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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

第二十七 護持十善章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・28

2019-01-28 | 頂いた現実の霊験

第二十七 護持十善章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・28

十善は仏性に順じた行動、十悪は仏性に背く行動。一切衆生本来各々仏性を具すといえども無明煩悩に覆われて十悪を造りて三界に入って徒に身心を苦める。若し一旦十悪をやめ十善を修する時は苦患自然に消え、福自ら至る。一切の仏法はこの十善があって初めて成り立つものである。随って密教でも入壇の時は必ず十善戒を授からなければならない。)

本業瓔珞経(菩薩瓔珞本業經)に「理に順じて心を起こすを善といひ、理に違ひて心を起こすを悪と名つ゛く」とあり。理とは顕教には真如と名つ゛け、真言には六大体性と云ふ。一切諸法は六大所成なるがゆえに一如平等なり。一如平等なれども因縁によりて十界の差相を現ず。現ずる所の差相、各々その分を守りて互いに相侵さず、尊卑位し、上下次第あり。尊卑上下の別ありと雖も、其の本性を論ずれば互いに十界の諸徳を円満して増減あることなし。これを平等即差別、差別即平等の理といひ、亦これを曼荼羅境界と云ふ。是即ち諸法本性の理なり。身口意の三業この理に順ずる時、十善となりて自他を饒益し、上転開悟の因縁となり、身口意この理に背く時、十悪となりて自他を損害し生死流転の因縁となる。所謂諸法本不生の理とは他に非ず、自心本具の性徳なり。これを仏性と名つ゛く。十善は常に仏性に順じ、十悪は常に仏性に背く。一切衆生本来各々仏性を具すといえども無明煩悩に覆われて自ら覚らざるが故に妄りに十悪を造りて三界の牢獄を構え、自らそのうちに入りて徒に身心を苦しむ。若し一旦内薫外縁の力に依りて自心本来この如くの徳を具する事を知りて十悪をやめ十善を修する時は苦患自ら除き、福自ら至る。・・しかれども実際事に臨んで三業を動作する時、何事か是善、何事か是悪といふことを知らず。智者も疑惑を生じ愚者は是非を錯まるべし。・・如来明らかにこの義を観たまひ男女老少をして何事か是善、何事か是悪といふことを知らしめ、容易に善を修し、容易に悪を止めしめ給はんがために善といふ善は悉く十善に摂し、悪といふ悪は悉く十悪に摂し、この十善戒を説きて止悪作善の標準としたまふ。所謂十善とは身三、口四、意三の善業なり。十善に反するを十悪といふ。不殺生・不偸盗・不邪淫これを身の三善行といひ、妄りに生あるものを殺し、他の物を盗み、邪淫を行ずる、これを身の三悪業といふ。不妄語・不綺語・不悪口・不両舌これを口の四善業といひ、妄語して他を誹り綺語を好み悪口して他を罵り両舌して他の親好を破る、これを口の四悪業といふ。不貪欲・不瞋恚・不邪見これを意の三善業といひ、名利を貪り、自ら憂悩し他を瞋り、神仏を軽んじ蔑し因果応報の理を撥無すること、これを意の三悪業といふ。十善の善たることは水の冷やかに火の暖かに金石の堅きがごとく、古今に亘って改まらず、万国に通じて変わる事無し。誠にこれ諸法法然の性戒にして一切衆生自心本具の性徳なり。涅槃経には「性自能持戒」(大般涅槃經卷第二十七師子吼菩薩品第十一之一「持戒之人復有二種。一者性自能持。二者須他教勅。若受戒已經無量世初不漏失。或値惡國遇惡知識惡時惡世。聞邪惡法邪見同止。爾時雖無受戒之法。修持如本無所毀犯。是名性自能持」)と説き、無畏三蔵は一切衆生自心本源の金剛性戒と名つ゛けたまへり。(大毘盧遮那成佛經疏卷第六入漫荼羅具縁品第二之餘「所爲能令行人成金剛性。止斷諸惡趣一切苦不生也。」)この戒はまことに人の人たる道にて万善能生の根本、仏法修行の基礎たるものなり。世間の仁義忠孝もこれより出て出世間の一切善根もこれより生ず。よくこの戒を持して人の人たる道を全くして賢聖の地位にも至るべく、佛果の万徳をも成就することを得べし。故に十善業道経には、「たとえば一切城邑聚落の皆な大地に依って安住することを得、一切の薬草、卉木草林の亦皆地によって出生することを得るが如く、この十善道も亦復この如し。一切の人天之によって立ち一切の声聞・独覚の菩提、諸の菩薩の行、一切の仏法、咸って共にこの十善の大地に依って成就することを得」(十善業道經には以下の如し「十善業道經、大唐于闐三藏實叉難陀奉制譯

