蒙古襲来時の修法について
続史愚抄に弘安の役の時の怨敵退散の各修法が載っています。
(弘安四年1281三月)「二十五日辛酉、新院御沙汰の為、靡殿に於いて五段法を始めらる。異国御祈の為。中壇阿闍梨前大僧正増忠。」
「(五月)八日癸卯、異国御祈の為、二十二社奉幣使を発遣せらる。・・」
「(六月)二日丙寅、異国御祈の為、不動法を東寺西院に於いて修せらる。」
「(六月)四日戊酉、蒙古御祈の為、石清水宮に於いて御読経」
「(六月)十三日丁丑、異国御祈の為、孔雀経法を大聖院に修せらる。阿闍梨仁和寺准后法助。太元法を法琳寺。阿闍梨権大僧都寛伊。」
「(六月十八日)同御祈の為、七佛薬師法を延暦寺中堂に於いて行ず。阿闍梨座主前大僧正公豪。亦最勝王経百部を石清水宮に転読さる。」
「(六月)二十日甲申、異国御祈の為、宸筆御書を山陵八所に献ぜらる。」
「(六月)二十二日丙戊、同御祈の為、仁王法を東寺講堂に修せらる。阿闍梨長者前大僧正定済。」
「(六月)二十三日丁亥、同御祈の為、今日より十箇日百僧を以て石清水宮に法華百部を転読さる。」
「七月一日甲午、異国御祈の為、石清水八幡宮に於いて大般若経を転読さる。亦七社に御祈り仰せらる。」
「(七月)二十六日已未、同御祈の為今日より七箇日、石清水宮に於いて尊勝陀羅尼・一切経・大般若百部・仁王経等を転読さる。導師西大寺思圓上人已下律僧五百人之を勤む。」