福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんに「福聚講護国寺参拝記録」を作っていただきました。

2019-05-23 | 開催報告/巡礼記録
福聚講護国寺参拝記録

待ちに待った初夏の季節になりました。私たちの気まぐれな心身状態ではない、明確な因果の法則どうりに運行する自然宇宙の確実な法則性により、四季の変化が実現してゆくことに感銘を受けます。東京・文京の大本山・護国寺には初夏が訪れています。境内の大木は、濃い緑の葉をつけ、活力に溢れています。そんな中で、福聚講(高原曻耕講元)は、5月19日(日)午後3時、定例の参拝行を行いました。いつもですと、参拝行は、その月の第三土曜日に行われるのですが、この日は、日曜日でした。やはり日曜とあってか、いつもとお寺の雰囲気が違うようです。お寺全体の雰囲気と、本堂の空気も、ゆったりとした解放感に満ち溢れていました。

参加した講員も、数か月振りに会うことが出来た講員さんが、お二人もおられ、お元気そうでした。定刻午後3時、ご本尊がまします祭壇の正面に私たちが陣取り、何時ものように高原講元様が導師になって、勤行を行いました。この日、参詣する人出も結構あり、私たちの、勤行を興味深く見守る人や、ただお賽銭を、投げて引き上げるのではなく、どんな、礼拝をしているのか観察してみようという人などが、私たちの後陣に集まって見入っているようでした。こんな余裕のある空気が本堂に流れていることが、日曜日のせいなのでしょう。昨日は、ご本尊様の御開帳があり檀家のお施餓鬼も行われ多勢の人が集まったようです。

この日、お勤めさせて頂いた御詠歌は、「いろは和讃」でした。前回も詠唱させて頂いたのですがうまくゆかず、このため鈴鉦を付けての復活戦と再挑戦したのですが、教本の音符の読み取りと、声を出すタイミングが合わず、結局は声だけの、御詠歌詠唱になりました。自分の、未熟さを痛感させられることしきりでした。

「いろは和讃」について、少しくお話しいたしましょう。密厳流遍照講事務局長 K師の解説をご紹介いたします。御詠歌の起源歴史ですが、「御詠歌」には二つの形があります。七五調の文章に節をつけたものを「和讃」、五七五七七の和歌の形式に節をつけたものを「詠歌」と言い、両方合わせて広い意味で「御詠歌」と呼んでいます。和讃の始まりには、いくつか説がありますが、弘法大師の御作りになられた「いろは歌」と考えます。「色は匂へど散りぬるを、わが世誰ぞ常ならん、有為の奥山今日越えて、浅き夢見し酔ひもせず。」ですが、これは、「大般涅槃経」の四句の偈(詩文)「諸行無常・是生滅法・生滅滅巳・寂滅為楽」の教えを読み込んだものです。また、詠歌の起源は、花山法皇に由ると言われています。奈良長谷寺の徳道上人が地獄の主である閻魔大王のお告げを受けて、民衆に、仏さまの教えを広めるようにと宝印を授かり、三十三の西国観音霊場を定めました。
時は経て平安末頃、苦悩多く若くして出家された花山法皇は深く仏教に帰依し西国観音霊場の再興に尽くされました。法皇はそれぞれの霊場に和歌を詠んで奉納しましたので、その後、霊場には誰とはなくその和歌に節をつけた巡礼歌(御詠歌)を唱えながらお参りする人々が集いました。そして、室町から江戸期には坂東観音霊場・秩父観音霊場が開創され百観音霊場として多くの参詣者で賑わいました。(「遍照講報 平成31年3月31日号」より)

ところでお釈迦さまは、「すべては心にもとずく」と言われました。
物事は、心にもとずき、心を主とし、心よりなる。汚れた心で語り、行うなら、苦しみはその人に付き従う。轍が車輪に付き従うように。(真理の言葉・上村勝彦著)
私は、仏さまを礼拝する時、お経を独誦するだけでなく、御詠歌を奉唱しております。御詠歌をお唱えしていると、メロデイと、詠歌の歌詞が交差して次第に、私の心にわだかまっていた雑念が漸減してゆくことが感ぜられます。俗世の雑念にがんじがらめになっている心を無限の宇宙に羽ばたかせたいものです。その力になるのは御詠歌。巡礼の時だけでなく、仏さまにお祈りする時にも、御詠歌を奉唱します。時がたつごとに、心の中が僅かでも軽くなってゆくのを感じるようになることが解かります。
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