・延暦二十三年五月十二日、大師三十一才の御時、遣唐使藤原葛野麻呂と同船される。(「御遺告」に「更に發心を作して去んじ延暦二十三年五月十二日を以て入唐す。初めて學習せんが為なり。天応慇懃にして勅を載せて海を渡る。彼の海路の間三千里なり。先例は楊蘇州に至って質さわりなし云々。しかるにこの度七百里を増して衡州に到り礙多し。」)
・「扶桑略記抄」延暦二十三年五月十二日条に 「大安寺空海和尚、生年丗一、入唐の志を遂げる矣。 」
日本後紀等に依ればこの後、七月六日肥前の国松浦郡田浦を出港され、八月十日福州の赤岸鎮に漂着されています。
四国75番の善通寺・御影堂(大師堂)のご本尊は瞬目大師(めひきだいし)です。これは大師渡唐の折、母君玉衣姫のおなげきをなぐさめるべく大師みずから池にうつるおすがたをえがきのこされたというものです。 奥殿の厨子内に秘蔵されています。 鎌倉時代土御門帝が拝された折、瞬きされたことから「瞬目大師」の尊号を賜ったといいます。当時の母君の御心境を伺わせる逸話です。
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