福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「陰徳は必ず子孫を守る」

2017-04-23 | 法話
「陰徳は必ず子孫を守る」ということをお話しします。

私の父は四国の田舎で生まれ岡山の大寺に小僧に出されそこから田舎の山寺の住職となり、一生を終わりました。その間苦労の連続でした。岡山の大寺の跡を継ぐ約束で入ったのですが約束は守られず、入らされた山寺は貧乏寺でそのうえ大変むつかしい檀家が多く苦労しています。家庭にも恵まれず、最初の嫁は出奔、二度目の私の母は幼い私と妹を残して病死、三度目の妻(わたしの継母)は極度の病的ヒステリー症で家の中は穏やかな日はほとんどありませんでした。そのうえ私と継母の不和や気むつかしい檀家の問題、父の弟弟子の陰謀等から様々な深刻な問題が起こり、さいごは父は寝たきりになり、わたしも寺に帰れず、結局継母が父の面倒を見ました。

そういう一生を送ったのですが私は父の怒った顔を見たことはありません。いつも穏やかな顔で周囲や家族に接していました。出世欲・金銭欲は全くなく、お布施ももらわないで帰ってくることがたびたびでした。檀家の人で心ある人は「今良寛さまのようだ」といってくれていました。

継母はそういう父をいつも怒りまくっていましたが父は黙って受け流すだけでした。私も若い時はそういう父が物足りなくて、「もっとしっかりしてほしい」とおもっていました。

しかし最近95歳になる継母が父のことを「最高のお父さんだった」と褒めちぎるようになりました。「あんな素晴らしいお父さんはどこを探してもいない。お父さんと一緒になれてなかったら心がけの悪かった自分は今頃悲惨な人生を送っていたはずだ」といって泣くのです。

私も物足りないと思っていた父の偉大さがやっとわかってきました。
父の遺徳のお蔭で今までの人生をなんとか乗り越えてこられたのだと思うこと切です。

私は寺を継がずサラリーマンとなりましたが、多くのサラリーマン並みに様々な試練にあってきました。ほとんどが身から出た錆でしたが・・。それらの試練を無事乗り越えて永く勤めることができたのは今から思うと奇跡としか言いようがありません。

これは今まで仏様御大師様のお蔭と思っていましたが、その間を取り持ってくれていたのは父だったのです。私は寺の生まれながら若い時は信仰を持っていませんでした。それを仏様・御大師様の信仰に導いてくれたのも父の後ろ姿だったと思います。わたしが30歳くらいのとき二進も三進もいかなくなったことがありますが、その時突然父がよくお参りに行っていた高野山のことを思い出したのです。そして初めて奥の院にお参りに行ったのが今日の仏縁の始まりでした。

そして今有難い仏縁に恵まれ、四国を歩いて成満でき、四国開創1200年にもお参りでき、26年丙申の年にも逆打できました。秩父・坂東等の霊場も何度も成満でき、室生寺の精進が峰の如意宝珠を拝んで太龍寺で求聞持を成満でき、最高の秘儀とされる瑜儀灌頂を受け、此れも最高の秘仏を自宅に勧請出来、高野山開創1200年にも結縁灌頂入壇でき、私生活でも恵まれているのは父が陰徳をつんで私たち子孫に残してくれているからとわかりました。

自分も父の爪の垢ほどは陰徳を積み世の中へ還元しなければならないと思う今日この頃です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高野山参拝記 | トップ | 福聚講・今日の言葉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事