自在天の身を現じて為に法を説き、 「魔王の大自在天となって救うのがふさわしい場合には、大自在天の姿で現われて説法し、」
応以天大将軍身。得度者。即現天大将軍身。而為説法。
天大将軍の身を以て得度すべき者には、即ち天大将軍の身を現じて為に法を説き、 「軍神である天大将軍(てんだいしょうぐん)となって救うのがふさわしい場合には、天大将軍の姿で現われて説法し、」
応以毘沙門身。得度者。即現毘沙門身。而為説法。
毘沙門の身を以て得度すべき者には、即ち毘沙門の身を現じて為に法を説き、 「毘沙門天(びしゃもんてん)となって救うのがふさわしい場合には、毘沙門天の姿で現われて説法し、」
応以小王身。得度者。即現小王身。而為説法。
小王の身を以て救うべき者には、即ち小王の身を現じて為に法を説き、「普通の王の姿で救うのがふさわしい相手には、普通の王の姿で現われて説法し」
応以長者身。得度者。即現長者身。而為説法。
長者の身を以て救うべき者には、即ち長者の身を現じて為に法を説き、 「長者の姿をとって救うのがふさわしい相手には、長者の姿で現われて説法し、」
応以居士身。得度者。即現居士身。而為説法。
居士の身を以て救うべき者には、即ち居士の身を現じて為に法を説き、 「在家のまま修行する人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、在家のまま修行する人の姿で現われて説法し、」
応以宰官身。得度者。即現宰官身。而為説法。
宰官の身を以て救うべき者には、即ち宰官の身を現じて為に法を説き、 「役人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、役人の姿で現われて説法し、」
応以婆羅門身。得度者。即現婆羅門身。而為説法。
婆羅門の身を以て救うべき者には、即ち婆羅門の身を現じて為に法を説き、 「バラモンの姿をとって救うのがふさわしい相手には、バラモンの姿で現われて説法します。」
無尽意、若し人あって六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を尽くすまで飲食・衣服・臥具・医薬を供養せん。汝が意に於て云何、是の善男子・善女人の功徳多しや不や。無尽意の言さく、甚だ多し、世尊。仏の言わく、若し復人あって観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時も礼拝し供養せん。是の二人の福、正等にして異ることなけん、百千万億劫に於ても窮め尽くすべからず。 「「無尽意よ。もし、ある人がカンジス河の砂の数の六十二億倍という大勢の菩薩の名前をしっかり覚え込んで、一生の間そのすべての菩薩に飲食物や衣服や寝具から医薬品までをいちいち差し上げたとしてこうした信仰深い人の受ける功徳は多いものでしょうか、少ないものでしょうか。無尽意菩薩はすぐお答え申し上げました。
「もちろん、非常に多いと存じます。」
そこで、お釈迦さまはこうおっしゃいました。
「そのとおりです。ところが、無尽意よ。ここに別の人があって、観世音菩薩の名前だけをしっかりと心に刻みつけていて、ほんのしばしの間でも拝んでお供え物を差し上げたとしましょう。それでも前の人とこの人は、その受ける功徳はまったく同じで、異なる所はないのです。観世音菩薩の功徳の大きさを言葉で述べようと思ったら、幾百幾千幾万億年という時間をかけても述べ尽くせるものではありません。」
無尽意。受持観世音菩薩名号。得如是無量無辺。福徳之利。
無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば是の如き無量無辺の福徳の利を得ん。 「無尽意よ。観世音菩薩を常に念じていれば、このような限りない福徳を受けることでありましょう。」
無尽意菩薩。白仏言。世尊。観世音菩薩。云何遊此。娑婆世界。云何而為。衆生説法。方便之力。其事云何。
無尽意菩薩、仏に白して言さく、世尊、観世音菩薩は 云何してか此の娑婆世界に遊び、云何してか衆生の為に法を説く、方便の力其の事云何。
