福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観内護摩 遍照金剛撰

2019-06-21 | 諸経
観内護摩 遍照金剛撰

火天とは毘盧遮那の内心を指す 火とは智なり 即ち智を能照となし 理を所照となす
智と理と相応する事、珠と光の如し これすなわち理智無二なり
是を毘盧遮那の心と名つ゛く この毘盧遮那の心は即ち天なり 自在の義なり
火とは即ちこれ自心の毘盧遮那自性の智火なり 世の火の如く諸物を焼き尽くす
智慧の火もまた然なり 智とhこれすなわち諸法皆空の義なり
空とは是れ断の義なり 煩悩を薪とし 智慧を火と為し 自身を壇と為す
定と慧との法味 諸の供具を成し 心王の如来と心所の聖衆とを供養す
理智平等の故に受もなく不受もなし 能所平等の故に供もなく不供もなし
菩提の性はこれすなわち煩悩の性なり 菩提を離れて何ぞ煩悩あらん
煩悩即ち是菩提の性なり       煩悩を離れて何ぞ菩提有らん
もしこの義を離れて菩提を求むる者は 水の外に浪を求め 浪の外に水を求むるが如し
この如く観じて煩悩清浄なり 本不生なり 是れ寂静なりと解する 是を護摩と名つ゛く
即ち是れ内護摩なり この観なくば外道の火法に随うがごとし
一法中の所作 不生寂静の義なれば これすなわち息災なり
所生の福智これを増益と名゛く 煩悩を殺伏するこれを降魔と名゛く 本覚に違背し無明を本覚に還らしむ これを敬愛と名゛く 六道四生に流浪する無明を本覚に召入するこれを鉤召と名゛く 息災の故に善生することを得、善生することを得るがゆえに貪欲を発せず、貪欲を発せざるが故に煩悩なし。煩悩なきがゆえに心清浄なり。心清浄なるがゆえにこれを名゛けて法と為す。増益の故に智慧生ず、智慧生ずるがゆえに愚痴を離る。愚痴を離るがゆえに心明徹なり。心明徹なるがゆえに之を名゛けて法となす。
降伏の故に怨来たらず、怨来たらざるがゆえに瞋恚を発せず。瞋恚を発せざるが故に心忍辱なり。心忍辱なるがゆえに心平等なり、心平等なるがゆえに是を名゛けて法と為す。
敬愛の故に嫉妬を生ぜず、嫉妬を生ぜざるがゆえに心に大慈ある也。心に大慈あるがゆえに能く以て楽をなす。能く以て楽を為すがゆえに大捨なり。大捨のゆえに之を名゛けて法となす。鉤召の故に厭悪の心なし。厭悪の心なきがゆえに大悲なり。意大悲なるがゆえに能く大善なり。大善の故に之を名つけて法となす。
是れ一の息災法に四の義を具す この一一の法に各四の法を具すこと、これに準じて之を知るべし。護摩とはこれ焼の義なり。即ちこれ内護摩はよく業障を除く。能く業障を除くがゆえにこれすなわち自心の智慧なり。
世間の火は諸物を焼尽せど、猶灰燼を遺す。智慧の火はしからず。諸の煩悩を焼き尽くして余り無からしむこと猶し劫焼焔の如し。覧字の大智火は身を焼て能く業障を清む。能く業障を清むが故に種子自然に生ず。之の鑁字、身分に満ちて毛孔に従って甘露流出して十方法界に遍じ衆生に灑ぐ。字に因って能く菩提の芽を生じ、此れに依って法性身となる。

所謂内護摩に三種あり。是すなわち尊と炉と身となり。之を三種と名つ゛く。この三種に又三を具す。所謂尊と言と印となり。尊の三とはこれすなわち三密なり。炉と身ともまた然なり。心を本尊とし、口を真言となし、身を密印と為す。即ちこれ三等なり。この三等をまた三事となす。所謂息災・増益・調伏なり。この三事はすなわち事に於いてす。この故に法と為す。所謂尊と炉と身の三が合するを秘密となす。この法、甚深にして人而も能く識る所なし。この故に事をもって理を説き、理を以て事を顕す。外を引て内に向れば理すなわち寂然なり。内を引て外に向れば事即ち自然なり。これすなわち理智不生寂静なり。」これを内護摩と名つ゛く。もしこの如くならざればその功唐損なり。真言の智を離れて無明の心に随はば豈に菩提を得んや。もし行者行住坐臥において所犯無くばすなわち正覚を成ず。所犯無きがゆえに之を金剛薩埵と名つ゛く。真言行者この如くの心に住する時、挙足下足一切むかふところ即ち利益を成じて道場ならざるところなし、云々。
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