今日は『草の葉』の著者、ウォルター・ホイットマンの亡くなった日です。
ウキぺデア等によるとウォルター・ホイットマン (Walter Whitman)は1892年3月26日72歳で没しています。詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。超越主義から写実主義への過渡期を代表する人物の一人とされているようです。
日本では夏目漱石の「文壇に於ける平等主義の代表者ラォルト・ホイットマン(Walt Whitman) の詩について」 という評論(ホイットマン没年明治25年10月)で紹介されたとされます。此の中で、ホイットマンは「大都市や物質文明の繁栄も,その裏づけになる精神の原理を欠けば,それらはすべて意味のない形式だけの進歩 にすぎない」と考えていやこと等を指摘し、「物質上の進歩よりも精神の進歩を重んじたるは歴然として疑ふべ くもあらず」と結論づけてるようです。
「R.M.Bucke:Cosmic consciousness」には素晴らしい一節があります。
「彼(ウオルト・ホイットマン、『草の葉』の作者)の好きな仕事は、一人で戸外をぶらぶらと当てもなく歩き回って、草や花や日向の並木や変化する空の様子を眺めたり、鳥やコオロギや、雨蛙や、そのほか限りない自然の音響に耳を傾けることであった・・実際ウオルターホイットマンほど多くのものを好み、僅かなものしか嫌わなかった人間はかってなかったであろう。・・彼は彼の出会う男、女、子供のすべてを好いているようにみえた。・・彼と知り合った男や女は誰でも、彼が自分を好んでいること、また彼が他の人々をも同じように好んでいることを感じたものである。彼が議論をしたり論争したのを私は知らない。そして彼は金銭のことを決して口にしなかった。彼は常に彼自身の事や彼の著書の事を酷評する人々の言い分を是認した。・・彼はいかなる国籍や階級の人間をも、世界史のいかなる時代をも非難したことはなかった。またいかなる商売や職業をも悪く言わなかった。いかなる動物や昆虫、無生物に対しても、またいかなる自然の法則、病気や不具や死のようなその法則のいかなる結果に対してさえも侮蔑的なことを口にしなかった。天候の事や苦痛、病気、その他何事についてもかれは決して不平を言ったり愚痴をこぼさなかった。彼は決して罵る事をしなかった。・・彼は恐怖を表にあらわしたこともなかったし、彼が恐怖を感じたことがあるなどとはとても私には信じられない。(R.M.Bucke:Cosmic consciousness))」
又、ホイットマンは「自分自身が最良の手本になればいい。そういう手本になる人物が一人でもいれば その集団は千年輝くものになる」ともいっています。自分で千年の手本になろうとしていたのでしょう。すごい方です。こういう人が19世紀のアメリカで出ていたのです。今のアメリカからは想像を絶します。爪の垢でも煎じて飲みたいと思いました。