如是我聞。一時佛、娑竭羅龍宮にいまして、八千大比丘衆三萬二千菩薩摩訶薩と倶なりき。爾時世尊龍王に告げて言く。一切衆生心想異るが故に業を造ることも亦異なり。是の故に諸趣に輪轉すること有り。龍王、汝此會および大海中に形色種類各別なるを見るや不や。是のごとく一切心によりて善と不善とを造る。身業と語業と意業との致すところならざるはなし。而も心は無色にして見取ばからず。但だ是れ虚妄の諸法集起して畢竟主なく我と我所なし。各の業に隨って所現するところ不同なりといえども、實に中において作者あることなし。故に一切法は皆不思議にして自性幻のごとし。智者は知已って應に善業を修すべし。是によりて生ずるところの蘊處界等、皆悉く端正にして見るもの厭きることなし。龍王よ、汝佛身を觀ずべし。百千億の福徳より生ずるところの諸相莊嚴光明顯曜して諸大衆蔽う。設ひ無量億の自在梵王も悉く復現ぜず。其の如來身を瞻仰者有らば、不目眩なるもの莫し。汝又此諸大菩薩妙色嚴淨觀ぜよ。一切皆由善業福徳修集により生ず。又諸天龍八部衆等の大威勢者もまた善業福徳によって生ずるところなり。今大海の中のあらゆる衆生、形色麁鄙或は大或は小、皆自心の種種の想念によりて身語意諸不善業を作によりてなり。是の故に業に隨って各の自ら報を受く。汝今當應に是の如く修學し亦た衆生をして因果に了達せしめ善業を修習せしむべし。汝當に此において正見不動にして復た斷常見中に墮在せしむること勿れ。諸の福田において歡喜敬養すべし。是の故に汝等また人天尊敬供養を得ん。龍王、當に知るべし。菩薩に一法ありて能く一切諸惡道の苦を斷ず。何をか一となすや。謂く晝夜において常に念じて善法を思惟觀察し、諸の善法をして念念に増長せしめて、毫分も不善の間雜をゆるさず。是れ即ち能く諸惡を永く斷じ善法を圓滿せしめ常に諸佛菩薩および餘の聖衆に親近することをえしむ。善法とは、謂く人天の身と聲聞の菩提と獨覺の菩提と無上菩提と皆な此法に依りて以って根本と爲し而も成就することを得るが故に善法と名ずく。此法とは即ち是れ十善業道なり。何をか十となすや。謂く能く永く殺生、偸盜、邪行、妄語、兩舌、惡口、綺語、貪欲、瞋恚、邪見を離るるなり。

龍王よ若し殺生を離るれば即ち十の惱を離るる法を成就す。何等をか十となすや。一には諸衆生に普く無畏を施す。二には常に衆生において大慈心を起こす。三には永く一切瞋恚習氣を斷ず。四には身は常に無病。五には壽命長遠。六には恒にの守護するところとなる。七には常に惡夢なく寢覺快樂。八には怨結を滅除し衆怨自ら解く。九には惡道の怖なし。十には命終して生天す。是を十となす。

若し能く阿耨多羅三藐三菩提に迴向する者は、後に成佛の時、佛の隨

心自在の壽命を得ん。

 

