第二十八 十善助行章
(密教の身口意の三密の行には罪障消滅の功徳も備わる故に罪業深重の者も一たびこの法に入り菩提心を生じて真言念誦する時は無始以来の罪障は即消滅する、がこれから作る悪までも消滅することはできない。故に密教に入りて三密の妙行を修すれども恣に悪行を行ずれば覚る前に先ず地獄の罪人となる。大日如来はかかる初心の行者を憐み給ふが故に三密妙行を助ける戒として十善戒を説かれた。行者若し能くこの十善戒を護るときは、能く自ら悪を離るるのみに非ず亦能く他を利益し三密の妙行を助けて菩提心に勢いを与へ、速やかに仏果・霊験を証す。)
凡そ真言行者は菩提心を発して三密の妙行を修する時、自利利他の万行悉くこの中にこもれるがゆえに現当二世の所願満足せずといふことなし。往生の為にも成仏の為にも何一つとして不足ある事無し。但し初心の行者は凡聖不二の観解尚ほ浅く、差別の迷執尚ほ厚きがゆえに佛前に向かふときは手を合わせ佛を念じ真言陀羅尼を誦すれども仏前を去りて世間の事務に向かうときは貪瞋邪見等の諸の煩悩むらむらと起こりてややもすれば種々の悪行を行じて流転三途の業を造る。設ひ悪行はなさざれども人の為、国の為と称して為す所の事業も多くは名利に隋順して世間有漏の善業となり、往生成仏の行とはならず。是れ菩提心未だ勢力を得ざるが故なり。三密の妙行には罪障消滅の功徳も備わるが故に罪業深重の輩も一たびこの法に入り菩提心を生じて真言念誦する時は無始の罪障頓に消滅せんこと朝日に霜の消えるがごとくなるは勿論なれども、これらは已造の悪につきて言ふことにて、未造の悪までも消滅すといふにはあらず。さればこの法に入りて三密の妙行を修すれども三密の妙行の功徳尊きことを頼みて善悪因果の道理を忘れ己が悪心に任せて恣に悪行を行ぜば未だ往生成仏の大果を得ざる間に先ず地獄の罪人となるべし。法身大日如来かかる初心の行者を憐み給ふが故に三密妙行の他に十善戒を説きて真言行者の學所としたまふ。行者若し能くこの十善戒を護るときは、能く自ら悪を離るるのみに非ず亦能く他を利益し三密の妙行を助けて菩提心に勢いを与へ、乃至速やかに仏果を証す。若しこの戒に背きて十悪を行ずるときは、自ら損じ他を損じ、菩提心自然に退転して三密の妙行増進することを得ず。永く生死の苦患を免れず。この故に苟も真言行者たらん者は常に十善戒を護りて三密の妙行を助くべし。若し夫れ三密の妙行を積みたる深位の行者に至りては、凡聖不二の観解漸く深くなりて差別の迷執漸く薄らぐが故に眠るにありても覚めたるにありても観智離れず、昼夜四時に作すところの三業の所作、一一に皆佛作佛業となり、利益衆生の業とならざるはなく世務を営み実益を謀るに名利に順ずる嫌いもなく、邪見に陥るおそれもなし。思ひ構えて十善の戒を護らん人とは思はざれども三密の妙行修練の功によりて菩提心勢力を得るが故に十善の戒は護らずも自ら護るなり。若し能くこの境に至らば成仏遥かならず。初心の行者勉めてこの境に至らんことを期すべし。