「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。(三帰依文・大内青巒作)」
という言葉があります。今日勤行していてふとこの「この身、今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。」という言葉が胸に突き刺さってきました。今までこの句は数えきれないほど読みましたが何故か今夕はぞっとしたのです。命があるうちに高い心境に達してなければ、死んでも迷い、また永遠に生まれ変わり死に変わりして苦しむことになるというのです。このことばからすると(今生に悟れている人はほとんどいないでしょうから)この世には迷っている不成仏霊がうようよいることになります。あらためてこれは恐ろしい言葉だとおもいました。不成仏霊にならないためにも、生きているうちに悟れなくても心境を少しでも高めなければと、心から思った次第です。
という言葉があります。今日勤行していてふとこの「この身、今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。」という言葉が胸に突き刺さってきました。今までこの句は数えきれないほど読みましたが何故か今夕はぞっとしたのです。命があるうちに高い心境に達してなければ、死んでも迷い、また永遠に生まれ変わり死に変わりして苦しむことになるというのです。このことばからすると(今生に悟れている人はほとんどいないでしょうから)この世には迷っている不成仏霊がうようよいることになります。あらためてこれは恐ろしい言葉だとおもいました。不成仏霊にならないためにも、生きているうちに悟れなくても心境を少しでも高めなければと、心から思った次第です。