復た次に龍王、若し偸盜を離るれば即ち十種の保信すべき法をべし。何等をか十となす。一には資財盈積して王、賊、水火、非愛子のために散滅することあたわず。二には多人愛念す。三には人欺負せず。四には十方讃美す。五には損害憂うことなし。六には善名流布。七には衆に處して無畏。八には財・命・色・力・安樂・辯才とを具足して無缺なり。九には常に施意を懷く。十には命終生天。是を十となす,若し能く阿耨多羅三藐三菩提を迴向する者は、後に成佛の時、清淨大菩提智を得證せん。復次に龍王よ、若し邪行を離るれば即ち四種智の讃ずるところの法を得。

何等をか四となすや。一に諸根調順。二に永離諠掉。三に世に稱歎するところとなる。四に妻能く侵すことなし。是を四となす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提に迴向する者は、後に成佛時に佛の丈夫隱密藏の相を得ん。

 

復た次に龍王よ、若し妄語を離るれば即ち八種の天の讃ずるところの法を得。何等をか八となすや。一には口常に清淨にして優鉢華の香なり。二には諸世間の信伏するところと爲る。。三には言を發すれば證を成じ人天敬愛す。四には常に愛語をもって衆生を安慰す。五には勝れたる意樂を得て三業清淨なり。六には言誤無くして心

常歡喜を失わず。七には發言尊重人天奉行す。八には智慧殊勝にして能く制伏するもの無し。是を八となす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提迴向する者は、後に成佛の時に即ち如來眞實語を得る。

復次に龍王よ、若し兩舌を離るれば即ち五種の不可壞法を得。何

等をか五となす。一には不壞身を得、能く害するものなきがゆえに。二には不壞の眷屬を得、能く破するものなきが故に。三には不壞信を得、本業に順ずる故に。四には不壞の法を得、修する所堅固なるが故に。五には不壞の善知識を得、誑惑せざるがゆえに。是を五となす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提迴向する者は、後に成佛の時に正しき眷屬を得て、諸魔外道能く沮壞すべからず。

 

復た次に龍王、若し惡口を離るれば即ち八種淨業を成就す。何等をか八となす。一には言ことば)度にそむかず。二には言皆利益す。三には言必らず理に契う。四には言詞美妙。五には言承領すべし。六には言則ち信用せらる。七には言譏べきなし。八には言盡く愛樂せらる。是を八となす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提に迴向する者は、後の成佛時に如來梵音聲相を具足す。

 

 

復次に龍王。若し綺語を離るれば即ち三種決定を成就することを得。何等をか三となす。一には定めて智人のために愛せらる。二には定めて能く智をもって如實に答に問ふ。三には定めて人天において威徳最勝にして虚妄あることなし。是を三となす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提に迴向する者は、後の成佛時に即ち如來の諸所授記するところにして皆唐捐ならず。

 

復た次に龍王よ、若し貪欲を離るれば即ち五種自在を成就することを得。何等をか五とす。一にいわく三業自在。諸根具足するがゆえに。二にいわく財物自在。一切怨賊奪うことあたわざるがゆえに。三にいわく福徳自在。心の欲するところに従って物皆備うるが故に。四にいわく王位自在。珍奇妙物皆奉獻さるるがゆえに。五にいわく獲る所の物、もと求めしところの百倍殊勝なり。昔時において慳嫉せざるがゆえに。是を五となす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提に迴向する者は、後に成佛の時に三界に特尊にして皆共に敬養せん。

 

 

復た次に龍王よ、若し瞋恚を離るれば、即ち八種の喜悦心法を得。何等をか八とす。一には損惱の心なし。二には瞋恚の心なし。三には諍訟の心なし。四には柔和質直心。五には聖者慈心を得。六には常に利益をなして衆生の心を安んず。七には身相端嚴にして衆共に尊敬す。八には和忍をもってのゆえに速に梵世に生ず。是を八とす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提に迴向する者は、後の成佛時に無礙心を得て、觀る者厭うことなけん。

 

 

