(天平勝寶元年(749)11月19日、大仏完成擁護の神託を奉じた八幡神は、宇佐から平城京へと向かい、
大仏完成直後の12月18日、八幡神は平群郡(現在の大和郡山市南部)から入京する。これを平城京の南、梨原宮(なしはらのみや)において神殿を造って神宮とし、八幡神を迎え祀った。僧侶40人を招き、悔過の行を7日間行った。)
続日本紀・天平勝寶元年749十二月十八日の条に
「五位十人散位廿人六衛府舎人各廿人を遣りて、八幡神を平群郡に迎ふ。是日入京。即ち宮南梨原官に於いて新殿を造り以って神宮と為す。僧冊口を請じ悔過七日。」