「無尽意菩薩はこれを聞いて、更に重ねてお釈迦さまにおたずね申し上げました。
「お釈迦さま。観世音菩薩はどのようにこの世の中に遊化されて、どのように説法をされるのでしょうか。」
仏告無尽意菩薩。
仏、無尽意菩薩に告げたまわく、「 するとお釈迦さまは、無尽意菩薩の問いに対してこうお答えになりました。 」
善男子。若有国土衆生。応以仏身得度者。観世音菩薩。即現仏身。而為説法。
善男子、若し国土の衆生あって仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩即ち仏身を現じて為に法を説き、 「どこかの国の人たちが仏さまのお姿で救われる場合には、観世音菩薩はすぐに仏さまの姿になって説法されます。 」
応以辟支仏身。得度者。即現辟支仏身。而為説法。
辟支仏の身を以て得度すべき者には、即ち辟支仏の身を現じて為に法を説き、 「縁覚(えんがく)と呼ばれる孤高の聖者が救うのにふさわしい場合には、縁覚の姿になって説法するし、」
応以声聞身。得度者。即現声聞身。而為説法。
声聞の身を以て得度すべき者には、即ち声聞の身を現じて為に法を説き、 「声聞と呼ばれる知識の豊富な人の姿で救うのがよい場合には、声聞の姿になって説法します。
応以梵王身。得度者。即現梵王身。而為説法。
梵王の身を以て得度すべき者には、即ち梵王の身を現じて為に法を説き、「天の神の姿で、清浄なる法の守護神である梵王となって救うのがふさわしい場合には、梵王の姿で現われて説法し、」
応以帝釈身。得度者。即現帝釈身。而為説法。
帝釈の身を以て得度すべき者には、即ち帝釈の身を現じて為に法を説き、 「善行を喜ぶ法の守護神である帝釈天(たいしゃくてん)となって救うのがふさわしい場合には、帝釈天の姿で現われて説法し、」
応以自在天身。得度者。即現自在天身。而為説法。
自在天の身を以て得度すべき者には、即ち自在天の身を現じて為に法を説き、「 それとは逆に悪行に詳しい自在天(じざいてん)となって救うのがふさわしい場合には、自在天の姿で現われて説法し、」
応以大自在天身。得度者。即現大自在天身。而為説法。
大自在天の身を以て得度すべき者には、即ち大自在天の身を現じて為に法を説き、 「魔王の大自在天となって救うのがふさわしい場合には、大自在天の姿で現われて説法し、」
応以天大将軍身。得度者。即現天大将軍身。而為説法。
天大将軍の身を以て得度すべき者には、即ち天大将軍の身を現じて為に法を説き、 「軍神である天大将軍(てんだいしょうぐん)となって救うのがふさわしい場合には、天大将軍の姿で現われて説法し、」
応以毘沙門身。得度者。即現毘沙門身。而為説法。
毘沙門の身を以て得度すべき者には、即ち毘沙門の身を現じて為に法を説き、 「毘沙門天(びしゃもんてん)となって救うのがふさわしい場合には、毘沙門天の姿で現われて説法し、」
応以小王身。得度者。即現小王身。而為説法。
小王の身を以て救うべき者には、即ち小王の身を現じて為に法を説き、「普通の王の姿で救うのがふさわしい相手には、普通の王の姿で現われて説法し」
応以長者身。得度者。即現長者身。而為説法。
長者の身を以て救うべき者には、即ち長者の身を現じて為に法を説き、 「長者の姿をとって救うのがふさわしい相手には、長者の姿で現われて説法し、」
応以居士身。得度者。即現居士身。而為説法。
居士の身を以て救うべき者には、即ち居士の身を現じて為に法を説き、 「在家のまま修行する人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、在家のまま修行する人の姿で現われて説法し、」
応以宰官身。得度者。即現宰官身。而為説法。
宰官の身を以て救うべき者には、即ち宰官の身を現じて為に法を説き、 「役人の姿をとって救うのがふさわしい相手には、役人の姿で現われて説法し、」
応以婆羅門身。得度者。即現婆羅門身。而為説法。
婆羅門の身を以て救うべき者には、即ち婆羅門の身を現じて為に法を説き、 「バラモンの姿をとって救うのがふさわしい相手には、バラモンの姿で現われて説法します。」