復た次に龍王よ、若し邪見を離るれば、即ち十功徳法を成就することを得。何をか十となすや。一には眞善の意樂と眞善の等侶とを得る。二には深く因果を信じて寧ろ身命を殞すとも終に惡をなさず。三には唯だ佛に帰依して餘の天等にあらず。四には直心正見にして永く一切の吉凶疑網を離れる。五には常に人天に生れて更に惡道に非ず。六には無量の福慧うたた増勝す。七には永く邪道を離れ聖道を行ず。八には身見を捨をおこさず諸の惡業を捨つ。九には無礙見に住す。十には諸難に墮せず。是を十となす。若し能く阿耨多羅三藐三菩提迴向する者は、後に成佛時に一切佛法を速證して自在神通を成就せん。

 

爾時世尊復龍王告げて言く。若し菩薩有って此の善業によりて道を修する時において能く殺害を離れしかも施を行ずる故に、常に財寶に富みて能く侵奪するものなく、長壽にして無夭、一切怨賊に損害せられず、不予取を離れて而も施を行ずるがゆえに、常に財寶に富みて能く侵奪されるなく、最勝無比にして悉く能く備に諸佛の法藏を集む。非梵行を離れて而も施を行ずるが故に、常に財寶にとみて能く侵奪するものなし。其家直順にして母及妻子を欲心をもって視る者あることなし。虚誑語を離れ而も施を行ずるが故に、常に財寶に富みて能く侵奪するものあることなし。衆の毀謗を離れて正法を攝持し其の誓願のごとく所作必ず果す。離間語を離れ而も施を行ずる故に、常に財寶にとみて能く侵奪あることなし。眷屬和睦して志樂を同一にして恒に乖諍あることなし。麁惡語を離れて而も施を行ずる故に。常に財寶に富みて能く侵奪あることなし。一切の衆會歡喜し歸依して言皆信受して違拒者なし。無義語を離れて而も施を行ずる故に、常に財寶に富み、能く侵奪するものあることなし。言虚設ならず

人皆な敬受す。能く善方便して諸の疑惑を断ず。貪求心を離れて而も施を行ずる故に、常に財寶に富み、能く侵奪するものあることなし。一切所有悉以って慧捨し、信解堅固にして大威力を具す。忿怒心を離れて而も施を行ずるが故に、常に財寶に富みて能く侵奪するものなし。速に自ら無礙の心智を成就し、諸根嚴好にして見るもの皆な敬愛す。邪倒心を離れて而も施を行ずるが故に、常に財寶に富み、能く侵奪あることなし。恒に正見敬信の家に生まれ見佛聞法し衆僧を供養す。常に大菩提心を忘失せず。是を大士の菩薩道を修する時の十善業を行じて施の莊嚴を以て獲る所の大利となす。如是。龍王要を擧げて之を言わば十善道を行ずれば戒の莊嚴を以ての故に、能く一切の佛法の義利を生じて大願を滿足し、忍辱の莊嚴を以ての故に、佛の圓音を得て衆相好を具す。精進の莊嚴を以ての故に、能く魔怨を破して佛法藏に入る。定の莊嚴を以ての故に、能く念慧と慚愧と輕安とを生ず。慧の莊嚴を以ての故に、能く一切分別妄見を斷ず。慈の莊嚴のゆえに諸の衆生において惱害を起こさず。悲の莊嚴の故に、諸の衆生を愍じて常に厭捨せず。喜の莊嚴の故に、修善を修するものを見て心嫌嫉なし。捨の莊嚴の故に、順違の境において愛恚心なし。

四攝の莊嚴の故に、常に勤めて一切衆生を攝化す。念處の莊嚴の故に、能く四念處觀を修習す。正勤の莊嚴の故に、悉く能く一切不善法を斷除して一切善法を生ず。神足の莊嚴の故に、恒に身心をして輕安快樂ならしむ。五根の莊嚴の故に、深く信じて堅固精勤して懈らず、常に迷忘なく寂然調順にして諸の煩惱を斷ず。力の莊嚴の故に、衆怨盡く滅して能く壞す者なし。覺支の莊嚴の故に、常に善く覺悟して一切諸法の正道を莊嚴するが故に、正智慧を得て常に現在前す。正莊嚴のに、悉く能く一切結使を滌除す。觀の莊嚴の故に、能く如實に諸法の自性を知る。方便莊嚴の故に、速に爲無爲の樂を成滿す。龍王、當に知るべし此十善業は能く十力と無畏と十八不共との一切の佛法を皆圓滿することを得せしむ。是故に汝等應に勤めて修學すべし。龍王、譬えば一切の城邑と聚落と皆大地によって而も安住することを得るがごとし。一切藥草卉木叢林も亦た皆な地によりて生長することを得るがごとし。此十善道もまた復た是のごとし。一切人天のよりて立つところなり。一切聲聞獨覺の菩提、諸菩薩の行と一切佛法みなともに此の十善の大地によりて成就することを得るなり。

