福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お参りや修行の意味が分かりました

2015-05-09 | 法話
明日は久しぶりに福聚講のお参りの日です。江戸33観音の一番浅草寺からお参りを始めます。
何かいつも以上に大変有難い気がしてうきうきしております。
それというのも今朝いつものように修法をしていて自分の「故郷」がはっきりと感じら、お参りをするのはこの「故郷」を確認することであると感じ取れたからです。
これは誰もが同じ「故郷」なのですが口で言ってもわからないでしょう。詳細に記述してみても体験しなければ無駄ということは自分自身のいままでの経験からもわかりますので控えますが、これさえ分かれば(体でですが)全ての問題が解決します。
解決しないのはそもそも問題の立て方がおかしいのです。
そしてこうしてお参りしたり、修行したりするのはそのわれわれの「故郷」を確認させていただくことなのだということがわかりました。昔母親の四国の実家へよく遊びに行きましたがそのとき何とも言えず懐かしい気がしました。そういうものです。われわれの心と体の「故郷」はみな一緒です。そして大変懐かしいものです。そこを修行やお参りで確かめるのです。そしてそこには「すべて」があります。おまいりや修行によって願いが叶うのはそのふるさとからもともと頂いてきている財産に気付かされるからです。そしてその故郷からいただいてきている「相続財産」を身口意で掘り出すことができるようになるからです。自分自身の経験でも拝めば拝むほど次々に有難いことが起こるのは自分の身口意の働きがマイナスからプラス方向に変わってきて「故郷」からいただいてきている「財産」が顕在化してくるからと思っています。
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