佛此の經を説きおわって娑竭羅龍王および諸の大衆、一切世間天人阿修羅等、皆大歡喜信受奉行しき。「十善業道經」)

と説き給えり。

真言密教の中に先ず三帰十善を授けてしかる後に入壇受法せしむるを規則とすることも亦この意なり。若しこの戒を持たずんば人の人たる道に背く。人の人たる道に背けば人にして人に非ず。経には「畜生と異なることなし」と戒めたまへり。・・人のこの世に生まれて人身を受くるは前世にこの戒を持ちたるによる。今生もしこの戒を持たずんば来世には必ず地獄餓鬼畜生の身を受くべし。故に高祖大師は「前世に善を修して今生に人を得、此生に修せずんば還って三途に落ちん。春の種を下さずんば秋の実、何かでか獲ん、善男善女仰がずんばあるべからず」(秘蔵宝鑰の「愚童持斎心」)と示し給えり。されば往生を願ふ者も成仏を願ふ者も先ず深く因果の理を信じてこの戒を持つべし。この戒を持ちたる上にて往生成仏を願はば所願得ずといふことなし。若しこの戒を持たずんば人身をも得ること能わず。況や天上の果報をや、況や浄土の妙果をや、況や無漏の勝妙の仏身をや。竜樹菩薩の曰はく「羽なくして飛ばんと欲し,足なくして行かんと欲し、船なくして渡らんと欲す。これ得べからず。若し戒無き者は好果を得んと欲するに亦得べからず。若しこの戒をすてなば山居して苦行し水を飲み気を服し草衣を着け袈裟を被し等、諸の苦行を受くいえども空く所得なし。人貧賤なりとも能くこの戒を持たば十方に聞こえ名声遠く布き天人敬愛し所願皆得。」(大智度論巻十三「若人求大善利。當堅持戒如惜重寶。如護身命。何以故譬如大地一切萬物有形之類。皆依地而住。戒亦如是戒爲一切善法住處。復次譬如無足欲行無翅欲飛無船欲渡。是不可得。若無戒欲得好果亦復如是。若人棄捨此戒。雖山居苦行食果服藥。與禽獸無異。或有人但服水爲戒。或服乳或服氣或剃髮或長髮。或頂上留少許髮。或著袈裟或著白衣或著草衣或木皮衣。或冬入水或夏火炙。若自墜高巖若於恒河中洗。若日三浴再供養火。種種祠祀種種呪願受行苦行。以無此戒空無所得。若有人雖處高堂大殿好衣美食。而能行此戒者得生好處。及得道果。若貴若賤若小若大。能行此淨戒皆得大利。若破此戒無貴無賤無大無小。皆不得隨意生善處。復次破戒之人。譬如清涼池而有毒蛇不中澡浴。亦如好華果樹而多逆刺。若人雖在貴家生身體端政廣學多聞。而不樂持戒無慈愍心。亦復如是如偈説貴而無智則爲衰 智而憍慢亦爲衰持戒之人而毀戒 今世後世一切衰人雖貧賤。而能持戒勝於富貴。而破戒者華香木香不能遠聞。持戒之香周遍十方。持戒之人具足安樂。名聲遠聞天人敬愛。現世常得種種快樂。若欲天上人中富貴長壽。取之不難。持戒清淨所願皆得。復次持戒之人。見破戒人刑獄考掠種種苦惱。自知永離此事以爲欣慶。若持戒之人。見善人得譽名聞快樂。心自念言。如彼得譽。我亦有分。持戒之人壽終之時刀風解身筋脈斷絶。自知持戒清淨心不怖畏。」)

 

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